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書籍・雑誌

2017年7月15日 (土)

「イギリスの大貴族」 Grandees of England and Their Castles

図書館で持ち運びしやすい新書か文庫本を探していて目に止まったので、「イギリスの大貴族」海保眞夫著、平凡社新書、1999年刊、を借りて読みました。テレビ放送中の「ダウントン・アビー」を録画して見ているので、英国の貴族のことに少し興味が出ました。
この本によりますと、英国の上院に議席を与えられている世襲貴族は750名いるそうですが、「大貴族」といえる家は、その約1割くらいだそうです。
本書は、その中でも中世以来の由緒がある3つの家、ノーサンバランド公爵、ダービー伯爵およびノーフォーク公爵に的を絞り、それぞれの歴史や著名な人物のことを書いています。いずれも、前身の伯爵家なども入れれば、14~15世紀以来の貴族です。
管理人は城に興味がありますので、ここでは、この本に出て来た貴族の城や居館と、余談として取り上げられている有名な城をリストにし、ホームページがあるものはそのURLも記録してみました。
本はすべてカタカナ表記ですが、ネットで英語の元の綴りを調べました。旅行に行く場合は、元の綴りが分からないと不便だと思います。
なお、爵位に付いている名前は、ほぼ日本の県にあたるようなエリアの英国のシャイアの名前のようで、一族の姓は別にあります。日本の薩摩守島津家というのと似ていると思いました。もっとも明治以降の日本の華族は、島津公爵のように姓で呼ばれますが、江戸時代は老中などが伊勢守とか、儀礼的な職名で呼ばれたようなので、少し似ています。英国の場合も、領地名は本当の本拠地、出身地と関係が深い場合と、儀礼的に与えられた場合と、ともにあるそうです。
無線の城アワード、WCAのナンバーがあるものは、それも記入しています。
-------------------
1.ノーサンバランド公爵パーシー家
  Duke of Northumberland, House of Percy
 
アニック城 Alnwick Castle, Northumberland
WCA G-00145
https://www.alnwickcastle.com/
サイオン・ハウス Syon Park, Middlesex / London
https://www.syonpark.co.uk/
-------------------
2.ダービー伯爵スタンリー家
    Earl of Derby, House of Stanley
 
レイサム荘園 Lathom Manor, West Lancashire.
フートン荘園 Hooton Manor, Chesire.
ノーズリー Knowsley Hall, Merseyside.
 
ピール海城 Peel Castle, Isle of Man
 
-------------------
3.ノーフォーク公爵ハワード家
    Duke of Norfolk, House of Howard
 
ハワード城 Castle Howard, Yorkshire   
WCA G-00389
http://www.castlehoward.co.uk/
オードリー・エンド Audley End House, Essex
http://www.english-heritage.org.uk/visit/places/audley-end-house-and-gardens/
-------------------
4.関連記述で出てくる城
 
ハットフィールド城 Hatfield House, Hertfordshire
Cecil Family, Earl of Salisbury
http://www.hatfield-house.co.uk/
ブレニム城 Blenheim Palace, Oxfordshire
Churchill Family, Duke of Marlborough
WCA G-00240
http://www.blenheimpalace.com/
-------------------
5.「ダウントン・アビー」のロケ地
ハイクレア城 Highclere Castle, West Berkshire
Earl of Carnarvon, Herbert Family
https://www.highclerecastle.co.uk/

2016年12月30日 (金)

