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旅行・地域

2017年12月 4日 (月)

小石川後楽園の秋

2016年3月30日 (水)の記事で小石川後楽園を取り上げました。11月27日(水)にまた行く機会がありました。ちょうど紅葉の盛り、お天気も小春日和の散策には最適で、平日なのに入場券売り場には行列ができていました。

実は今回も高校のクラス会でした。前回は参加した事前の散策に参加しなかったので、園内散策は、終了後に集合写真を撮るためにぞろぞろと入ったついでに、近いところをちょっと歩いただけでした。
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          Koishikawa Korakuen, Tokyo, on November 27, 2017.
This garden was owned by the Tokugawa family of Mito, one of the three most honarable relatives of  Shogun, from the 17th century till 19th century.
前回から万年幹事を引き受けてくれたS君のおかげで、毎回名園鑑賞を兼ねたクラス会です。会場の涵徳亭からは、ガラス窓越しに庭が良く見えていました。
1年半ごとにやろうということになり、次回は2019年の春です。今回、同じ会場での茶菓の二次会だけに駆けつけて来た級友が、まだ仕事をしていて平日は都合が付かないというので、次回は週末になりました。桜の季節の週末は競争が激しいと思いますが、S幹事の頑張りと強運で、抽選を勝ち抜いてほしいものです。元気に参加できると良いのですが、どうなるでしょうか。1年半前にはあまり気にならなかったことが、さすがに気になるようになってきました。

2017年11月13日 (月)

狭山茶の里ウォーキング Walking in Sayama, Saitama

昨日、11月12日(日)は、朝起きて新聞を取りに玄関を出たら、空が真っ青、快晴でした。我が家の隊長は、また鉄道沿線ウォーキングに行くといって張りきっています。管理人は、週に一度行けば十分なので、行かないといってあったのですが、このお天気で家にいるのはもったいないと思いました。また、コースに10キロと6キロのオプションがあり、6キロならそれほど負担ではなさそうなので、急遽行くことにしました。
隊長は、やや渋々ですが、6キロコースに付き合ってくれました。

西武新宿線の終点の新川越駅の二駅手前にある「新狭山駅」から、一駅新宿寄りの「狭山市駅」まで、鉄道線路の西方を南西から北東へ流れている入間川まで行って、狭山大橋という橋を渡り、河川敷の左岸側の遊歩道を歩いて、昭代橋という橋で右岸側に戻って駅に至るコースでした。
10キロコースは左岸の遊歩道をそのままさらに広瀬橋まで行き、稲荷山公園に寄って、新狭山駅へ戻るものでした。コースはすべて埼玉県狭山市の中でした。
「狭山茶の里ウォーキング」と銘打ち、西武鉄道の他に、狭山市と狭山市自治会連合会が主催者に名を連ねていて、案内図のパンフレットもカラー刷りで立派なものでした。
橋の上などでは風が強く、帽子を飛ばされないように気を付けなければなりませんでしたが、その代わりに遠くの山々がくっきりと見えました。

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          狭山大橋から見た富士山。Mt. Fuji.

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          狭山大橋から下流、川越方面を望む。
          Iruma River from the Sayamaohashi Bridge.

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          陽射しを受けて光る薄の穂。

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          昭代橋付近、6キロコースと10キロコースの分岐点。
          The point where the 6km course splits from the 10km course.
途中の休憩場所ではテントの出店でお饅頭、稲荷ずしなどが買えました。
ゴールインすると、とん汁の無料サービスがあり、狭山茶クッキー、ミニカレンダー、クリアーファイルといったお土産もいただけました。

西武線の線路は川よりも高い段丘面の上を通っているようですが、南方の狭山丘陵からだんだんと低くなっているようで、地形図で見ると、河川敷との高低差は、新狭山駅付近では約10m、狭山市駅付近では約25mのようです。
 
いつものように、上もときどき見上げていましたが、昨日はアンテナが載っていないタワーが一つ見つかっただけでした。

Went for walking in Sayama City, Saitama yesterday, Sunday, November 12. The main part of the course was the lane along the Iruma River. My wife and I enjoyed the walk on a beautiful fall day with a clear sky.
 

