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書籍・雑誌

2020年8月28日 (金)

スコットランドの島々 Islands of Scotland

先日の週末、8月20日から23日には、ゴルフのAIG全英女子オープンがスコットランドの西岸にある、ロイヤル・トゥルーン・ゴルフ・クラブで行われました。昨年の渋野日向子選手の優勝からにわかファンになった管理人としては見逃せず、連日テレビを見ていました。もっとも放送時間が深夜なので、翌朝録画したものを見ました。
渋野選手はほかの若手3選手とともに、未経験の強風が吹き荒れるリンクスでの試合でスコアをまとめられず、残念ながら予選落ちし、日本人では3選手だけが予選通過、上田桃子選手が6位と健闘したのはご案内のとおりです。
放送で、周辺の風景が流れるのを見て、一時期、スコットランドの沿海の島々に興味を持っていたことを思い出しました。

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画面はクライド湾を隔てて西北方向にアラン島(Arran Island, IOTA EU-123, Scottish Coastal Islands)が見えているのではないかと思います。

10年以上前のことで、どういういきさつでスコットランドに興味を持ったのか記憶がはっきりしませんけれど、FK、ニューカレドニア、YJ、バヌアツに行ったことが関係していたように思います。「カレドニア」はスコットランドのラテン名ですし、バヌアツの独立前はニュー・ヘブリデス諸島で、スコットランドの西に連なるヘブリデス諸島にちなんだ命名です。
また、ILLW, International Lighthouse and Lightship Weekend など、灯台がらみのアマ無線イベント、プログラムに興味を持っていたことも関係していると思います。ILLWを始めたのはトゥルーンに近いエア(Ayr)市のハムでした。
"ILLW 2012"

橋本清子(すがこ)という人が書いた「ヘブリデスの青い風」という島巡りの旅行記を持っています。スコットランドの北にあるシェトランド、オークニーにも行っていて、記事もあります。遠いところまで女性一人で良く行ったものだと思いますが、英国なので、開発途上国のようなリスクは少ないのかも知れません。

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IOTA, Islands on the Air のアワードプログラムでは、スコットランドに11のレファレンスがあるようです。大きなところは、上のアラン島のEU-123, EU-012 Shetland, EU-009 Orkney, EU-008 Inner Hebrides, EU-010 Outer Hebrides の5つでしょう。
EU-092, EU-108, EU-112 の3つはアウター・ヘブリデスの内側の小さな群島、EU-111, EU-059, EU-189の3つはアウター・ヘブリデスの西、大西洋にある島々です。
当方の貧弱なQSLコレクションにも、シェトランドのカードが1枚ありました。11年前、2009年の9月に当方は江の島(江の島灯台)移動運用で交信しました。
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The TV broadcast of the AIG Women's British Open golf game remided me of my past interest in Scotland and islands around it. I have a book titled "The Blue Winds of Hebrides" by Sugako Hashimoto. There are 11 references in Scotland in the IOTA program, but I have workd only one of them, Shetland. 

 

2018年8月 9日 (木)

「長崎原爆の記録」 Book on the Atomic Bombardment of Nagasaki

数年前に母親が知人からいただいた「長崎原爆の記録」という1冊の本があります。
くださった方が著者、泰山弘道(やすやま ひろみち)氏の息女でした。原稿は犠牲者の七回忌にあたる昭和26年8月に完成したそうですが、昭和59年に、一部を省略して出版されとところ、出版社の解散とともに絶版になっていました。
平成17年に英文版が出版され、同19年に邦文版が再刊されました。

原子爆弾が非人道的兵器であることを強く感じさせる本です。
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The book above is the recollections by a surgeon on his experiences concerning the atomic bombing of Nagasaki on August 9, 1945. The author was with the Imperial Japanese Navy and was the director of the Naval Hospital at Omura, Nagasaki Prefecture on that day. The book reveals the inhuman nature of the deadly weapon well.
The English version was published as foolows:
"Collection of Memoirs of the Atomic Bombardment of Nagasaki 1945-55"
2005
Written by Kodo Yasuyama, M.D.
Edited by Shunichi Yamashita
Published by the Nagasaki Association for Hibakushas' Medical Care, Nagasaki