今年読んだ本 The Book I Read in 2016

その内に一度書こうかと思いながら、もう年末になってしまいました。実際には、8月3日に読み終わった1冊の英語の本を紹介しておきたいと思います。
Daniel J. Boorstin "The Americans -The National Experience-" 1965, Random House, INC.
同じ著者の"The americans -The Colonial Experience" の続編で、アメリカ合衆国の独立以後、19世紀の後半あたりまでの、国家kとしてのアメリカとその社会がどうのように形づくられてきたかを書いています。一般向けの歴史書ですが、歴史学の専門書に近いところもあり、なかなか英語も難しく、十分理解できたとはいえませんが、30数年前にアメリカにいたときに購入して、ほとんど読めずに書棚に積んでいたのを、なんとか読み通したので、なにか借りを返したような気分になりました。
話題はたいへん多岐にわたり、司馬遼太郎のような博覧強記ぶりです。とても短い記事で紹介できません。
西部開拓時代には、とにかく早く未開の土地に着いて、占有することが大事だったので、河川の舟運や鉄道は、能力いっぱいまで速度を上げて急ぐのが当たり前で、その反面、蒸気機関の爆発、沈没、列車の脱線、転覆などが頻繁に起きていたという話が印象に残りました。そのころの人々はリスクをとるのが普通で、慎重に安全にといっていたら競争に負けてしまうという考え方だったようです。
これは、国民性として、現代にも及んでいるかも知れません。
また、ちょうど鉄道が実用化された時代にまだ西部の大平原が未開拓に残っていたという巡り合わせで、急速に開拓が進み、広々とした大地に豊かなコミュニティーが次々に作られていったことは、人類史の上でも特別なことで、アメリカ人だけでなく、我々を含め世界中の人が認識しておいて良いように思いました。
11月の大統領選挙で、アメリカが注目を浴びましたが、アメリカもかなり大きな変化を経てきていて、国民もそれをあまり恐れないということがこの本から分かっていたので、多少、状況の理解も進みました。
19世紀の前半には、ボストンを中心とするニューイングランドが技術、生産などで優位に立ち、冬の氷を切り出して、冷蔵庫で食品を保存することに成功して、世界中と交易したり、捕鯨で大洋に乗り出したりしていたことも書かれていました。
そのことは日本へのペリー来航とも少し関係しています。
この本は、さらに書き継がれて3冊シリーズになっており、"-The Democratic Experience-" というものが出ていますけれど、取り組む覚悟はまだできていません。
写真は直接の関係がありませんが、日本とは違う大陸の自然のスケールの大きさを示しているナイアガラの滝です。
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2016年7月16日 (土)

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」 "Anja the Liar Has Revealed Truth Finally"

