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日記・コラム・つぶやき

2017年6月22日 (木)

夏至と暦 Summer Solstice

昨日、6月21日(水)は夏至でした。今年ももうほぼ半年が経ち、これから日が短くなると思うと、月日の経つのが早いと感じます。
学生時代の友人から声がかかり、夕方から東銀座に出かけて、だべり会に参加しました。年齢にはあまりそぐわないホルモン焼きの店、「鳴尾」でしたが、飲み放題で一人5,000円という銀座にしては割安感のあるところで、若い人たちでにぎわっていました。家を出たときは久しぶりに雨風が強く、ズボンも濡れてしまいましたが、地下鉄駅から出たら止んでいて、幸運でした。
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往きの電車の中で、最近区のリサイクル・センターでただで入手した「暦」(広瀬秀雄編、1974年、ダイヤモンド社)という本を読み終わりました。「数理科学」という雑誌の特集号をもとに発行された単行本ということで、数式などが多く、理解不能のところも多かったのですが、歴史の本を読んでいると、昔の年月日のことも多く、いわゆる旧暦の仕組みなどは、なるほどと思うところもあり、勉強になりました。
 
太陰暦だけだと1年の長さがずれてしまうので、閏月を置いていたことは知っていましたが、19年間に7回置くと、年の初めが太陽暦の同じ相当日に戻ることができ、その閏月の置き方にも一定の原則があったのだそうです。これは知りませんでした。
また、太陽が1年経って天空上の同じ位置に来ると1年ですが、別に特定の恒星の出没の周期である恒星年というものがあり、これは太陽年より毎年20分長いのだそうです。一周期が約25,800年の、地球の自転のみそすり運動があり、そのためと書いてありますが、これはちょっと理解できません。
もうすぐ七夕ですが、そのみそすり運動による恒星年と太陽年の差のために、七夕の織女星(ベガ)と牽牛星(アルタイル)が空の見やすいところにかかる時期が、七夕伝説がある程度定着しだしたころの中国の漢代に比べると、2月遅らせたくらいで丁度良いのだそうです。20分が72年で1日、2,160年で30日になり、それに太陰暦の月遅れを加味するという趣旨かと思いますが、詳しい説明はありません。
なぜか七夕(+/-α)も昔の仲間の飲み会の期日になっているので、ちょっと気になりました。

2017年6月18日 (日)

運転免許更新用高齢者講習 A Training Session for Aged Drivers

昨日、17日(土)は、はじめての運転免許更新用の高齢者講習に行ってきました。
受講者は、6人で、思っていたよりもずっと少ないものでした。
講義、視力検査、実車指導の3部に分かれていて、講義は6人で、ほかは3人づつ2組に分かれてするようになっていました。
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申し込む教習所は、受講通知の葉書に載っているものの中から便利そうなところを選ぶことになっていて、自宅から北西、隣の区にあるものにしました。地下鉄でも行けますが、天気が良かったので、自転車で行きました。往きは道を少し遠回りしたため40分ほどかかりました。
着いてみたら、鉄道沿線ウォーキングで歩いた道の端で、昼食をとったマクドナルドと道を挟んで向かいあっているところでした。
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高齢者による痛ましい交通事故がマスコミに報じられており、何か対策が必要なことは理解でしますが、このような2時間の講習がどれほど役に立つのかはやや疑問もあります。
手間ひまのほか、4,650円の受講料もかかり、まったくのペーパーライセンスの人や、自信をなくしてもう止めようかと思っている人に、更新をやめるきっかけを作る効果はあるかも知れません。
 
視力検査で、暗いところからの視力回復時間が遅くなっていること、動体視力も若い人に比べて低いことなどが分かるので、そのことを自覚して、注意するようにしないといけないことは分かりましたが、理屈で分かっても実際にできるかは分かりません。
 
実車指導は、教習所内の決められてコースを一人が一回り走るだけで、講師もこれは決まりなのでやりますが、本当の技量の判定は道路を走ってみないと分かりませんと弁解していました。
 
講師の話で、受講者には前の晩に眠れなかったという人もいますが、講習の結果で更新ができなくなるようなことはないので、楽な気持ちで受けてくださいとのことでした。
リタイア生活で、時間の約束も、遅れたら遅れたで良い昼食会とか夜の飲み会とかがほとんどなので、昨日は、目覚ましをかけて寝坊しないように、久しぶりに少し緊張したことは確かです。
 
It is mandatory to attend a two hour training session before the renewal of a driver's license after the license holder reaches 70 years old in Japan. I went to a driving school yesterday and attended a session with 5 others. We were told that when we reach 75, a test for Alzheimer is also necessary.
 