2017年11月 9日 (木)

東大和市・多摩湖畔ウォーキング Walking around Lake Tama

東京都東大和市は、狭山丘陵の南、青梅街道に沿った5村が合併し、町制時代を経て1970年に市となったところだそうです。東側に東村山市、西側に武蔵村山市があり、紛らわしくて覚えにくいエリアです。東大和市は、多摩湖(村山貯水池)の全域を市域に含んでおり、村山は狭山丘陵の別称ですから、「村山」とか「狭山ヶ丘」とかという名前であれば分かりやすかったかも知れません。

昨日、11月8日(水)は、我が家の隊長から西武線沿線ウォーキング参加の誘いがありました。ウォーキングは先週に行ったばかりだし、コースは日曜日に行ったところの近く、天気も思わしくないようなので、迷いましたが、暑くも寒くもなく、歩きやすい時候なので、行くことにしました。

コースは、西武拝島線の東大和市駅からスタートし、八幡通りを北へ進み、新青梅街道、空堀川、青梅街道(旧道)、奈良橋川を横切り、丘陵の裾にある市立郷土博物館に寄り、その裏手の八幡神社を経て、多摩湖周回道路に出ていました。そこは、多摩湖全体ではほぼ中央部、上下に分かれていますが、下の貯水池では上下の境の堰堤まで5分の1くらいのところでした。そこから堰堤を北側へ抜け、周回道路を主堰堤の北端まで行き、その直下の西武多摩湖線西武遊園地駅がゴールでした。

約9キロのコースで、9時40分ごろスタートし、12時10分ごろにゴールインしました。途中からパラパラと小雨が降ってきて、隊長は傘をさして歩いていましたが、当方は帽子だけで大丈夫でした。周回道路の多摩湖側は水道局用地で、天然林に近い森なので、豊かな自然を見ながら歩けました。その代わり、湖面が見えた場所はほんの少しでした。コース名も「秋深まる多摩湖畔を歩く」というものです。

Dsc_0807s           八幡神社の参道。

Dsc_0809s           八幡神社。参道の階段を登ると、ほぼ丘陵の尾根筋と同じ高さでした。

多摩湖の上下を分ける堰堤から多摩湖の東側部分、主堰堤方向を望んだところです。

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日曜日はこの堰堤の上を車で走りました。道が狭く、対面交通の2台でぎりぎりなので、歩行者はどうするのかなと思ったら、堰堤の下の方に歩道があり、そこまで下りてまた登るようになっていました。

新青梅街道から多摩湖中央堰堤の北端までは、日曜日に車で行ったところですけれど、ウォーキングの設定コースはカーナビの案内とは違い、車用の幹線道路は避けた設定でした。車で走ったコースなら1キロくらい短かったでしょう。

 

Went to a walking in Higashiyamato City, Tokyo, and walked about half of the perimeter ridge of Lake Tama (Murayama Reservoir) with my wife yesterday, November 8. The course was about 9km long and it took about two hours and a half to reach the goal at Seibuen station.

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2017年11月 2日 (木)

西武多摩川線沿線ウォーキング Walking in Fuchu City, Tokyo

西武鉄道多摩川線は、武蔵野市のJR中央線武蔵境駅から南西に進み、府中市の南部、多摩川左岸の堤防に近い是政駅に至る約8kmの、他の西武線とは接続しない孤立した路線です。今年は開業100周年になるそうで、昨日、それを記念したウォーキングのイベントがありました。
こちらはしばらくウォーキングから遠ざかっていましたが、今月の中旬までに参加しないと、カードに貯まったポイントが失効してしまいます。昨日のコースは8kmと軽めのもので、普通は50ポイントのところ、特別に100ポイントが付くとのことで、参加してきました。いつも一緒の我が家の隊長は、都合が悪く、一人での参加でした。
初夏のころから、足が重く感じられる日が多く、散歩の距離も短めになっていたので、完歩できるか少し不安でしたが、時候の良さにも助けられ、休憩2回を入れて2時間半ほどでゴールしました。

コースは、線の終点の一つ手前、競艇場前駅から終点の是政駅まででした。駅間は1kmくらいしかありませんが、まず北へ進んで京王線の多磨霊園駅の北側まで行き、西へ折れて京王線の枝線の府中競馬正門前駅の前を通り、府中市中心部に近い大國魂神社を経て今度はJR武蔵野線、南武線を渡り、緑道を利用して大回りしながらずっと府中郷土の森公園まで南下し、最後に東へ2kmほど戻って是政駅に着くというものでした。
コースは東京競馬場の外周を大まわりに回るようなもので、およそ北半分、前半は府中崖線の付近で上がり下がりがありましたが、高低差は10m未満です。後半は下の沖積低地を歩くようになっていました。
競馬場は低地にあり、東門の前を通りました。東門の門内は一般公開されていて、入ることができ、ここでしばらく休憩しました。保育園の児童なども来ていました。
競馬場は、テレビではたまに見ており、先週の週末にも菊花賞の中継を見たばかりでしたが、場内に入るのは初めてでした。さすがに広々としたものです。