ちょっと急に思い立って本を一冊読みました。米原万理著「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」 、2001年、角川書店刊、です。
水曜日に久しぶりに会った従姉から故人の米原氏とその妹、井上ユリ氏(作家、故井上ひさし夫人)と面識があるとの話しを聞いたのですが、翌日の木曜日の昼のNHKTV番組「サラめし」が井上ひさしの好んだ昼飯を取り上げ、その中で井上ユリ氏が登場しました。この偶然に、ちょっと驚き、この際、米原万理の本も読んでみようと思い立って、近くの図書館で探してみました。4冊ほどあった中で、題から何のことだろうと中身を知りたくなって、この本を選んでみました。
読み始めたら面白くてやめられなくなり、木曜日の夕方から夜に2章を、昨日、金曜日の午後に最後の第3章を読み終わりました。
数ページを読むと分かりますが、1950年生まれだった著者は、父親が当時チェコスロバキア共和国の首都プラハにあった国際共産主義運動の理論誌の編集局に勤務していたため、1959年から1964年まで、小学校の中学年から中学の低学年までを、プラハのソビエト学校に通ってロシア語で教育を受けるという、当時の日本人としては稀有な体験をします。ソビエト連邦がなくなった今日では、歴史的に見ても貴重な体験だったといえます。
3つの章は、その学校で親しくなった3人の少女のことと、約30年後、(1995年か)に探偵顔負けの捜索の後に3人と再会を果たして、それぞれの辿った人生から舞台である中欧、東欧、ひいてはヨーロッパや東方の大国ロシアについて考えたことなどが書いてあります。
その過程で著者が直接足を運んだ土地は、プラハ、ドイツのフランクフルト近郊のナウハイム、ブルガリアのブカレスト、セルビアのベオグラードと、多岐にわたっています。
これは、本当にそうだったのか、疑う必要もないと思いますけれど、著者が学校で親しくなった友達には、ソ連人もチェコ人もおらず、ギリシャ人、ブルガリア人、当時のユーゴスラビア人だったようです。
ギリシャ人のリディアは医師となってドイツに住んでいました。
ルーマニア人のアーニャは、なかなか見つからず、ブカレストで両親や弟と会ってロンドンに住んでいることが分かり、プラハで再会を果たします。その過程で、両親はユダヤ系であったことが分かります。
ユーゴスラビアから来ていたヤミンスカは、親がボスニア出身であったために、その後の国の分裂、内戦という状況で、本人のベオグラードでの立場が危うくなり、落ち込んでいました。
ヨーロッパの複雑さが分かり、最近の英国のEU離脱という出来事も、もともとの西欧各国だけなら良いが、東に大きく拡大したEUとは付き合いきれないというような西の端の英国民の感情が根底にあるのかなと思いました。
この本に出てくる場所では、20年ほど前にプラハに行ったことがあります。そのときにブルガリアにも行き、10数年前に旧ユーゴスラビアのクロアチアに観光旅行に行きましたから、ある程度の予備知識もあって、納得しながら読みました。
Img_1130s               プラハのお土産に買ってきた(と思う)
               ボヘミアグラスのワインカップ
もう一つ、この本で新鮮に思ったのは、学校や父親の勤務の特殊性から、友だちの親がみな革命運動や反ファシスト闘争の闘士であったことです。戦史、戦記を読むのがが好きで 、昔の戦士の物語はずいぶん見ましたが、運動の闘士の物語というものもあることに気づかされました。 考えてみれば、日本でも幕末維新の人物伝などは似たようなものかも知れません。同じ闘士でも、権力を持つ側に立つようになった者と、ついにそうならずに運動家で終わった者の辿る道の違いにも考えさせられる本でした。
I finished reading "Anja the Liar Has Revealed Truth Finally" by Mari Yonehara, 2001, yesterday. She was a famous professional translator of Russian and Japanese and an essayist. She passed away about ten years ago. The book tells her personal experiences in the Soviet school in Prague when she was at the age of from about nine to fourteen, and her meetings with three of her old friends after almost thirty years. Those friends were from Greece, Romania and Yugoslavia, and were living in Germany, England and Servia respectively when the writer succeeded in locating them. I think it is a good book to know the complex nature of the peoples and states of Europe.
 

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2016年7月 2日 (土)

「群青-日本海軍の礎を築いた男」 "Gunjo"

先日、ある定期的に送ってくる小冊子を見ていたら、「群青-日本海軍の礎を築いた男」という書名が目に留まりました。近所の図書館で検索したら、蔵書にあったので、借りてきて読みました。
植松三十里(うえまつ みどり)著、2008年、文芸春秋社刊です。
幕末に幕府の長崎海軍伝習所で勝海舟とともに艦長候補として、オランダ人から教育を受け、江戸城開城のときには、海軍総裁の職にあった、矢田堀讃岐守(景蔵、維新後帰六、鴻と改名)を主人公とする歴史小説です。
前に、軍艦奉行木村摂津守を書いた本を取り上げたことがあると思いますが、一時期、土居良三著の幕末の幕府の開国に関連した努力を再評価した本を何冊か読んで、なるほどと思ったことがあったので、この本も読んでみたくなりました。
29日(水)に読み終わったので、30日(木)午後に出かけたついでに、地下鉄を途中下車し、矢田堀の墓があるという宗源寺に行ってみました。小さいお寺で、墓地は本堂の裏ではなく、前の道の向かい側、早稲田通りに面して建つマンションに囲まれていました。入り口に鍵がかかった引き戸があって、中には入れず、墓も海舟が題額を、木村が碑文を書いた石碑も見ることはできませんでした。
 