2017年1月 2日 (月)

賀正 Happy New Year

明けましておめでとうございます
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます
Hatsumoude_2017                    Our first visit to the nearby Hikawa shirine in 2017, early morning of Januray 1. 
 
東京は、元日は快晴、今日、2日は少し雲がありますが晴、風もほとんどなく、暖かで穏やかなお正月です。
年とともに、お正月の過ごし方も少し変わってきました。
一昨年からお屠蘇の用意を母親から引き継ぎました。元日には本人も入れて飲む人が8人、杯を口に当てるだけの真似事をした幼児も入れると9人でした。幸いに皆元気に新年を迎えることができました。
 
年女と年男が一人づつ、二人はたまたま干支ともに同じ丁酉(ひのととり)生まれ、ちょうど60年違いです。
前者はたいへん高齢になっているので、誕生日まで元気でいて満でも切りの良い年齢になってほしいものです。
後者は早く良いパートナーを見つけてほしいと思っています。
 

2016年12月22日 (木)

江の島 Enoshima Island

今日、12月22日(木)は、ほぼ年末恒例の片瀬江の島行きでした。
この時期にしてはずいぶん暖かな日でしたが、どんよりと曇っていて、今にも雨になりそうなので、用は手早く済ませ、せっかくなので江の島を歩いてきました。
江島神社の辺津宮、中津宮にお参りし、その少し上のコッキング苑前の展望台まで行き、帰りは神社を通らない脇道をとりました。
辺津宮の鳥居の脇に児玉神社の鳥居がありました。日露戦争時に満州軍総参謀長として司令官の大山巌の下で作戦指導に当たって功績が大きかった児玉源太郎を祭る神社です。以前に行ったことはあったと思いますが、だいぶん日が経って、もう忘れてしまったので、寄ってみました。社殿はあいにく建て替えのため囲いの中で作業中でした。
参道に咸臨丸の図面発見を記念する碑がありました。
なぜここにあるのか、理由が良く分かりませんが、オランダ政府の協力で、発見されたそうです。
荒波と闘う咸臨丸を描いていて、印象に残るものでした。
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片瀬江の島駅から往復約1時間の散策でした。
 

2016年9月29日 (木)