Dsc_0768_2_s                       Tokyo Race Course, Fuchu City.
馬場があり、馬場馬術の練習をしていました。馬は競走馬ではないそうです。

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京王線の府中競馬正門前駅の駅前あたりから西へ行く道は「京所道(きょうずどう)」というそうです。ネットで少し調べたところでは国府の「写経所」と関係がありそうだということです。
この道が大國魂神社の東の脇の鳥居に続きますが、ガイドマップに武蔵国府跡があったので、寄り道して見ました。神社境内の東の縁をほんの100mほど北へ行くと、礎石に合わせて赤い柱が立ててありました。国衙、国府の役所の建物があった地区だそうです。


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                    The remnants of Musashi Kokuhu (provincial government office).
                    Designated national historical site.
先般から取り上げている武蔵国府から乗瀦(あまぬま)を通って豊嶋郡衙に至る道の起点がここだったのです。
現地のガラス張りの展示館に「ふちゅう地下マップ ― 発掘! ここまでわかった武蔵国府」というパンフレットがあり、東山道武蔵道や国府国分寺連絡路という南北方向の直線道路が描いてありますけれど、残念ながら東北方向へ向かう道路跡は、まだ見つかっていないようです。

JRA競馬博物館、大國魂神社宝物殿、郷土の森博物館などの近くまで行きましたが、昨日は中には入りませんでした。武蔵境には少し縁ができたので、いつかまた機会があれば、行って見ようかと思います。
今までほとんど土地勘がなかった地域のコースで、行ってみて良かったと思いました。

2017年10月17日 (火)

旧陸軍電信隊・鉄道大隊演習用地遺構 Remains of the Signal Battlion, IJA.

今日も積み残しの話題で申し訳ありません。

9月26日に自転車で早稲田通りから杉並区天沼へ行ったときに、中野の四季の森公園の西の端に少し寄り道しました。

手持ちの古い地図があります。「大正8年10月25日印刷 同10月30日発行 著作権所有者印刷兼発行者 大日本帝国陸地測量部」「定価金弐拾銭」とあり、すでに著作権の期間は過ぎているので、コピーをネットに出しても良いものと理解しました。
天沼の昔の姿から何か分からないかと見たのですが、当然のことながら、古代のことは何も分かりません。ただ、地図を良く見ると、先日紹介した日大二高通りの南に、それと並行するような幅が一定の土地があり、凡例がありませんが、電信線のような記号が中心に入っています。東の端は中野の旧陸軍電信隊用地、現在の四季の森公園に続いているように見えます。その線を青鉛筆でなぞってみました。

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               A map published in 1919. It shows the parts of Suginami-ku and Nakano-ku, Tokyo 100 years ago. The blue line indicates former premises for exercises of the Signal Battalion.
          (縮尺は5万分の1ですが、3割ほど拡大してあります。)

ネットで少し見てみると、一見分からない様々な遺構を探して調べる趣味の人がいるようで、これは電信隊の演習用地であったと分かりました。
陸軍用地となった初期には、電信隊に鉄道大隊が併設されていた時期があったので、鉄道大隊の鉄道敷設演習の用地でもあったと推測されます。
なぜなら、四季の森公園から現在の環状7号線までのあたりまで、カーブを描いて通じている道路があるからです。
自転車でこのカーブした道に行ってみました。

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                    A curved narrow street near the former Signal Battalion and Railway Battalion, Imperial Japanese Army.

細い用地は現在の日大二高のところで終わっています。同校の「・・・用地の東側は陸軍中野電信隊の演習地・・・」とする記事があります。もっとも学校用地に元陸軍用地が含まれていたのかははっきりしません。ただ、当時の杉並町長は、岩崎初太郎という陸軍少将だったそうです。
http://www.amanumakumano.org/history/#story06

なお、鉄道大隊に関連して、方向は反対の方ですが、我が家の散歩圏内に、鉄道大隊用に1921年にドイツから輸入された機関車が保存されています。これが輸入されたころは、鉄道大隊は、すでに千葉県に移転し、鉄道連隊となっていました。

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                    A steam engine imported from Germany in 1921 for the Railway Regiment. The unit had been moved from Nakano to Chiba and promoted to a regiment when this engine came to Japan.
 