本の帯にあるように、著者は海軍の軍医で、長崎被爆当時、大村海軍病院の院長でした。
昭和20年8月9日の夜に収容した被爆者は758名だったそうです。専門家による記録としてたいへん貴重なものと思いますが、あまり広くは知られていないようですので、紹介しておきます。
 発行所: 東京図書出版会
 発売元: (株)リフレ出版
 2007年8月29日 初版発行

2018年3月 6日 (火)

「八十爺のてくてく日本列島縦断日記」

先日の散歩かふぇの記事を書いていて、そういえば相当の高齢になってから日本列島を端から端まで歩いたことを書いた本があったと思い出し、先日探し出してきました。
堀之内芳郎著 「八十爺のてくてく日本列島縦断日記」 平成17年(2005年)新風舎刊というものでした。
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カバーと帯に要旨が書いてありますが、実際は79才の年に神奈川県伊勢原市の自宅と九州最南端佐多岬の間の約1,500キロを、81才の年に伊勢原から本州最北端の大間崎の900キロ余を、82才の年に南西諸島で340キロと北海道700キロを歩いて、計3,467キロを踏破しています。帯には延べ127日間とありますが、これは乗り物による出発地点までの往復の移動日を含んでおり、正味の歩行日数は延べ112日だそうです。

1日平均の歩行距離は約31キロになっています。若いころから鍛えた身体を持った人で、77才のときに四国八十八ヶ所巡りに挑戦し、約1,300余キロを完歩して自信をつけたそうですが、10キロ程度のウォーキングでも疲れてしまう当方とはレベルが全然違います。
全部を読んだわけではないのですが、予定を立て、雨が降ろうが風が吹こうが予定の距離は歩き通すというやり方で、自宅付近の日帰り歩行4日を除くと、短いレッグでも1週間、北海道では6月17日函館出発、7月7日最北端の宗谷岬到着と、21日間を休まずに歩いています。
ゴールに近い7月6日には、オホーツク海沿いの道で大雨と北東からの冷たい強風に見舞われ、今でいうなら低体温症寸前のところまで追い詰められています。この日のサブタイトルの「猪突猛進」のように、倒れたら通りかかる車が拾ってくれるだろうと、寒さで身体が震えるのを歯を食いしばって我慢して歩いたそうです。
 
当方ももう少し脚をきたえて、今までは敬遠している鉄道沿線ウォーキングの長めのコースくらいは参加できるようにしたいものと思います。



2017年7月15日 (土)

「イギリスの大貴族」 Grandees of England and Their Castles

図書館で持ち運びしやすい新書か文庫本を探していて目に止まったので、「イギリスの大貴族」海保眞夫著、平凡社新書、1999年刊、を借りて読みました。テレビ放送中の「ダウントン・アビー」を録画して見ているので、英国の貴族のことに少し興味が出ました。
この本によりますと、英国の上院に議席を与えられている世襲貴族は750名いるそうですが、「大貴族」といえる家は、その約1割くらいだそうです。
本書は、その中でも中世以来の由緒がある3つの家、ノーサンバランド公爵、ダービー伯爵およびノーフォーク公爵に的を絞り、それぞれの歴史や著名な人物のことを書いています。いずれも、前身の伯爵家なども入れれば、14~15世紀以来の貴族です。
管理人は城に興味がありますので、ここでは、この本に出て来た貴族の城や居館と、余談として取り上げられている有名な城をリストにし、ホームページがあるものはそのURLも記録してみました。
本はすべてカタカナ表記ですが、ネットで英語の元の綴りを調べました。旅行に行く場合は、元の綴りが分からないと不便だと思います。
なお、爵位に付いている名前は、ほぼ日本の県にあたるようなエリアの英国のシャイアの名前のようで、一族の姓は別にあります。日本の薩摩守島津家というのと似ていると思いました。もっとも明治以降の日本の華族は、島津公爵のように姓で呼ばれますが、江戸時代は老中などが伊勢守とか、儀礼的な職名で呼ばれたようなので、少し似ています。英国の場合も、領地名は本当の本拠地、出身地と関係が深い場合と、儀礼的に与えられた場合と、ともにあるそうです。
無線の城アワード、WCAのナンバーがあるものは、それも記入しています。
-------------------
1.ノーサンバランド公爵パーシー家
  Duke of Northumberland, House of Percy
 