恵比寿・広尾彷徨 Vicinity of Ebisu and Hiroo

9月12日(月)のことです。そのうちに書こうと思っているうちに、9月も終わりになってきました。月が変わる前に滑りこみで書くことにしました。
夜に恵比寿の日仏会館でシンポジウムのようなイベントがあり、高校の運動部の先輩が出られると分かったので、申し込んで行くことにしました。
ついでならと、昨年まではときどき行っていた、某資料閲覧室で夕方まで過ごそうと、11時半ごろにそこへ行くと、資料の消毒のため閉室中で、しかも再開は曙橋だか、全然別の場所に移転した後なのだそうです。事前に調べないで出かけたのが悪いのですが、驚きました。このブログでも何度か取り上げましたが、恵比寿周辺は、昼休みに散歩を兼ねて歩くのも楽しみだったので、もう行くことがないと思うと、少し淋しい気持ちです。
さて、夕方までの時間をどう過ごすか、どこか図書館はないかと、スマホで調べると、近くの目黒、渋谷の両区とも区立図書館は月曜日が休館、日仏会館にも図書室がありますが、これも月曜休館でした。かろうじて、渋谷区の「臨川みんなの図書館」というところだけ、この月曜日は開館のように出ていたので、そこを目指して、明治通りを目黒方向に歩いて行きました。
ところが、着いてみると、休館で、開館は翌週だか、別の日でした。
仕方がないので、ともかく辺りを少し歩いてみることにして、裏手の高台へと坂を上って行くと、上がり切ったところの左手に、OK国(OKな国ということではなく、アマチュア無線のプリフィックスです。)の大使館がありました。屋上にログペリ・アンテナが上がっていました。
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The embassy of the OK country.
坂の中ほどには塀で囲まれた大きな墓地があり、明治通り沿いの低い方にお寺があるらしかったので、明治通りに戻り、さらに目黒の方へ行きました。だいぶん行ったところから、台地側に入る小路があり、それをたどると、祥雲寺という寺の本堂がありました。説明看板を見ると、筑前福岡藩の初代藩主だった黒田長政の墓があるとあります。せっかくなので、墓地の奥の方へ行って、見てきました。
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The tomb of Nagamasa Kuroda, the first lord of Fukuoka-han, northern Kyushu.
さすがに大藩の初代藩主ということで、屋根もあって大きなものでした。
寺そのものが、二代目藩主が長政を弔うために開基したものらしく、このような便利なところとは思えないほど、広い敷地があり、横道から入ったので、後から分かったのですが、総門の中に塔頭の寺が3つありました。
総門です。
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The main gate of Shounji Temple.
塔頭の寺の一つには、中世の板碑がありました。
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総門を出ると、なにやら賑やかな通りになり、「広尾散歩通り」という標識があります。寺に入る横道のあたりから、明治通りが曲がっていて、こちらの方はだいぶん東に来ており、地下鉄日比谷線の広尾駅から西に入ったところにいるのだと分かりました。
それなら、有栖川公園の中に都立広尾図書館があるので、そちらに向かい、夕方までそこで過ごしました。
蒸し暑い日で、日仏会館へどう行くか少し迷いましたが、やはり歩いて、途中でパスタで腹ごしらえをして、明治通りから渋谷川を渡り、東から坂を上がって、会館に着きました。
この辺りは、スマホでグーグルマップを見て、どこで曲がるかを判断したので、この日はスマホをずい分使い、バッテリーの残量も少なくなりました。
はじめから、某資料室の開室日程をチェックしていれば、こんなことにはならなかったのですけれど、副産物として、辺りを散策することができたので、良かったです。
このように適当に歩くことを徘徊というのか彷徨というのか、散策か、迷いましたが、徘徊はこのところお年寄りに使われているので、彷徨にしてみました。
 
 
 
 

2016年8月22日 (月)

2016年リオ・オリンピック Olympic Games, 2016

ブログを始めてからだいぶん年月が経ちましたが、オリンピックのことを書いた記憶はありません。まだ始める前だったかと思い、古い記事を見てみると、始めたのは2012年の早い時期で、ロンドン五輪のころにはもうブログがありましたが、何も記事は書いていません。人並みにTVでの観戦はして、サッカーやマラソンはだいぶん見ましたが、何か書くほどの感想はなかったようです。

もともと現代のスポーツ・イベントは、スポーツ・エリートとそれを取り巻く人々のお祭りだと、やや冷めた目で見る傾向があるのですが、今回は、開始後の早い時期に水泳、柔道、体操などで日本選手が活躍したので、ロンドンよりも明るい気持ちで見られたからか、観戦して面白いタイプの種目で日本選手が活躍したからか、記念に一言書いてみたくなりました。
今では覚えきれないほどのたくさんの種目があります。
いろいろな分類方法があると思いますが、無謀にも、NOBI流の分類を書いてみます。
〇競走型-早さを競うもの。陸上トラック、マラソン、競歩、競泳 など
〇記録型-陸上フィールド、重量挙げ など
 (陸上短距離や水泳はレーンがはっきり分かれているので、記録型に近い面もある。)
〇格闘技-レスリング、柔道、ボクシング など
〇演技型-体操、飛び込み など・・・審査員による採点を競う
〇乗り物使用型-馬術、自転車、ボート、ヨット、カヌー
〇武術型-フェンシング、アーチェリー、射撃 など
〇球技
 ・テニス型-テニス、卓球、バドミントン、バレーボール
 ・サッカー型-サッカー、ハンドボール、ホッケー、水球、ラグビー、バスケットボール
  (バスケットはかなり違いますが、ゴールに球を入れることは共通)
 ・クリケット型-野球、ソフトボール、クリケット
 ・ゴルフ
今回は、女子バドミントン・ダブルスの決勝戦での高橋・松友組の金メダル、劇的逆転勝ちが面白かったです。夜に中継放送があるのかと思って見ていましたが、「開始が遅れています」とのことで、寝たのですけれど、年齢的なこともあるのか、午前2時過ぎに目が覚めたので、TVをつけてみました。
1セットをとられた後で、第2セットから見ましたが、調子が出てきたのか、会場の風向きが有利だったのか、1対1になりました。そこで、家の人を起こしに行って、一緒に第3セットを見ました。最後の3点ビハインドを挽回して勝ったのはほんとうに良かったです。
卓球は、時間的に生で見やすかったこともあり、女子団体の準決勝、3位決定戦はだいぶんみました。準決勝の接戦もハラハラさせられる好試合でした。石川佳純選手の団体戦での活躍も印象的でした。
テニスは、準々決勝を錦織圭が勝ったということをラジオで知った後で、お昼前の録画放送で見ました。
これでどうやって勝ったのと思おうほど、何度も絶対絶命のピンチに追い込まれていたのに、その都度はね返して勝ったのはすごかったし、勝敗の分かれ目は何だったのだろうと考えてしまいました。この試合の場合は、相手のフランス選手が明らかにリスクをおかして勝負に出たのが裏目に出たようでしたが、あのような状況では、極端な話、じゃんけんのような、運、不運もからんでくるように思いました。