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おそらく、奥の方の古い墓が並んでいる辺りにあるのではないかと推測しました。
さらに出るつもりだった夜の会合まで時間があったので、日比谷図書館で、矢田堀のことがかなり詳しく載っている唯一の書籍という「回天艦長 甲賀源吾伝」石橋絢彦著、昭和7年、甲賀宜政(宜はワかんむり)発行を拾い読みしました。
矢田堀の年譜や石碑の文が載っていました。
矢田堀は、幕末の動乱のときに、いわば紙一重で、大きな出来事に名を残すことがなく、明治以降も、新政府に出仕するも、その能力にしては不遇だったようです。
そのことが、単なる運、巡り合わせだったのか、本人がどちらかというと、学者、教育者タイプで、乱世の修羅場で切った張ったをするタイプでなく、そのためにチャンスを逃したのか、この本だけでは分かりませんでした。
幕末でも、伝習所が始まったころは、旗本、御家人、与力、同心などの身分制も厳然としてあり、矢田堀はその中では昌平黌に学んだ秀才だったそうですが、海舟のような乱世に向いたタイプに比べ、生きたた時期が合っていなかったのかも知れません。
どちらかというと、ノンフィクションが好きで、おそらく創作である家族とのドラマや登場人物の会話などには、正直なところあまりなじめなかったのですが、題名、序章、結章と良く考えられていて、考えさせられるものがありました。
なお、ネットを見ていたら、著者本人のブログに、出版された8年前に、本人が詳しい執筆記を書いていて、まだ見ることができました。
矢田堀について手っ取り早くもっと知りたい方は、そのブログやネットの情報を見てください。
Read a book titled "Gunjo - The Man Who Built the Basis of Japanese Navy", by Midori Uematsu last week. The book is on the life of Keizo Yatabori, who was the commander of the Tycoon's navy just before the Meiji Restoration.
おまけです。早稲田通りにあった「エスペラント会館」の屋上にビームアンテナが載っていました。
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2015年8月12日 (水)

「私の昭和史」

考えてみると、いくつかある文学の形式の中で、散文詩との関わりは、独特のものになっています。
学校時代に教科書に出てきたいくつかの詩の冒頭のフレーズや詩人の名前は、それなりに憶えているのに、成人になってから散文詩を読むようなことはありませんでした。新聞にも短歌や俳句の欄はあって、週に1回はかなりの紙面がさかれていますが、詩を目にすることはありません。

そんなことで、5月ごろに、歴史好きの知人のKさんから、返却はいつでも良いから読んでみてはどうですかと、中村稔著「私の昭和史」(青土社、2004年刊)を送っていただいたときには、この著者の名前はまったく知りませんでした。
調べてみると、1998年に日本芸術院会員、2010年には文化功労者に選ばれている、現代の代表的な詩人でした。
日本近代文学館理事長を経て名誉館長となっていますが、これは、知的財産権を専門とする弁護士としてトップクラスの実績があることも評価されて、散文詩という小さな分野にもかかわらず、選ばれた可能性があります。

Img_9793s駒場の旧前田邸の敷地内にある日本近代文学館。ここも暑い最中の8月4日(火)に初めて行ってみました。

厚い本ですが、興味深く読み進んで読み終わったら、まだ終戦のところまででした。
そのときは、占領の終了、平和条約のところまでは読んでみようと、続編の「私の昭和史-戦後編 上」(2008年刊)を図書館で借りて読みました。結局、止められなくなり、同下巻、引き続き「私の昭和史 完結篇 上、下」(2012年刊)まで5冊を7月のはじめに読了しました。

そんな他動的な読書で、ここで取り上げるのもやや場違いですが、これほど大冊の本を読むことは稀なので、記録として書いておくことにしました。

どうも詩や詩人について書かれていることは、あまり良く分かりませんでしたが、むしろ、著者が弁護士として関わった特許権、著作権、表現の自由、商標権などの訴訟、係争の話を興味深く読みました。

著者は昭和2年の早生まれで、長命なのですが、そのために、先立って逝った友人、知人への追悼と鎮魂の言葉が次々に出てきます。
読んでいて、これは昭和の「平家物語」なのではないかと思いました。源平の合戦のようなものがあるわけではありませんが、昭和、特に戦後の科学技術の進歩、産業の発展、高度経済成長に寄り添うように仕事をしてきた著者が、平成の時点で振り返って、失ったものが大きく、無常を感じているように読めました。

また、強い正義感を持った文学青年が、弁護士という束縛の少ない立場で、そのまま成人となって、理想主義やロマンチシズムをかなり保ったまま、社会を観察しています。大戦の戦場に行くことは、僅かの年齢差で免れていますが、いつ死ぬことになってもおかしくないという、戦中の体験は、著者や友人たちのその後の人生にも大きな影響を与えていることが伺えました。

