2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

旅行・地域

2017年10月 7日 (土)

本天沼の寺社 ATemple and a Shrine at Honamanuma

9月9日の記事「謎の乗瀦駅(2)」で、杉並区天沼の神社を紹介しましたが、そのときに、日大二高通りの北側の、本天沼の寺と神社の写真を積み残していましたので、紹介しておきたいと思います。
Img_2366s
          天沼山蓮華寺  Rengeji Temple, Honamanuma, Suginami-ku, Tokyo
室町時代の創建と伝えられるこの界隈では古い寺です。境内も広いようでした。ここには明治初期の貴重な文書が残っているそうです。
Img_2365s
          稲荷神社 蓮華寺の100mほど西にあります。
Img_2368s
          この5体の石仏は、本天沼ではなく、蓮華寺の脇から妙正寺川へ下る谷筋の道を東北に進み、早稲田通りを横切ってから、東へ家の方へ向かう途中の、中杉通り(鷺宮駅-阿佐ヶ谷駅)を横切るところにありました。うち一つの宝暦年間ものには、下鷺宮村という字がありますが、現在の住居表示では白鷺です。

2017年9月27日 (水)

天沼への道 Old Street to Amanuma, Suginami-ku

昨日、9月25日(火)は、「野方ホープ 中野店」というラーメン屋で昼食を食べ、ついでに前から気になっていた早稲田通りから例の杉並区天沼の日大二高通りへ通じる道を自転車で通ってみました。
思っていたより少し遠く、勘違いをしてうろうろしましたが、杉並区に入って間もなく、区立杉森中学校の先に入り口がありました。
Img_2532s
          The entrance to the street that leads to Amanuma. Wasedadori at right.
 
入り口の角には石仏が4つありました。庚申塔が一つ、地蔵塔が二つ、阿弥陀仏塔が一つです。
Img_2533s
 
説明の看板によると、一番古いのは庚申塔で、元禄十年(1697年)の銘があるとありますが、残念ながら読み取れませんでした。
Img_2537s
          Koshinto erected in 1697.
後の三つも1710年から1722年のもので、全部が相当に古いものです。やはり古くから人が通っていた大切な分かれ道であったことを示しているようで、来てみて良かったと思いました。
前に紹介した松山通りとの交差点までは、おそらく昔のままの狭い道で、一方通行になっていました。
 
おまけです。マグネティック・ループでしょうか。これなら敷地の端にあるタワーでも、エレメントがはみ出しませんが、向う側の空間がもったいないような気もします。
Img_2540st

2017年9月20日 (水)

飛鳥山続編 Asukayama, Kita-ku, Tokyo

その後日が経ってしまいましたが、9月10日に行った飛鳥山周辺には古代、中世ばかりでなく、近世、近代の歴史に関わるものがいろいろありますので、写真若干を紹介しておきます。
岩槻街道は、将軍が日光東照宮参詣のために通った日光御成道で五街道に次ぐ脇街道だったそうです。その一里塚と二本の榎が残っています。諸街道の整備は江戸時代の初期、17世紀のことで、ここのように榎が対の形で残っているのは珍しいそうです。(写真の右、歩道の脇にもう1本の榎がありますが、写っていません。)
 
Img_2407s
先日の記事でも触れたように6代将軍徳川吉宗が飛鳥山に桜を植えました。まだ在職中の元文2年(1737年)に作られたその記念碑があります。石碑はたくさんありますが、280年も前のこのように立派なもものは少ないと思います。
Img_2424s
 
桜の公園の東京側の隣接地には、明治34年(1901年)から昭和6年(1931年)まで渋沢栄一が住んだ渋沢家飛鳥山邸跡です。本宅は大戦の空襲で焼失しましたが、図書室である青淵文庫と離れの社交・応接室である晩香盧が残っています。
Img_2416s
渋沢栄一は明治初期から民間にあって約500社にのぼる会社、銀行などの設立、経営指導に携わったそうですが、初期のものの一つが洋紙の製造会社で、これが王子製紙株式会社になりました。最初の洋紙工場は、今の王子駅の前にあったそうです。住宅地としての環境だけでなく、そのことも飛鳥山に住んだ理由だったのかも知れません。

2017年9月12日 (火)

古代の豊嶋郡郡衙と中世平塚城(2) The Site of Ancient Toshima County Government

日曜日の散策レポートの続きです。
実際には、地下鉄南北線の西ケ原駅から、まず古代の豊嶋郡郡衙跡といわれる滝野川公園に行きました。
Img_2377s
          表の大通りからあまり遠くないところに、御殿前遺跡の碑があります。
                     The sign of the Gotenmae Remains. There was the government of Toshima County, Musashi Province during the ancient era.
 