サッカーは、日本の全試合とブラジルの準々決勝、決勝戦を見ました。見て面白いのは球技系の団体競技ではないかと思います。
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写真は直接関係がありませんが、近所の公園(「お堂の公園」)です。7月末の夏空がきれいだったので、スマホで撮りました。川沿いの約10メートルほどの高低差の斜面に、階段がいくつもあり、中央部付近の茂みの中には、以前に記事を書いた44番の「二元衢」もあります。
現在、運動はなるべく毎日の散歩と週1~2回のプールくらいですけれど、昔から、人も動物なので、身体は動かしたほうが良いと思っていて、週に1回くらいは、こちらに出かけて、全部で8つある階段を早足で上り下りすることにも心がけています。

2016年6月13日 (月)

A Guest from Ohio オハイオ州からの客人

We had a guest yesterday to our home. My wife is attending to an English conversation class once a week, and that class had only two students at the beginning as it was an advanced class on weekdays. As the other student quit, my wife is the only one remaining. She offered her young teacher from the U. S. to go for a walk in Higashimurayama City to see iris flowers and the Hachikokuyama Green Park.
The first half of the walking I went on Saturday, June 4, was a reconnaissance for yesterday.
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                    A passage in Hachikokuyama. (June 4, 2016)
After the walk of the Shofukuji Temple, the Kitayama Park with iris flowers and Hachikokuyama, my wife took this young lady with her to our home for a Sushi dinner.
Two of my sons and a daughter-in-law joined us. Since the guest has been in Japan for ten months and does not speak Japanese, and our English are poor and rusty, we had some silent moments, but I hope the guest enjoyed her experience of visiting ordinary Japanese home.
With our small vocabulary, it was natural to ask where she was from. The answer we received was a city in central Ohio, whose name none of us had known. It was somewhere at the apex of the triangle whose bottom line is formed by Columbus and Dayton. She told us there was nothing particular to say about the city but there was the highest point of the state nearby.
I looked up the "Rand McNally Road Atlas" this morning and found Campbell Hill, 1,550ft (472m) high. The hill, I found, is one of the summits in the SOTA. The number is W8O/CT (Central) -001 and it is the only 4 point summit in Ohio.
Ohio has 105,528 square km of land area. Considering that it is three times larger than the Kanto area (32,424 sq. km), and 30 per cent larger than Hokkaido (78,514 sq. km), we know how flat the state is.
By the way, my wife showed my radio room to her, but she did not know amateur radio, nor the Dayton Hamvention.
昨日の日曜日は、オハイオ州出身のアメリカ人が我が家に来ました。我が家の隊長が英会話を忘れないようにと週に1回通っているレッスンの女性の先生です。はじめは2人いたそうですが、現在は個人教授のようになってしまっていて、住まいが狭山丘陵に割に近いので、隊長が菖蒲祭りなどに誘い、4日に当方も歩いたコースを歩いて、済んでから家に来ました。
出身の町は、近くに州で一番高い場所があるくらいしか特徴がないそうです。
今朝、地図で調べて見ると、キャンベル・ヒルという472mの丘で、SOTAのナンバーもありました。オハイオ州の面積は、関東(山梨県含む)の3倍もあるのに、最高点がこの高さですから、アメリカ中西部の広さ、平さを改めて認識しました。
世の中にアマチュア無線というものがあることを知っていませんでした。同じ州のわりに近くにあるデイトンのハムベンションのことも、当然にご存じありませんでした。