一つの特長として、大宮に生まれ育ち、結婚後も大宮に住み続け、職場はほぼずっと丸の内の特許法律事務所なので、全体が定点観測になっています。昭和という変化が大きかった時代では、ありそうでなかなかない一生なのではないでしょうか。

著者の活動の幅広さから、多くの人々が登場します。ソニーの盛田昭雄氏ともクライアントと弁護士という縁での接触が書かれています。ソニーがまだ電気製品しか製造販売していなかった頃に、「ソニーフーズ」という名の会社ができて食品を販売したのを、差し止めた訴訟があったそうです。

なにしろ大作なので、書けばきりがありませんが、おそらく昭和という時代を書いた本の代表的なものの一つとして、残って行くでしょう。

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2015年4月17日 (金)

「イギリス史10講」

新緑の季節になり、散歩の足は自然に森の公園に向かいます。
一昨日はカメラ持参で行ってみて、何枚か写真を撮りましたが、その1枚、イングリッシュ・オーク、ヨーロッパナラの若葉を写してみました。以前に書いたようにこの公園にあった大木は枯れてしまったのですが、ドングリから育てた幼木が植えられていてだんだんと大きくなっています。

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最近、近くの図書館から近藤和彦著「イギリス史10講」、岩波新書、2013年刊、を借りて読みました。固い題ですが、内容はおもしろいと思ったので紹介したいと思います。

この本の特長は、イギリス史と世界史、特に対岸のヨーロッパの歴史との関連を重視していることです。また、長らく定説となっていた見方とは異なる新しい解釈を紹介しています。
特に興味深かったのは、「I 論争的な17世紀」という節から始まる「第5講 二つの国制革命」(p. 113-)でした。
1649年に国王チャールズ1世が処刑されてオリバー・クロムウェルを護国卿とする共和国ができ、1660年に王政復古があってチャールズ2世が王位につきます。
しかし、チャールズ2世の弟のジェイムズ2世がその後を継ぐと、1688-89年に無血の「名誉革命」がおき、カトリックだったジェイムズ2世は王位から追われ、チャールズ2世の妹の子、オランダのオラニエ公ウィレム3世(ウィリアム3世)とジェイムズ2世の王女であったメアリ2世の夫妻が共同君主となって迎えられました。
本によると、「名誉革命」(グローリアス・レボリューション)を美化する史観は19世紀の自由主義者によって形づくられたもので、これを普及させた党派の名から「ホウィグ史観」と渾名されているそうです。
現実は、議会勢力や国教会がプロテスタントのオラニエ公と組んでジェイムズ2世を追い出したクーデタだったそうです。
また、当時、フランスのルイ14世の拡張主義に圧迫されたオランダは同盟国を求めていて、イギリスからの働きかけは渡りに船で、クーデタ実行のためにオランダ軍がイギリスに上陸しています。
この勢力争いを反映して、1688年には「9年戦争」、「大同盟戦争」、「ファルツ継承戦争」といくつも名前のあるヨーロッパを2分する戦争がおき、アイルランドやスコットランドでは流血の抗争がおきていて、無血なのはイングランドだけだったとのことです。

ところで、17世紀、18世紀は北アメリカにイギリスの植民地ができ、徐々に成長、成熟していく時期でした。1年以上前ですが、2014年12月29日の「ヴァージニア州」という記事で、アメリカの州の名前のいくつかはイギリスの王や女王、王妃にちなんで名づけられたことを書きました。
http://nb20oi12-7388tu.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/virginia-59ab.html

この本を読んで、州名のもとになった王などがどのような立場であったのかが分かり、興味深く感じました。
ここにもう一度コピーして、若干注記してみます(ヴァージニアを除く)。

・MD メリーランド:アンリエット・マリ Henrietta Maria王妃(国王チャールズ1世(在位1625-1649)の妃)
(注: 王妃はフランスのアンリ4世の娘でルイ13世の妹。チャールズ1世は狭量で議会などと対立し統治に失敗したが、王妃との私生活は親密だった。)