2017年10月 7日 (土)

本天沼の寺社 ATemple and a Shrine at Honamanuma

9月9日の記事「謎の乗瀦駅(2)」で、杉並区天沼の神社を紹介しましたが、そのときに、日大二高通りの北側の、本天沼の寺と神社の写真を積み残していましたので、紹介しておきたいと思います。
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          天沼山蓮華寺  Rengeji Temple, Honamanuma, Suginami-ku, Tokyo
室町時代の創建と伝えられるこの界隈では古い寺です。境内も広いようでした。ここには明治初期の貴重な文書が残っているそうです。
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          稲荷神社 蓮華寺の100mほど西にあります。
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          この5体の石仏は、本天沼ではなく、蓮華寺の脇から妙正寺川へ下る谷筋の道を東北に進み、早稲田通りを横切ってから、東へ家の方へ向かう途中の、中杉通り(鷺宮駅-阿佐ヶ谷駅)を横切るところにありました。うち一つの宝暦年間ものには、下鷺宮村という字がありますが、現在の住居表示では白鷺です。

2017年9月27日 (水)

天沼への道 Old Street to Amanuma, Suginami-ku

昨日、9月25日(火)は、「野方ホープ 中野店」というラーメン屋で昼食を食べ、ついでに前から気になっていた早稲田通りから例の杉並区天沼の日大二高通りへ通じる道を自転車で通ってみました。
思っていたより少し遠く、勘違いをしてうろうろしましたが、杉並区に入って間もなく、区立杉森中学校の先に入り口がありました。
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          The entrance to the street that leads to Amanuma. Wasedadori at right.
 
入り口の角には石仏が4つありました。庚申塔が一つ、地蔵塔が二つ、阿弥陀仏塔が一つです。
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説明の看板によると、一番古いのは庚申塔で、元禄十年(1697年)の銘があるとありますが、残念ながら読み取れませんでした。
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          Koshinto erected in 1697.
後の三つも1710年から1722年のもので、全部が相当に古いものです。やはり古くから人が通っていた大切な分かれ道であったことを示しているようで、来てみて良かったと思いました。
前に紹介した松山通りとの交差点までは、おそらく昔のままの狭い道で、一方通行になっていました。
 

2017年9月20日 (水)

飛鳥山続編 Asukayama, Kita-ku, Tokyo

その後日が経ってしまいましたが、9月10日に行った飛鳥山周辺には古代、中世ばかりでなく、近世、近代の歴史に関わるものがいろいろありますので、写真若干を紹介しておきます。
岩槻街道は、将軍が日光東照宮参詣のために通った日光御成道で五街道に次ぐ脇街道だったそうです。その一里塚と二本の榎が残っています。諸街道の整備は江戸時代の初期、17世紀のことで、ここのように榎が対の形で残っているのは珍しいそうです。(写真の右、歩道の脇にもう1本の榎がありますが、写っていません。)
 
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先日の記事でも触れたように6代将軍徳川吉宗が飛鳥山に桜を植えました。まだ在職中の元文2年(1737年)に作られたその記念碑があります。石碑はたくさんありますが、280年も前のこのように立派なもものは少ないと思います。
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桜の公園の東京側の隣接地には、明治34年(1901年)から昭和6年(1931年)まで渋沢栄一が住んだ渋沢家飛鳥山邸跡です。本宅は大戦の空襲で焼失しましたが、図書室である青淵文庫と離れの社交・応接室である晩香盧が残っています。
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渋沢栄一は明治初期から民間にあって約500社にのぼる会社、銀行などの設立、経営指導に携わったそうですが、初期のものの一つが洋紙の製造会社で、これが王子製紙株式会社になりました。最初の洋紙工場は、今の王子駅の前にあったそうです。住宅地としての環境だけでなく、そのことも飛鳥山に住んだ理由だったのかも知れません。

2017年9月12日 (火)

古代の豊嶋郡郡衙と中世平塚城(2) The Site of Ancient Toshima County Government

日曜日の散策レポートの続きです。
実際には、地下鉄南北線の西ケ原駅から、まず古代の豊嶋郡郡衙跡といわれる滝野川公園に行きました。
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          表の大通りからあまり遠くないところに、御殿前遺跡の碑があります。
                     The sign of the Gotenmae Remains. There was the government of Toshima County, Musashi Province during the ancient era.
 
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          複合的な遺跡だそうですが、平安時代の建物の跡は郡衙と推定されているとのことです。
公園は普通のもので、テニスコートや体育館もありますが、郡衙の遺物は何もありません。
飛鳥山公園の北区の飛鳥山博物館へ行けば、出土品などがあるようですが、隊長のコースには入らず、今回は行きませんでした。
 
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公園の隣地、東南の都心寄りに平塚神社があります。ここが中世の平塚城のあったところとされています。豊嶋氏の本拠地でした。  Hiratuska Shrine, Kita-ku, Tokyo. There was the Hiratsuka Castle here in the medieval age.
 