2016年5月26日 (木)

☆カシューナッツの世界☆ "The World of Cashew Nuts"

ナッツは好きなほうで、毎日の朝食は定番の牛乳とパン、キウイ、バナナにアーモンド、カシューナッツか胡桃を食べることが多いです。もっともこの2月ほどは、我が家の隊長が何を思ったか、卵と野菜をいためたものも作ってくれます。
 
10日ほど前に通りを歩いていたら、区の掲示板に22日(日)の12時から「カシューナッツの世界」という1,000円で軽食・飲み物付きのイベントのポスターが貼ってあるのが目にとまりました。「トーク: 奥谷京子 CWA(Community Works for Asia) アドバイザー」とあって、にこやかな女性の写真が付いていました。
場所は @Lampada II とあり、この辺りでは誰でも知っているA五差路交差点の近くのようでした。この日は家の留守番で予定もなかったので、店に行って申し込んできました。もっとも、案内図を頼りに探しても、それらしい店がないので、向かい側のLampada という照明器具店に行って聞いたら、会場の店は金土日と週に3日しか開けていないのだそうで、そこで申し込みました。
植物の知識、カンボジアでの栽培事業の話はたいへん興味深く、日ごろ気楽にポロポリ食べているカシューナッツのことがだいぶん分かってきました。
軽食にはあまり期待していなかったのですが、スープ、パン、サラダの後に、メインとして「緑茶入りレモングラスティーのエスニックご飯」というカシューナッツとピスタチオを入れた炊き込みご飯が出て、お腹もいっぱいになりました。
事業に携わっているNGOのことなども後からネットで見て、あまり知らなかった世界のことが少し分かってきました。
会場だった週末だけ開けているというカフェ兼スパイス等販売店の店内です。照明器具屋さんの第二店舗なので、風変りな照明器具が使われています。
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カシューナッツの木はブラジル原産で、会場の天井くらいの高さになり、「カシューアップル」という果実を付け、その果実の外側先端に一つだけ勾玉の形をした種がぶら下がるそうです。人手で収穫するしか方法はないそうです。
食べるナッツは硬い殻の中に入っていて、普通に叩いたりしても割れず、割るためのノウハウは大航海時代から扱っていたインドが持っているそうですが、講師が携わっている「第3世界ショップ」では、足踏み式のカッターとさらに内側の薄皮を剥くためのオーブン(電気がない村でやるので、ソーラー発電の電気によって加熱)を開発、製作して使っているそうです。
カシューナッツの木はウルシ科で、殻を割ったときに飛び散る樹液などが身体につくとかぶれることがあり、暑いカンボジアでも白衣、マスク、手袋などしてしないといけないそうです。
講師の関わる事業は、開発途上国、第三世界の人々に現金収入の機会を与え、定時の労働を覚えてもらうなど、国際協力も兼ねているということですが、NPO、ノンプロフィットではなくNGOであるということで、事業としても成り立つことを目指して、インドネシアなど他の国でもプロジェクトをしているそうです。
門外漢には、協力と営利とのバランスをどのようにとっているのだろうかと、余計なことが心配になりますが、奥谷さんのように大きな組織には属さずに、持続可能で環境に良い開発などを目指して活動する若い年齢層の人たちが増えているようなのは、将来のための明るい動向かと思いました。

2016年5月16日 (月)

野球観戦 Baseball Game

先週の火曜日に出身中学の学年同級生への一斉メールで、野球部のOBであった同級生N君から「皆さまへ」とメールがきました。
「中学の野球部が今年の春季大会で・・・今週末15日から開催される都大会の代表32校に勝ち上がりました。・・・お近くの方、応援をお願いします。都大会進出は、18年ぶりの快挙となります。」とありました。
会場は西隣の区のスポーツセンターで、開始は午後2時30分とのことでした。
 