・NC, SC ノース・カロライナ、サウス・カロライナ: チャールズ2世が父チャールズ1世にちなんで名付けた。カルロスは、チャールズのラテン名。
(注: 1660年の王政復古で王位についたチャールズ2世は法制的には1649年に即位したこととされ、チャールズ1世は殉教者として聖人とされた。)

・GA ジョージア: ジョージ2世(在位1727-1760)
(注: ウィリアム3世=メアリ2世には嫡子がなく、メアリ2世の妹アン女王でスチュアート朝は絶え、1714年にジェイムズ1世(在位1603-25)の女系の曽孫、ドイツのハノーファ選帝侯ゲオルク・ルートヴィッヒがジョージ1世として迎えられてハノーヴァー朝がはじまり、ジョージ2世はその2代目)

・LA ルイジアナ: フランス国王ルイ14世(在位1643-1715)
(注: 18世紀まではフランス領であったがナポレオンのときにアメリカが買い取った。)

2014年12月30日 (火)

「明治の女子留学生」

寺澤龍著「明治の女子留学生ー最初に海を渡った五人の少女」2009年、平凡社新書を読みました。
明治4年(1871年)に岩倉遣外使節団と一緒に横浜を出発して、アメリカに留学した5人の女性については、 かなり良く知られています。NHKテレビドラマ「八重の桜」にも、大山(山川)捨松が登場しました。 私も幕末・明治初期の歴史、特に国際交流の歴史の中の出来事として、以前に大山捨松や瓜生(永井)繁子に ついて書かれた本を読んだことがあり、この本は、全体像をまとめてあるらしいので、図書館から借りて読ん でみました。

期待どおり良くまとまっており、派遣の経緯や5人の人生が分かりました。
特に興味深く感じたのは、5人を送り出した親や兄についてかなり詳しく調べてあることです。 また、これは個人的な事情かも知れませんが、津田梅子のことは今まであまり知らなかったので、 この本で良く分かりました。

1年足らずで帰国した2人を除く3人の家族について、本書の小見出しを引用し、少し補足してみます。

「幕末の外国奉行通弁・津田仙(津田梅子の父)」
佐倉藩の120石の家臣の4男に生まれ、蘭学、のちに英学を学び、田安家の家臣の養子となって、通訳とし て幕府に出仕していた。維新後は、学農社農学校を設立するなど、主に教育分野で活動した。その人脈は、津田梅子の英学塾創設、運営にも生かされた。

「会津藩最後の家老・山川浩(山川捨松の兄)」
父が捨松誕生の15日前に病没したため、浩は15歳で山川家の当主となり、1,000石の家禄を継いだ。 維新後は、下北半島の斗南藩経営の責任者となったが、明治4年7月のの廃藩置県後間もなく、家族を伴って 江戸に出ていた。捨松留学後は、陸軍士官となり、捨松の帰国のころは陸軍大佐であった。陸軍トップの陸軍 卿大山巌が捨松に結婚を申し込むころに、浩は陸軍省人事局長に栄転した。浩の弟健次郎(捨松の兄)は、アメリカに留学して物理学を学び、後に東京帝大総長となっている。

「三井物産の創始者・益田孝(永井繁子の兄)」
孝と繁子の父、益田鷹之助は、幕府の外国奉行に仕える役人であった。元は佐渡島の地役人であったが、書と 算に才があって佐渡奉行に認められ、箱館奉行の支配調役下役に栄転し、幕臣の列に加わった。幕末の混乱期 とはいえ、身分制度が厳しい中で、抜擢されたことは、余程才能が豊かであったものと思われる。孝は英語などの勉学にはげみ、幕府の通訳官に任官された。孝は維新後、商売をはじめようと考え、明治3-4年のころに横浜で、輸出商をはじめた。

これらの3人は、いずれも幕末に西洋に渡ったことがあるという共通点があり、幼い娘や妹の留学先について 、実地に知っていました。また、いずれも幕臣か佐幕藩の武士で、戊辰戦争の敗者の側にいた人々でしたが、維新後もそれぞれ活躍し、帰国後の3人にとっても強力な支援者でした。