アニック城 Alnwick Castle, Northumberland
WCA G-00145
https://www.alnwickcastle.com/
サイオン・ハウス Syon Park, Middlesex / London
https://www.syonpark.co.uk/
-------------------
2.ダービー伯爵スタンリー家
    Earl of Derby, House of Stanley
 
レイサム荘園 Lathom Manor, West Lancashire.
フートン荘園 Hooton Manor, Chesire.
ノーズリー Knowsley Hall, Merseyside.
 
ピール海城 Peel Castle, Isle of Man
 
-------------------
3.ノーフォーク公爵ハワード家
    Duke of Norfolk, House of Howard
 
ハワード城 Castle Howard, Yorkshire   
WCA G-00389
http://www.castlehoward.co.uk/
オードリー・エンド Audley End House, Essex
http://www.english-heritage.org.uk/visit/places/audley-end-house-and-gardens/
-------------------
4.関連記述で出てくる城
 
ハットフィールド城 Hatfield House, Hertfordshire
Cecil Family, Earl of Salisbury
http://www.hatfield-house.co.uk/
ブレニム城 Blenheim Palace, Oxfordshire
Churchill Family, Duke of Marlborough
WCA G-00240
http://www.blenheimpalace.com/
-------------------
5.「ダウントン・アビー」のロケ地
ハイクレア城 Highclere Castle, West Berkshire
Earl of Carnarvon, Herbert Family
https://www.highclerecastle.co.uk/

2016年12月30日 (金)

今年読んだ本 The Book I Read in 2016

その内に一度書こうかと思いながら、もう年末になってしまいました。実際には、8月3日に読み終わった1冊の英語の本を紹介しておきたいと思います。
Daniel J. Boorstin "The Americans -The National Experience-" 1965, Random House, INC.
同じ著者の"The americans -The Colonial Experience" の続編で、アメリカ合衆国の独立以後、19世紀の後半あたりまでの、国家kとしてのアメリカとその社会がどうのように形づくられてきたかを書いています。一般向けの歴史書ですが、歴史学の専門書に近いところもあり、なかなか英語も難しく、十分理解できたとはいえませんが、30数年前にアメリカにいたときに購入して、ほとんど読めずに書棚に積んでいたのを、なんとか読み通したので、なにか借りを返したような気分になりました。
話題はたいへん多岐にわたり、司馬遼太郎のような博覧強記ぶりです。とても短い記事で紹介できません。
西部開拓時代には、とにかく早く未開の土地に着いて、占有することが大事だったので、河川の舟運や鉄道は、能力いっぱいまで速度を上げて急ぐのが当たり前で、その反面、蒸気機関の爆発、沈没、列車の脱線、転覆などが頻繁に起きていたという話が印象に残りました。そのころの人々はリスクをとるのが普通で、慎重に安全にといっていたら競争に負けてしまうという考え方だったようです。
これは、国民性として、現代にも及んでいるかも知れません。
また、ちょうど鉄道が実用化された時代にまだ西部の大平原が未開拓に残っていたという巡り合わせで、急速に開拓が進み、広々とした大地に豊かなコミュニティーが次々に作られていったことは、人類史の上でも特別なことで、アメリカ人だけでなく、我々を含め世界中の人が認識しておいて良いように思いました。
11月の大統領選挙で、アメリカが注目を浴びましたが、アメリカもかなり大きな変化を経てきていて、国民もそれをあまり恐れないということがこの本から分かっていたので、多少、状況の理解も進みました。
19世紀の前半には、ボストンを中心とするニューイングランドが技術、生産などで優位に立ち、冬の氷を切り出して、冷蔵庫で食品を保存することに成功して、世界中と交易したり、捕鯨で大洋に乗り出したりしていたことも書かれていました。
そのことは日本へのペリー来航とも少し関係しています。
この本は、さらに書き継がれて3冊シリーズになっており、"-The Democratic Experience-" というものが出ていますけれど、取り組む覚悟はまだできていません。
写真は直接の関係がありませんが、日本とは違う大陸の自然のスケールの大きさを示しているナイアガラの滝です。
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2016年7月16日 (土)