野球の試合はそれほど見たくもありませんが、季節も良いし、電車では6つ目ですけれど、自転車で行けるところなので、午後のサイクリングで出かけてみました。
1時半に出たところ、2時10分くらいに到着しました。4面の野球場とテニスコート数面が全部地上2階の高さにできていて、1階・地階はプール、体育館になっていました。
野球場は、北東の角がA面で、時計回りにB、C、Dとなっていて、自転車で着いて階段を上がったところは北西の隅のD面の近くでした。
どこが目当ての試合会場がどれなのか分からないし、聞くようなところも見当たらないので、反時計回りに歩いて行くと、いい塩梅にN君と出会いました。N君は、B面のはずだと、そちらを見て、それらしいのがいないので、時計回りにまわってきたのだそうです。
最近、日時、場所を間違えて出かけるというチョンボをして、少し自信をなくしているそうで、こちらに会って一安心はしたようですが、メールに書き間違えた可能性もあるので、まだやや不安そうでした。A面の下が正面玄関なので、そこの受け付けでききましたが、そこはプールの担当で、試合のことはD面の近くにある主催者の本部で聞くようにいわれ、また戻って、やはりB面であることが分かりました。
N君は昔のユニフォームの野球帽をかぶっていて、これを見てOBと分からないのは、もぐりの卒業生だと鼻息は荒いのですが、結局、顔見知りの卒業生は、我々と同学年の野球部OBのY君が奥さん連れできていたくらいでした。後で、ユニフォームも大昔とは違うグレーにストライプのものに変わり、胸の校名も、長い正式名称から抜き出した部分が昔と違っているのです。N君の野球帽では、色ばかりでなく、頭文字も違っていて、分かる人がいないのも当然でした。
同じB面の前の試合は、我が区の代表の私立大学附属校と我が家から5~6km北西のあたりの中学の対戦でしたが、1対1の接戦で、長引いていて、母校の試合開始予定時間のころに1回の延長戦が終わって、タイブレークのノーアウト満塁からの裏表をやっていました。後攻の我が区代表は、表に4点をとられてしまい、裏に2点を返したものの、あえなく敗れてしまいました。私立で、区立の相手校に比べて体格などは勝っているようでしたけれど、時の運に恵まれなかったようです。
 
前の試合が終わってから、グランド整備、7分間づつの練習、もう一度ライン引きなどで、結局、母校の試合開始は3時30分でした。Y君夫妻は所用ありということで、もう帰っていました。
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          試合開始前の練習の様子。
写真の右端に遠くのD面のバックネット付近が少し見えています。
外野手どうしが背中合わせに近くに守っていることになっていて、もし頭上や間を抜かれたら、ボールは転々と遠くまで行ってしまいそうでした。軟式なのであまり飛ばないからホームランはそれほど出ないのかなと、N君に聞くと、いやときどきホームランが出るとのことでした。
そんな話が神様に聞こえたのか、先攻の我らが母校は、1回に4番バッターがレフトオーバーのホームランを放ち、2対0とリードします。
ところが、裏になったら、なんたることか、小金井市から来た相手校のトップバッターにホームランを打たれてしまいました。その後も、ヒットなどが続いてなかなかアウトがとれません。4点をとられてしまい、やっとのことでチェンジという感じでした。
2回表は1点を返し、なお反撃のチャンスが続きましたが、それ以上は点が入りませんでした。裏をなんとか0点に抑えたところで、N君と分かれて帰ることにしました。
大荒れの大量点とりあいゲームになると思ったのですが、夜にネットで結果を見たら、4対3の敗戦で、あの後は点が入らなかったようです。
ただでさえ、立ち上がりが大事といわれるのに、予定の開始時間が1時間遅れてしまって、1回は、どちらも普段の力が出せなかったのかも知れません。
取られた点も、ホームランはともかく、N君によれば、その後は、当たり損ないがアンラッキーにヒットになったとのことです。まあ良くやったとほめておきましょう。
前の試合の観戦中に、同じベンチの反対の端のほうに、昔の勤め先の同じ課で1年ほど一緒に過ごした人とそっくりな人が座っていました。ちょっと会釈してみましたが、反応がなく、人違いにしても良く似た人がいるものだと思っていました。
試合と試合の間の合間に立ちあがって席を変えようとしていたら、先方も、正面から顔を合わせて、気が付き、挨拶をしました。息子さんが中学2年生なのだそうです。当方より10才弱若いだけですが、結婚が遅かったので、このような巡り合わせになったようです。詳しくは話さず、息子さんが後輩になったのかと思っていたら、今朝、OB会の名簿を見たら、住所が小金井市なので、相手校のほうの生徒だったようです。
我が家では、次男が中学のときに野球をしていて、20年近く前だか、連れ合いと2人で応援に行ったことが、夕食時の話題になりました。弱小チームの下位バッターで、ピッチャーゴロしか打てないという厳しい現実でした。それに比べれば、区の大会で代表になり、ブロックの大会で2回くらい勝って、昨日の都大会まで出るということは、たいへんな成績で、出られた選手は、エリートグループの一員なのでしょう。
 