もう一点、この本で知ることができたのは、女子留学生の派遣やその後の人生に、薩摩出身者が大きな役割を演じたことです。
女子の留学生の派遣については、派遣予算を計上した開拓使の次官であった黒田清隆(1840-1900)と、派遣の直前に欧米を視察旅行した黒田に対し、女子の教育の必要を説いたとされる、当時アメリカ駐在の少弁務使(後の公使的な職)だった森有礼(1847-1889)がキーパーソンだったようです。
また、11年後の明治15年(1882年)に、留学の1年延長が認められた山川捨松と津田梅子が帰国し、捨松が大山巌(1842-1916)と結婚しますが、この縁談を大山の従弟で当時農商務卿であった西郷従道(1843-1902)が傍から進めたように書かれています。

1916314_org明治村に保存されている西郷従道邸。この建物は明治10年代の建築とされていますが、目黒区上目黒にあったもので、大山巌・捨松の結婚当時の西郷邸とは異なるものですけれど、当時の西洋文明の導入の状況を示すものとして、参考になると思います。

明治15年には、西郷邸は品川御殿山にあり、同じく御殿山にあった益田孝の広壮な邸宅の隣でした。明治14年に帰国していた永井繁子は、留学中に知り合った海軍士官の瓜生外吉と、山川、津田の両人の帰国を待って結婚し、その披露宴は明治16年1月に益田孝邸で行われ、西郷や大山も出席したそうです。

それにしても、幼少のときに渡米し、(出発時の満年齢は山川11歳、永井10歳、津田6歳)10~11年の留学で、帰国したときには日本語も忘れてしまった3人が、それぞれの立場で帰国後に活躍したことには、幼時のしつけや家族の支援、留学中に住み込んだアメリカ人家庭の努力、本人たちの資質や努力など、いろいろなことが寄与していると思いますが、人生に開ける可能性や個人と激動の時代とのかかわりなどについて考えさせられました。

2014年10月 5日 (日)

「カラシニコフ」

「カラシニコフ」松本仁一著、2004年、朝日新聞社刊を読みました。前に取り上げた「兵隊先生」と同じ著者です。 電車の中で読む本を図書館で借りてきていなかったので、書棚を見たら、この本が目にとまりました。10年前の本で、新聞の連載をまとめた出版です。当時は、新聞のほうでだいぶん読んでいたので、本のほうは、入手して間もなくパラパラと読み、通読はせずに積んで置いていました。

Photo

本は、シエラレオネで11歳のときに反政府ゲリラに拉致され、強制的に兵士にされた少女(取材当時19歳)の話からはじまります。 ゲリラが持っていて、少女も持たされ、3人を射殺するように強いられたのが、ロシア(旧ソ連)の兵器技術者カラシニコフが設計した自動小銃でした。
カラシニコフAK47、AKM、AK74という、一連のシリーズの小銃が、治安の乱れたアフリカ各国に大量に出回り、使われていることから、その理由やそうなった背景が書かれています。また、反乱、クーデター、強盗など、銃を使ったさまざまな実力行使が生々しく書かれています。
自動小銃は、各国で作られていますが、カラシニコフには故障が少なく、乱暴に扱っても弾を撃てることで、開発途上国向きだそうです。また、カラシニコフは、中国、北朝鮮、ユーゴスラビアなどでも生産されたことから、各国の政治的な動きや、水面下での武器供与、販売などで、出回りやすかったようです。
シエラレオネが、英国の解放奴隷により建国されたということは、初めて知りました。アメリカの解放奴隷によって作られた東隣のリベリアと似た歴史があり、外部から支配層が入ってきたため、土着の住民との間に共通基盤がなく、国家形成が困難だったようです。