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」 "Anja the Liar Has Revealed Truth Finally"

ちょっと急に思い立って本を一冊読みました。米原万理著「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」 、2001年、角川書店刊、です。
水曜日に久しぶりに会った従姉から故人の米原氏とその妹、井上ユリ氏(作家、故井上ひさし夫人)と面識があるとの話しを聞いたのですが、翌日の木曜日の昼のNHKTV番組「サラめし」が井上ひさしの好んだ昼飯を取り上げ、その中で井上ユリ氏が登場しました。この偶然に、ちょっと驚き、この際、米原万理の本も読んでみようと思い立って、近くの図書館で探してみました。4冊ほどあった中で、題から何のことだろうと中身を知りたくなって、この本を選んでみました。
読み始めたら面白くてやめられなくなり、木曜日の夕方から夜に2章を、昨日、金曜日の午後に最後の第3章を読み終わりました。
数ページを読むと分かりますが、1950年生まれだった著者は、父親が当時チェコスロバキア共和国の首都プラハにあった国際共産主義運動の理論誌の編集局に勤務していたため、1959年から1964年まで、小学校の中学年から中学の低学年までを、プラハのソビエト学校に通ってロシア語で教育を受けるという、当時の日本人としては稀有な体験をします。ソビエト連邦がなくなった今日では、歴史的に見ても貴重な体験だったといえます。
3つの章は、その学校で親しくなった3人の少女のことと、約30年後、(1995年か)に探偵顔負けの捜索の後に3人と再会を果たして、それぞれの辿った人生から舞台である中欧、東欧、ひいてはヨーロッパや東方の大国ロシアについて考えたことなどが書いてあります。
その過程で著者が直接足を運んだ土地は、プラハ、ドイツのフランクフルト近郊のナウハイム、ブルガリアのブカレスト、セルビアのベオグラードと、多岐にわたっています。
これは、本当にそうだったのか、疑う必要もないと思いますけれど、著者が学校で親しくなった友達には、ソ連人もチェコ人もおらず、ギリシャ人、ブルガリア人、当時のユーゴスラビア人だったようです。
ギリシャ人のリディアは医師となってドイツに住んでいました。
ルーマニア人のアーニャは、なかなか見つからず、ブカレストで両親や弟と会ってロンドンに住んでいることが分かり、プラハで再会を果たします。その過程で、両親はユダヤ系であったことが分かります。
ユーゴスラビアから来ていたヤミンスカは、親がボスニア出身であったために、その後の国の分裂、内戦という状況で、本人のベオグラードでの立場が危うくなり、落ち込んでいました。
ヨーロッパの複雑さが分かり、最近の英国のEU離脱という出来事も、もともとの西欧各国だけなら良いが、東に大きく拡大したEUとは付き合いきれないというような西の端の英国民の感情が根底にあるのかなと思いました。
この本に出てくる場所では、20年ほど前にプラハに行ったことがあります。そのときにブルガリアにも行き、10数年前に旧ユーゴスラビアのクロアチアに観光旅行に行きましたから、ある程度の予備知識もあって、納得しながら読みました。
Img_1130s               プラハのお土産に買ってきた(と思う)
               ボヘミアグラスのワインカップ
もう一つ、この本で新鮮に思ったのは、学校や父親の勤務の特殊性から、友だちの親がみな革命運動や反ファシスト闘争の闘士であったことです。戦史、戦記を読むのがが好きで 、昔の戦士の物語はずいぶん見ましたが、運動の闘士の物語というものもあることに気づかされました。 考えてみれば、日本でも幕末維新の人物伝などは似たようなものかも知れません。同じ闘士でも、権力を持つ側に立つようになった者と、ついにそうならずに運動家で終わった者の辿る道の違いにも考えさせられる本でした。
I finished reading "Anja the Liar Has Revealed Truth Finally" by Mari Yonehara, 2001, yesterday. She was a famous professional translator of Russian and Japanese and an essayist. She passed away about ten years ago. The book tells her personal experiences in the Soviet school in Prague when she was at the age of from about nine to fourteen, and her meetings with three of her old friends after almost thirty years. Those friends were from Greece, Romania and Yugoslavia, and were living in Germany, England and Servia respectively when the writer succeeded in locating them. I think it is a good book to know the complex nature of the peoples and states of Europe.
 