Img_2376s
          複合的な遺跡だそうですが、平安時代の建物の跡は郡衙と推定されているとのことです。
公園は普通のもので、テニスコートや体育館もありますが、郡衙の遺物は何もありません。
飛鳥山公園の北区の飛鳥山博物館へ行けば、出土品などがあるようですが、隊長のコースには入らず、今回は行きませんでした。
 
Img_2385sa
公園の隣地、東南の都心寄りに平塚神社があります。ここが中世の平塚城のあったところとされています。豊嶋氏の本拠地でした。  Hiratuska Shrine, Kita-ku, Tokyo. There was the Hiratsuka Castle here in the medieval age.
 
Img_2402s
 
本殿の奥は入れないようになっていますが、甲冑塚とも鎧塚ともいわれる塚があるそうです。平らなので平塚という地名の元になったといわれています。
源義家にちなんだ伝説がありますが、私見では、古墳だったのではないかと思います。崖のすぐ上なので、侵食が進んで平らになってしまったのではないでしょうか。
Img_2394s
                    The backyard of the Hiratsuka Shrine, near the Takinogawa Park.
 
昔、世田谷区の等々力に住んでいたことがあります。等々力も、多摩川に臨む台地の縁で近くには等々力渓谷がありますが、台地の縁、渓谷にも近いところに野毛大塚古墳という古墳があります。
Img_2468s
          北西へ行ったところにある飛鳥山公園を過ぎると、石神井川の渓谷、音無渓谷があり、現在は親水公園になっています。写真は親水公園から王子神社(王子権現)に上がる参道です。  Steps to Oji Shrine from the Otonashi Gorge.
昔の街道はこの右手の渓谷から低地に出たあたりで川を渡り、神社の東側を上っていたのですが、昭和5年に渓谷の上を真直ぐに渡る新しい音無橋とバイパスができました。このため、写真の左側、神社の北西を街道が通っています。
Img_2474s
          音無橋の上から都心方面を望む。正面が飛鳥山公園。下に音無親水公園があります。 Asukayama Park from the Otonashi Bridge.
熊野本宮大社は、元は熊野川と音無川が合流するところの中州にあり、参拝をするためには音無川を歩いて渡って身を清めなければいかなかったそうです。このことから、王子権現に対して石神井川を音無川と見立てて、王子権現の辺りの川が音無川という名前となったようです。
ところで、「乗瀦駅」の読み方については、「あまぬま」説に分があるように思いました。なぜなら、「あまぬま」は、字はいろいろで、天沼、尼沼、甘沼などありますが、これらは原則として当て字と考えるべきで、字にかかわらず、地名として「あまぬま」はかなりあるものです。
一方、「のりぬま」という地名はネットで見る限りでは例が見当たらないようです。糊のようにねばねばした沼とか、海苔が生えている沼とかいう説もちょっと無理があると思います。
同時代の文書に、「乗」を「あま」、「あまり」と読ませる例があるとのことですから、それなら地名として自然な方に読むべきでしょう。
 

2017年9月11日 (月)

古代の豊嶋郡郡衙と中世平塚城 The Site of Ancient Toshima County Government

昨日、9月10日(日)は、我が家の隊長と飛鳥山、王子近辺へ行きました。古代の乗瀦駅と下総国府の間にあったという豊嶋駅の場所は諸説あるようですが、豊嶋郡衙の近くにあったという説が有力です。豊嶋郡衙は、北区西ヶ原の滝野川公園の中の、御殿前遺跡で発見されたことになっています。
そんな話を家でしたら、隊長が、その辺りは前にウォーキングで行ったことがあるから案内するというので、一緒に行くことになりました。
ただ、遺跡には何も遺物がなく、看板だけです。むしろ、初めて実地にこの辺りに行って、地理の認識を深めたことが有益でした。
昼食に入った京浜東北線王子駅近くの「北とぴあ」というビルの17階の展望室から見た風景から紹介してみたいと思います。
Img_2453s_2
          左が飛鳥山公園、右の木立が王子神社(王子権現)です。
          間の道路の右を注意深く見ていただくと、切れ目がありますが、ここが石神井川の旧河道です。現在は、音無親水公園になっています。本流は、飛鳥山の下をトンネルで抜ける分水路を流れています。
上野から続く武蔵野台地の東北の縁が、ここで石神井川によって分断されているのです。
渓谷になっていますが、高低差が大きく、昔は滝のような急流であったため(または、狭い渓谷の両側の崖に滝がいくつもあったため)、川は「滝野川」とも呼ばれ、それがこの辺の地名にもなりました。
 