シエラレオネ、リベリアなどは、現在、エボラ出血熱の流行が大問題になっています。その背景に、この本に書かれている、長年の内戦などによる混乱で、政治、行政があまり機能していないこともありそうです。
「失敗国家」の存在が、この本で取り上げられている大きなイシューです。特に、兵士にまともに給料が払われない国、教師にも給料が払われない国があり、そのような国家を国連加盟国として一人前に扱うことや、政府に普通にODAとして援助をすることへの疑問が提起されています。
もう一つ、ブログに書かずじまいになっていますが、先ごろ、司馬遼太郎の「この国のかたち」を読んだことをきっかけに、日本の中世史に興味を持ち、数冊の本を読みました。平安時代後期の武士の出現以降、中世では、中央政府のすることはかなり限られていて、治安などに関しては、地元の武士団や寺社(寺社も僧兵などの武力を持っていた)による自力救済が普通のことだったようです。北条氏が権力を握った鎌倉時代の中期、後期も、北条氏の私兵による血なまぐさい実力行使による制裁などがしばしば起きていたようです。
ただ、日本の場合は、司馬遼太郎が高く評価する武士道が徐々に形成され、戦いや仇討ちにも一定のルールが適用されて、それなりの秩序があったことが違うのでしょう。
武器が発達した現代では、自力救済が横行することの悲劇も大きいわけで、なんとか失敗国家が立ち直る、または立ち上がるように、工夫して協力していくべきでしょう。

シエラレオネなど、アフリカの西海岸は、弱小アマチュア無線局ではなかなか交信できません。昨年の11月のはじめに、21.050あたりに出ていた9L1BTBと運よく交信できました。その時のアンテナは、ロングパス向きでした。
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この本の著者は、カラシニコフ氏の住むイジェフスクに2回行き、長時間のインタビューをしています。イジェフスクは、ヨーロッパ・ロシアでもウラル山脈に近いあたり、ウドムルト共和国の中心で、無線のプリフィックスは、UA4Wです。古いカード、UZ4WWBのものを見つけました。
このコールは、QRZ.comには登載されていません。試みに、”Izhevsk”でQRZ.comを検索してみたら、3D(フィジー)から始まって、世界の多数の国々のコールサインがズラッと並んで、驚きました。DXを追いかけている局には有名なUA4WHX、ブラッド(ヴラッド)さんのホームがイジェフスクだったためでした。当局は残念ながら、一度も交信したことがなく、QRZ.comを見るまで、気が付きませんでした。
「カラシニコフ」によると、昔のソ連の兵器工廠は、三つに分割民営化され、銃を作る会社、その他の兵器を作る会社、自動車やバイク、モーターボートなどを製造する会社があるそうです。世界を股にかけて歩いていたブラッドさんは、直接か間接か分かりませんが、これらの会社と何か関係がありそうですね。

2014年4月14日 (月)

「藩と日本人」

最近読み終えた本に「藩と日本人-現代に生きる<お国柄>」武光誠著、PHP新書、があります。
取り上げられた藩の成立過程から、徳川時代のその藩の組織、制度などが述べられていて、興味深く読みました。
最後のほうに(p.198-)、明治維新の廃藩置県のときに決められた県名と、徳川時代および維新後の明治初期の藩の名称と県名の関係のことが書かれていて、これは初めて知りました。
戊辰戦争、明治維新との関わり方で、藩を忠勤藩、日和見藩、朝敵藩に分け、忠勤藩の県名には旧藩名をそのままつけ、それ以外の日和見、朝敵には、県庁所在地の郡名や地域の山、川の名前をつけたというのです。
忠勤藩は、薩長土肥の鹿児島、山口、高知、佐賀のほか、福岡、鳥取、広島、岡山、秋田の9県だそうです。もっとも、和歌山県など、9県に入っていないのに、藩主の城のあった都市名になっていますが、ここは紀州藩と呼ばれていたので、中心都市の名が認められたのでしょうか。長崎、新潟など、旧天領(幕府直轄領)内に県庁が置かれたところも、県庁所在都市名になっているので、そのようなことがだいたい忘れられている現在では、分かりにくく、多くの方々にはどうでも良いことかも知れませんが、歴史好きの筆者は、面白く思いました。

Img_1802s 鹿児島県鹿児島市の鶴丸城跡。(平成22年)

Img_5703s 茨城県水戸市の水戸城跡、薬医門。旧水戸藩は、郡名が県名に使われたようです。(平成25年5月)