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2016年7月 2日 (土)

「群青-日本海軍の礎を築いた男」 "Gunjo"

先日、ある定期的に送ってくる小冊子を見ていたら、「群青-日本海軍の礎を築いた男」という書名が目に留まりました。近所の図書館で検索したら、蔵書にあったので、借りてきて読みました。
植松三十里(うえまつ みどり)著、2008年、文芸春秋社刊です。
幕末に幕府の長崎海軍伝習所で勝海舟とともに艦長候補として、オランダ人から教育を受け、江戸城開城のときには、海軍総裁の職にあった、矢田堀讃岐守(景蔵、維新後帰六、鴻と改名)を主人公とする歴史小説です。
前に、軍艦奉行木村摂津守を書いた本を取り上げたことがあると思いますが、一時期、土居良三著の幕末の幕府の開国に関連した努力を再評価した本を何冊か読んで、なるほどと思ったことがあったので、この本も読んでみたくなりました。
29日(水)に読み終わったので、30日(木)午後に出かけたついでに、地下鉄を途中下車し、矢田堀の墓があるという宗源寺に行ってみました。小さいお寺で、墓地は本堂の裏ではなく、前の道の向かい側、早稲田通りに面して建つマンションに囲まれていました。入り口に鍵がかかった引き戸があって、中には入れず、墓も海舟が題額を、木村が碑文を書いた石碑も見ることはできませんでした。
 
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おそらく、奥の方の古い墓が並んでいる辺りにあるのではないかと推測しました。
さらに出るつもりだった夜の会合まで時間があったので、日比谷図書館で、矢田堀のことがかなり詳しく載っている唯一の書籍という「回天艦長 甲賀源吾伝」石橋絢彦著、昭和7年、甲賀宜政(宜はワかんむり)発行を拾い読みしました。
矢田堀の年譜や石碑の文が載っていました。
矢田堀は、幕末の動乱のときに、いわば紙一重で、大きな出来事に名を残すことがなく、明治以降も、新政府に出仕するも、その能力にしては不遇だったようです。
そのことが、単なる運、巡り合わせだったのか、本人がどちらかというと、学者、教育者タイプで、乱世の修羅場で切った張ったをするタイプでなく、そのためにチャンスを逃したのか、この本だけでは分かりませんでした。
幕末でも、伝習所が始まったころは、旗本、御家人、与力、同心などの身分制も厳然としてあり、矢田堀はその中では昌平黌に学んだ秀才だったそうですが、海舟のような乱世に向いたタイプに比べ、生きたた時期が合っていなかったのかも知れません。
どちらかというと、ノンフィクションが好きで、おそらく創作である家族とのドラマや登場人物の会話などには、正直なところあまりなじめなかったのですが、題名、序章、結章と良く考えられていて、考えさせられるものがありました。
なお、ネットを見ていたら、著者本人のブログに、出版された8年前に、本人が詳しい執筆記を書いていて、まだ見ることができました。
矢田堀について手っ取り早くもっと知りたい方は、そのブログやネットの情報を見てください。
Read a book titled "Gunjo - The Man Who Built the Basis of Japanese Navy", by Midori Uematsu last week. The book is on the life of Keizo Yatabori, who was the commander of the Tycoon's navy just before the Meiji Restoration.
おまけです。早稲田通りにあった「エスペラント会館」の屋上にビームアンテナが載っていました。
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2015年8月12日 (水)