 

2016年4月 8日 (金)

アジアの祭典チャリティーバザー・千代田図書館

10年ほど前にミクロネシア連邦のチューク州(トラック諸島)に旅行しましたが、たしかそのとき以来の縁でこの国の関係者から毎年4月に開かれる「アジアの祭典チャリティーバザー」の案内があります。
今年は一昨日、6日(水)にあり、前もって買ってあった入場券とラッフル券(抽選券)を持って、お昼前くらいにANAインターコンチネンタルホテル東京へ行きました。

このバザーは、アジア、太平洋の26ヶ国の協力とボランティアでサポートしているご婦人方によって開催され、収益は、全て参加国の支援、福祉災害援助のために使われるそうです。今年のバザール委員長は、たまたまミクロネシア連邦大使夫人だったそうです。
いつものことですが、来場した大勢のご婦人方で混雑していました。

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太平洋の島国では、フィジー、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦、ニュージーランド、パプア・ニューギニア、サモアが参加していて、急ぎ足でこれらをまわり、胡椒、テーブル・マットなどを若干買って、売り上げに協力しました。前に行ったことがあるバヌアツは小さすぎて日本に拠点がなく、ニューカレドニアは仏領なので、いずれも参加していません。

その後、九段下の千代田区立図書館へ行きました。1月の別所温泉、上田旅行のときに分からなかった義父が戦争中に別所温泉で何をしたいたのかを知るのに、勤めていた会社の社史を探したところ、この図書館が持っていました。

戦時中のところを探すと、謎が解けました。工場疎開ではなく、本社の総務部が上田のデパートに疎開したことが分かりました。ただ、義父はなぜわざわざ別所温泉から通ったのでしょうか。戦争で客が来ない温泉旅館の救済の意味があったのか、やや病弱であった義父に会社が配慮してくれて、健康のために温泉からの通勤をさせてくれたのか、上田程度の都市でも農村部のほうが食料事情が良かったのか、いくつか理由が考えられますが、今となっては知っている人はいないでしょう。

それよりもさらに謎なのは、社史によると、工場は方向が違う富士山麓や諏訪のほうに疎開していて、上田周辺には来ていないのです。
一つの仮説としては、松代に大本営が移る計画で地下壕を掘ったりしていたので、当時は航空用計器などの生産が主だったこの会社が、軍との連絡を重視して上田に疎開したのではないかと考えられます。ただ、大本営の移転はトップ・シークレットだったと思われるので、軍からこっそり耳打ちされたか、会社の人脈で探り当てたかでないと、成り立ちません。

ついでに、我が国の最初の電気計器メーカーとしての創業時のころの記述もぱらぱらと拾い読みしました。1917年から最初の国産電気計器の販売をはじめたそうですが、売り上げは順調に伸びたのに、利益はなかなか上がらなかったそうです。これは、製品は国産といっても、重要部品のほとんどを輸入するしかなく、コストが高くて利益が出なかったのだそうです。
今ではなかなか想像できませんが、日本の電気関係の製造業は、大正時代の後半から昭和になってようやく発展したものだったようです。

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