Img_2454s
          飛鳥山公園から上野方面を見たところです。中央の高層ビルの左にも緑が見えていますが、その辺りが豊嶋郡衙跡の滝野川公園と平塚城址の平塚神社の緑地です。間に印刷局と病院があります。王寺駅が見えています。新幹線の高架の左に草が生えた石神井川の河道が見えます。
飛鳥山公園の向う、遠方には東京都心のビル群が見えています。
 
Img_2458s
          北西方向を見たところ。手前から伸びている高架道路が首都高速中央環状線です。写真の右端あたりで隅田川を渡っています。その辺りが石神井川の隅田川合流点です。隅田川が蛇行して、王子の近くで台地に近付いていることが分かります。
 
Img_2459s
          東を見たところ。隅田川が石神井川の合流点から東に流れています。下総国府の国府台は、写真の右端の方向かと思います。
 
Img_2439s
          反対側、西南方向の望遠撮影です。中央に中野サンプラザが見えています。杉並区天沼は右端辺りの方角でしょうか。こちらは武蔵野台地で、ずっと基本的には平坦です。
また、石神井川沿いの低地を西へ進むと、板橋、練馬を経て石神井池へとつながっています。
 
このように、飛鳥山、王子の辺りは交通の要衝であり、水利の便にも恵まれ、軍事的にも重要地点でした。そのようなことから、古代には郡衙が置かれ、中世には豊嶋氏の本拠地として栄えたことが肯けます。
中世には、豊嶋郡あたりが、名目上紀州熊野の熊野権現領とされたそうで、そのことから、豊嶋氏が権現の王子である若一王子を勧請し、王子権現となったとのことで、「滝野川」は河川の名前から、「王子」は宗教施設の名前から、それそれ地名となりました。
東京都23区制の前の35区制では、主に台地側の滝野川区と主に低地側の王子区の二つの区が置かれていました。合併で、北区という、名前からはすぐに場所を推測しにくい名前に変わりました。
 
Asukayama Park near Oji station in Kita-ku, Tokyo, is at the point where the Shakujii River flows out from the Musahino Terrace to the Sumida River low land. The place is important from transportation and military stand point. Therefore, there was the government of the ancient (8 - 12 centuries) Toshima county, and the Hiratsuka Castle, where medieval lord of Toshima clan had their home.

2017年9月 9日 (土)

謎の乗瀦駅(2) Where Was the Ancient Amanuma/Norinuma Station?(2)

昨日、9月8日(金)は、一昨日の杉並区天沼、本天沼訪問が中途半端だったのと、天気も良かったので、自転車で主に天沼の町内をまわってみました。
家の近くのイメージから、明治初期の旧村の名残があるかと思いましたが、中央線の駅に近いところのためか、もともと小さな村で農家が点在するところだったためか、ここが中心というところは分かりませんでした。鎮守の熊野神社、八幡神社、消防署出張所、小学校などをまわってきました。
撮ってきた写真を並べてみます。
Dsc_0683s
          日大二高通り(右)の入り口。左が南の中央線阿佐ヶ谷駅へ通じる松山通、手前は少しクランク状ですが、北の西武新宿線鷺宮駅に通じる道で、すぐ近くで中杉通に合流します。
日大二高通りは、ここの500mくらい東で早稲田通りから30度くらいの浅い角度で二股状に分岐し、ほぼ真西へ向かって、青梅街道に合流します。この通りを境に、南が天沼、北が本天沼になり、台地の尾根筋になります。天沼地区の南は桃園川の低地、本天沼地区の北は妙正寺川の低地です。
Img_2339s
          日大二高通り沿いにある公共施設、荻窪消防署天沼出張所。
Img_2364s
          同じく二高通り沿いにある天沼小学校。
Img_2342s
          日大二高の西を南に少し入った辺りにある天沼熊野神社。
Img_2349s
          熊野神社から曲がりくねった細い道を西へ行ったところの天沼八幡神社。
背後にある南へ向かう道は商店街になっていて、進むと青梅街道に出ます。
Img_2356s
          青梅街道への出口。左は中央線に架かる陸橋。すぐ右に荻窪駅への入り口。
Img_2362s
          八幡神社の少し西にある天沼弁天池公園の池。元はもっと大きな池で水が湧いていたようで、桃園川の源流だったようです。
八幡神社の前の辺りには、桃園川が暗渠となってその上が遊歩道になっています。
小さな川なので、谷も浅く、あまり高低差を感じませんが、昔の写真だと、八幡神社の前は田圃で、その低地帯が熊野神社の前に続き、東隣の阿佐ヶ谷村に続いていました。阿佐ヶ谷は、浅ヶ谷で、地形の特徴を表していたようです。
妙正寺池の辺りは、大正時代の地図では井草川が池の北へ湾曲して続いており、現在も遊歩道になっています。古代の「乗瀦」は、このような浅い谷の小さい沼よりも、妙正寺池付近の方がふさわしいような気がしますが、どうでしょうか。
天沼、本天沼地区は、日大二高通りから少しはずれると、道が細く、曲がりくねっていて、区画整理がきちんとされている下井草などとはずいぶん違います。
警視庁荻窪警察署のホームページには、所轄管内でも天沼は旧杉並町で、当時の町長が街づくりに意欲的に取り組んだ旧井荻村・井荻町と違い、区画整理がないまま市街化が進んでしまったとありました。
 