「私の昭和史」

考えてみると、いくつかある文学の形式の中で、散文詩との関わりは、独特のものになっています。
学校時代に教科書に出てきたいくつかの詩の冒頭のフレーズや詩人の名前は、それなりに憶えているのに、成人になってから散文詩を読むようなことはありませんでした。新聞にも短歌や俳句の欄はあって、週に1回はかなりの紙面がさかれていますが、詩を目にすることはありません。

そんなことで、5月ごろに、歴史好きの知人のKさんから、返却はいつでも良いから読んでみてはどうですかと、中村稔著「私の昭和史」(青土社、2004年刊)を送っていただいたときには、この著者の名前はまったく知りませんでした。
調べてみると、1998年に日本芸術院会員、2010年には文化功労者に選ばれている、現代の代表的な詩人でした。
日本近代文学館理事長を経て名誉館長となっていますが、これは、知的財産権を専門とする弁護士としてトップクラスの実績があることも評価されて、散文詩という小さな分野にもかかわらず、選ばれた可能性があります。

Img_9793s駒場の旧前田邸の敷地内にある日本近代文学館。ここも暑い最中の8月4日(火)に初めて行ってみました。

厚い本ですが、興味深く読み進んで読み終わったら、まだ終戦のところまででした。
そのときは、占領の終了、平和条約のところまでは読んでみようと、続編の「私の昭和史-戦後編 上」(2008年刊)を図書館で借りて読みました。結局、止められなくなり、同下巻、引き続き「私の昭和史 完結篇 上、下」(2012年刊)まで5冊を7月のはじめに読了しました。

そんな他動的な読書で、ここで取り上げるのもやや場違いですが、これほど大冊の本を読むことは稀なので、記録として書いておくことにしました。

どうも詩や詩人について書かれていることは、あまり良く分かりませんでしたが、むしろ、著者が弁護士として関わった特許権、著作権、表現の自由、商標権などの訴訟、係争の話を興味深く読みました。

著者は昭和2年の早生まれで、長命なのですが、そのために、先立って逝った友人、知人への追悼と鎮魂の言葉が次々に出てきます。
読んでいて、これは昭和の「平家物語」なのではないかと思いました。源平の合戦のようなものがあるわけではありませんが、昭和、特に戦後の科学技術の進歩、産業の発展、高度経済成長に寄り添うように仕事をしてきた著者が、平成の時点で振り返って、失ったものが大きく、無常を感じているように読めました。

また、強い正義感を持った文学青年が、弁護士という束縛の少ない立場で、そのまま成人となって、理想主義やロマンチシズムをかなり保ったまま、社会を観察しています。大戦の戦場に行くことは、僅かの年齢差で免れていますが、いつ死ぬことになってもおかしくないという、戦中の体験は、著者や友人たちのその後の人生にも大きな影響を与えていることが伺えました。

一つの特長として、大宮に生まれ育ち、結婚後も大宮に住み続け、職場はほぼずっと丸の内の特許法律事務所なので、全体が定点観測になっています。昭和という変化が大きかった時代では、ありそうでなかなかない一生なのではないでしょうか。

著者の活動の幅広さから、多くの人々が登場します。ソニーの盛田昭雄氏ともクライアントと弁護士という縁での接触が書かれています。ソニーがまだ電気製品しか製造販売していなかった頃に、「ソニーフーズ」という名の会社ができて食品を販売したのを、差し止めた訴訟があったそうです。

なにしろ大作なので、書けばきりがありませんが、おそらく昭和という時代を書いた本の代表的なものの一つとして、残って行くでしょう。

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2015年4月17日 (金)

「イギリス史10講」

新緑の季節になり、散歩の足は自然に森の公園に向かいます。
一昨日はカメラ持参で行ってみて、何枚か写真を撮りましたが、その1枚、イングリッシュ・オーク、ヨーロッパナラの若葉を写してみました。以前に書いたようにこの公園にあった大木は枯れてしまったのですが、ドングリから育てた幼木が植えられていてだんだんと大きくなっています。

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最近、近くの図書館から近藤和彦著「イギリス史10講」、岩波新書、2013年刊、を借りて読みました。固い題ですが、内容はおもしろいと思ったので紹介したいと思います。

この本の特長は、イギリス史と世界史、特に対岸のヨーロッパの歴史との関連を重視していることです。また、長らく定説となっていた見方とは異なる新しい解釈を紹介しています。
特に興味深かったのは、「I 論争的な17世紀」という節から始まる「第5講 二つの国制革命」(p. 113-)でした。
1649年に国王チャールズ1世が処刑されてオリバー・クロムウェルを護国卿とする共和国ができ、1660年に王政復古があってチャールズ2世が王位につきます。
しかし、チャールズ2世の弟のジェイムズ2世がその後を継ぐと、1688-89年に無血の「名誉革命」がおき、カトリックだったジェイムズ2世は王位から追われ、チャールズ2世の妹の子、オランダのオラニエ公ウィレム3世(ウィリアム3世)とジェイムズ2世の王女であったメアリ2世の夫妻が共同君主となって迎えられました。
本によると、「名誉革命」(グローリアス・レボリューション)を美化する史観は19世紀の自由主義者によって形づくられたもので、これを普及させた党派の名から「ホウィグ史観」と渾名されているそうです。
現実は、議会勢力や国教会がプロテスタントのオラニエ公と組んでジェイムズ2世を追い出したクーデタだったそうです。
また、当時、フランスのルイ14世の拡張主義に圧迫されたオランダは同盟国を求めていて、イギリスからの働きかけは渡りに船で、クーデタ実行のためにオランダ軍がイギリスに上陸しています。
この勢力争いを反映して、1688年には「9年戦争」、「大同盟戦争」、「ファルツ継承戦争」といくつも名前のあるヨーロッパを2分する戦争がおき、アイルランドやスコットランドでは流血の抗争がおきていて、無血なのはイングランドだけだったとのことです。

ところで、17世紀、18世紀は北アメリカにイギリスの植民地ができ、徐々に成長、成熟していく時期でした。1年以上前ですが、2014年12月29日の「ヴァージニア州」という記事で、アメリカの州の名前のいくつかはイギリスの王や女王、王妃にちなんで名づけられたことを書きました。
http://nb20oi12-7388tu.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/virginia-59ab.html

この本を読んで、州名のもとになった王などがどのような立場であったのかが分かり、興味深く感じました。
ここにもう一度コピーして、若干注記してみます(ヴァージニアを除く)。

・MD メリーランド:アンリエット・マリ Henrietta Maria王妃(国王チャールズ1世(在位1625-1649)の妃)
(注: 王妃はフランスのアンリ4世の娘でルイ13世の妹。チャールズ1世は狭量で議会などと対立し統治に失敗したが、王妃との私生活は親密だった。)

・NC, SC ノース・カロライナ、サウス・カロライナ: チャールズ2世が父チャールズ1世にちなんで名付けた。カルロスは、チャールズのラテン名。
(注: 1660年の王政復古で王位についたチャールズ2世は法制的には1649年に即位したこととされ、チャールズ1世は殉教者として聖人とされた。)

・GA ジョージア: ジョージ2世(在位1727-1760)
(注: ウィリアム3世=メアリ2世には嫡子がなく、メアリ2世の妹アン女王でスチュアート朝は絶え、1714年にジェイムズ1世(在位1603-25)の女系の曽孫、ドイツのハノーファ選帝侯ゲオルク・ルートヴィッヒがジョージ1世として迎えられてハノーヴァー朝がはじまり、ジョージ2世はその2代目)

・LA ルイジアナ: フランス国王ルイ14世(在位1643-1715)
(注: 18世紀まではフランス領であったがナポレオンのときにアメリカが買い取った。)