自動車で動いたりするには不便でしょうけれど、散歩や自転車での探訪には、風情があって良い面もあります。
Img_2341s
          中央線の駅にも近いので、住宅が建て込んでいますが、中には昔からの地付きの家ではないかという屋敷もありました。
 

2017年9月 7日 (木)

謎の乗瀦駅 Where Was the Ancient Amanuma/Norinuma Station?

家の近くに区立の歴史民俗資料館があります。ちょっと不謹慎ですが、無料なので、散歩の途中で館内に入り、2階へ階段を上がって一回りして、散歩にバリエーションを付けることが多いです。2・3日前は、どういう加減か、展示を少し丁寧に見たくなり、古代の展示パネルを見ると、武蔵国府(現府中市)から下総国府(現市川市国府台)へ通じる官道が区内を通っていたとあり、地図があって二つの国府を結んだ線上に、乗瀦駅、豊島駅という二つの駅が丸印で示してありました。乗瀦駅は、区の西側のあまり遠くないところに描いてあります。このような字を見るのは初めてでしたが、ふりがなもありません。
好奇心をそそられ、帰宅してからさっそくネットで探したり、漢和辞典に当たったりしてみました。
「瀦」は、「さんずい」と「者」の間の「いのこへん」を「けものへん」にした字もあり、画数が19だったり15だったりしますが、水溜まりの意味で、「ぬま」と読むそうです。
「乗」は普通「のり」ですが、使われたのが昔の文書なので、余剰の「剰」の右側の「りっとう」を略した用例があるとして、「あまる」、「あま」と読む説があるそうです。
そうなると、「あまぬま」となり、杉並区にある天沼にあったのではないかという説が有力のようです。
一方、「のりぬま」だとすると、「ねりま」と近いので、練馬にあったという説もあります。
天沼というところは、ときどき目にしたりはしますが、電車の駅などがないので、どの辺りかすぐには分かりませんでした。地図を見ると、最寄りの西武新宿線で4つ目の下井草駅から南へ行くと、本天沼というところになるようです。
天沼は、中央線の荻窪駅の北側辺りで、西武新宿線からはちょっと遠いようです。
今日は小雨が降ったり止んだりでしたが、昼に駅のそばまで昼食を食べに行ったついでに、本天沼の辺りまで行ってみました。
「本天沼郵便局」を探して行くと、妙正寺川の左岸、下井草のはずれあたりにありました。
Dsc_0672_s
                    本天沼郵便局。妙正寺川に架かる寺前橋が右端に見える。
          Hon-Amanuma Post Office, Suginami-ku, Tokyo.
川を少し遡ると妙正寺池があります。
ネット情報では、天沼の沼は弁天池ということになっています。ただ、古代の地名の場合、近世の村のように境界が決まっていたかどうか分かりませんから、1キロほど北の妙正寺池のことだったかも知れないと思います。
Dsc_0676_s
          Myoshojiike Pond, Suginami-ku, Tokyo.
 
古代の官道は、基本的に直線であったということから、豊島駅は谷中の辺りに比定されているようです。それにしても、東京の中でこれだけ工事などがあるのに、官道の遺跡らしいものは発見されていないのでしょうか。
また、23区西部の武蔵野台地は、いくつかの池や沼から川が流れ出て、小さい谷を作っており、直線の道を作ると、アップダウンを繰り返すことになって、通行しにくいように思います。川沿いに進むか、台地の上を進むかが自然ですが、そういう例は無いのでしょうか。
 
天沼熊野神社のホームページの「古道散策」のところに天沼の今昔が載っています。
 
There was an ancient highway connecting the capitals of Musashi and Shimousa Provinces during the 8th century. There were two stations to supply and provide horses along the road, namely Amanuma or Norinuma and Toshima. The pronounciation and the site of Amanuma/Norinuma station is not known for sure, but some say that it was in Amanuma neighborhood of Suginami-ku, Tokyo.
 

2017年8月 3日 (木)

お堂の公園散歩 Walking in the Temples Park

昨日、8月2日(水)は、とても涼しくて過ごしやすい日でした。パラパラと雨が降って、傘が必要でしたが、近所のお堂の公園を通って昼食をとりに行き、往きと帰りに階段上り7本をしました。
Dsc_0558s
濃い緑にすっかり覆われていますが、木立の中に6コース、右の方の躑躅の植え込みの明るいところに2コースの階段があります。
前に紹介した二元衢の階段、77場中44番は、真ん中あたりにあります。
Dsc_0559s
ぞろ目のところとしては、上の高台の木立と開けたところの境の隅に、55番の「帰納場」がありますが、ここは何も説明看板がありません。
The Induction Spot, No. 55, one of 77 spots corresponding to the concepts of philosophy designed bu Enryo Inoue.
ここへ通じる階段の中間、踊り場状のところには、「演繹観」という名の小さい傘型のあずま屋があり、59番です。

一昨日の記事で書いたCQ誌8月号の「日本のIOTAナンバー」の表が気になって、気が付いた不十分と思われる点を修正し、もとのRSGBリストの記載もなるべく尊重して、表を作り、当ブログの「ウェブページ」に置いてみました。
来年のIOTAコンテストまで、見る方も少ないと思いますが、もしお気づきのことがありましたら、お知らせください。
A list of the IOTA references in Japan in Japanese was compiled and published in the web page section of this blog. The names of island groups in the list were chosen by consulting the maps published by the national Geographic Survey Institute. Hope it may be useful not only for Japanese amateur radio operators but Chinese and Korean operators.
 
 

2017年6月11日 (日)

印旛沼移動余話

今回の印旛沼沿岸移動で宿泊したキャンプ場は市営だったためか、印旛沼や佐倉市関係のパンフレットがいろいろ置いてあり、自由に持ち帰りができました。
すでに紹介した佐倉市発行の「もっと知りたい!印旛沼 印旛沼ミニ・ガイドブック」はハンディーで便利ですが、千葉県・印旛沼流域水循環健全化会議発行の「里沼ウォーキングマップ 印旛沼」というものもいただきました。広げるとデスクくらいになる大きなもので、片面は1/25,000で元の印旛沼すべてと周辺の丘陵地をカバーしており、もう片面は1/50,000で、千葉市の南部まで広がる印旛沼の流域がすべて入っています。色刷りの無料で良いのかと思ってしまうほど上質のものでした。
 
これらの資料にも助けられ、このところしばらく足が遠のいていて、頭の中で所在がぼんやりしていた千葉県北部の都市の位置関係やそれぞれの性格を復習することができました。
印旛沼の頭のように見える現在の北印旛沼の東にある台地の上に成田市の旧市街、成田山新勝寺の門前町があります。その台地の東側にはまた広い低地があり、根木名川(ねこながわ)が利根川に注いでいます。
根木名川の東の台地は利根川の右岸、南側に続き、一度小野川で途切れますが、この小野川の河口から川沿いできた河港の町が佐原です。佐原の東の丘陵に香取神宮が鎮座しています。(その境内は国定公園区域になっています。)
佐原の北、利根川の対岸は水郷で、霞ヶ浦、北浦にも水路が通じていますから、水運の要として賑わったことは肯けます。
Sawaranamegawa_ss
 
香取神宮、佐原の伊能忠敬旧宅、下総神崎(こうざき)の神崎神社など、行ったことがありますけれど、大昔だったり、そこのポイントだけ行って周辺との関係に注意していなかったりでした。
 
この際、もう少し知っておこうと、利根川左岸の茨城県某町の出身で、高校は佐原に行ったという知人H君の話を聞いてみることにし、一昨日、9日(金)の昼に食事をしながら話をききました。
 
Photo
        佐原の伝統的建造物群(香取市ホームページより。
        http://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/machinami/hozonchiku.html )
 
通学は昭和30年代の半ば、東京オリンピック開催前のことです。
千葉県立大利根自然公園、JAFF-0204、が利根川の10キロほど上流の下総神崎から佐原市の水郷筑波国定公園区域が始まるところまで、利根川河川敷に指定され、また市街の西の台地のあたりも自然公園の区域になっています。地図で見ると寺社が多いようですが、H君によると、京都でいえば嵐山のようなところなのだそうです。区域の南端あたりにある観福寺という寺は、境内も広く、一見の価値のあるところだそうです。
 
高校は佐原駅から徒歩15分くらいのところにあり、普通は一番近い静かな道を歩くのだそうですが、港町なので、花街もあり、そちらに寄り道した人もいて、そのような所業が嵩じた結果、卒業できなくなったケースもあり、入学数と卒業数が10人以上違っているそうです。ただ、卒業しなかったクラスメイトとの再会を楽しみにしている級友もあり、原則として3学年次のクラスで開くクラス会を別の学年次で開こうという人もいて、そのような会も持ったことがあるとのことでした。
 
普通でいえば越境入学なので、どうしたのかと聞いてみましたが、通った高校の学区に、はじめから茨城県が含まれていて、何のやましいこともなかったのだそうです。それには、出身地がもともとは千葉県で、明治32年になって茨城県に編入されたという歴史も関係しているようです。利根川本川の流路も長い間に変化してきたので、そのようなことになったのかも知れません。
今回地図を良くみて、佐原市のところで、利根川の左岸の水郷のあたりまで千葉県で、利根川が千葉・茨城両県の県境と考えるのは間違いであることを知りました。
 
現在では利根川に架かる橋も増えていますが、当時はまだ少なく、通学には渡船と成田線を利用して、列車待ち時間も入れると1時間以上かかっていたそうで、春先の強風のときの渡河など、今から思えばかなり危険なこともあったといっていました。
H君の出身地の旧村のことなど、興味深い話も聞けましたが、何か機会のあるときにでも紹介したいと思います。
 

2017年5月29日 (月)

玉川上水散策 Walking along the Tamagawa Josui Waterway

昨日、5月28日(日)は京王井の頭線の久我山駅が最寄りの場所に行ったついでに、駅の近くで昼食を済ませました。そのまま帰っても良かったのですが、思い立って玉川上水沿いを歩いて、JR吉祥寺駅まで行ってみました。
昔、短い間ですが近くに住んでいたことがあったので、自転車で通ったりしたことがあったかも知れませんが、もうすっかり忘れています。
駅から人見街道を西へ進み、上水に当たったあたりは、道路整備の工事中でした。すぐ近くに「どんどん橋」があり、古い石碑が二つ立っていました。
Dsc_0481s
左は供養塔で宝暦七年とあります。1757年ですからかなり貴重なものです。右の橋名を書いた碑は道標も兼ねていて右側面に「右ふちう?」とありますので、府中方向ということでしょう。橋そのものは何度も架け替えられて、碑のころのものは残っていないようです。「どんどん」というのは水量が豊かだった上水の流れる音がどんどんと聞こえたからとネットにありました。
 
西へ向かうと水路がかなり湾曲していました。これはもっと東の幡ヶ谷、初台付近や西の小金井付近には見られないことです。
東橋(あずまばし)付近が湾曲の頂点のようでした。
Dsc_0486s
木々が鬱蒼と茂っているので写真では分かりにくいのですが、下流に向かって右側は地盤が高く、土手も自然に掘ったままです。左側は盛り土してあり、堤の外は少し低くなっています。説明の看板もあり、この辺りの地形が複雑であったため、上水を一定の勾配で保つためにはそのルートも湾曲したものにならざるを得なかったようです。
井の頭橋から上水を離れ、ややまばらな商店街のような道を西へ進みました。そのまま行くと井の頭公園の南側に行ってしまうので、途中で右の住宅街に入り、公園の池の東の端に近いあたりに出ました。
 
Dsc_0491_2s
 
日曜日で賑わう公園の中を歩き、池の中の橋から北へ折れてJR吉祥寺駅に着きました。
 
 

より以前の記事一覧