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本殿の奥は入れないようになっていますが、甲冑塚とも鎧塚ともいわれる塚があるそうです。平らなので平塚という地名の元になったといわれています。
源義家にちなんだ伝説がありますが、私見では、古墳だったのではないかと思います。崖のすぐ上なので、侵食が進んで平らになってしまったのではないでしょうか。
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                    The backyard of the Hiratsuka Shrine, near the Takinogawa Park.
 
昔、世田谷区の等々力に住んでいたことがあります。等々力も、多摩川に臨む台地の縁で近くには等々力渓谷がありますが、台地の縁、渓谷にも近いところに野毛大塚古墳という古墳があります。
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          北西へ行ったところにある飛鳥山公園を過ぎると、石神井川の渓谷、音無渓谷があり、現在は親水公園になっています。写真は親水公園から王子神社(王子権現)に上がる参道です。  Steps to Oji Shrine from the Otonashi Gorge.
昔の街道はこの右手の渓谷から低地に出たあたりで川を渡り、神社の東側を上っていたのですが、昭和5年に渓谷の上を真直ぐに渡る新しい音無橋とバイパスができました。このため、写真の左側、神社の北西を街道が通っています。
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          音無橋の上から都心方面を望む。正面が飛鳥山公園。下に音無親水公園があります。 Asukayama Park from the Otonashi Bridge.
熊野本宮大社は、元は熊野川と音無川が合流するところの中州にあり、参拝をするためには音無川を歩いて渡って身を清めなければいかなかったそうです。このことから、王子権現に対して石神井川を音無川と見立てて、王子権現の辺りの川が音無川という名前となったようです。
ところで、「乗瀦駅」の読み方については、「あまぬま」説に分があるように思いました。なぜなら、「あまぬま」は、字はいろいろで、天沼、尼沼、甘沼などありますが、これらは原則として当て字と考えるべきで、字にかかわらず、地名として「あまぬま」はかなりあるものです。
一方、「のりぬま」という地名はネットで見る限りでは例が見当たらないようです。糊のようにねばねばした沼とか、海苔が生えている沼とかいう説もちょっと無理があると思います。
同時代の文書に、「乗」を「あま」、「あまり」と読ませる例があるとのことですから、それなら地名として自然な方に読むべきでしょう。
 

2017年9月11日 (月)

古代の豊嶋郡郡衙と中世平塚城 The Site of Ancient Toshima County Government

昨日、9月10日(日)は、我が家の隊長と飛鳥山、王子近辺へ行きました。古代の乗瀦駅と下総国府の間にあったという豊嶋駅の場所は諸説あるようですが、豊嶋郡衙の近くにあったという説が有力です。豊嶋郡衙は、北区西ヶ原の滝野川公園の中の、御殿前遺跡で発見されたことになっています。
そんな話を家でしたら、隊長が、その辺りは前にウォーキングで行ったことがあるから案内するというので、一緒に行くことになりました。
ただ、遺跡には何も遺物がなく、看板だけです。むしろ、初めて実地にこの辺りに行って、地理の認識を深めたことが有益でした。
昼食に入った京浜東北線王子駅近くの「北とぴあ」というビルの17階の展望室から見た風景から紹介してみたいと思います。
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          左が飛鳥山公園、右の木立が王子神社(王子権現)です。
          間の道路の右を注意深く見ていただくと、切れ目がありますが、ここが石神井川の旧河道です。現在は、音無親水公園になっています。本流は、飛鳥山の下をトンネルで抜ける分水路を流れています。
上野から続く武蔵野台地の東北の縁が、ここで石神井川によって分断されているのです。
渓谷になっていますが、高低差が大きく、昔は滝のような急流であったため(または、狭い渓谷の両側の崖に滝がいくつもあったため)、川は「滝野川」とも呼ばれ、それがこの辺の地名にもなりました。
 
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          飛鳥山公園から上野方面を見たところです。中央の高層ビルの左にも緑が見えていますが、その辺りが豊嶋郡衙跡の滝野川公園と平塚城址の平塚神社の緑地です。間に印刷局と病院があります。王寺駅が見えています。新幹線の高架の左に草が生えた石神井川の河道が見えます。
飛鳥山公園の向う、遠方には東京都心のビル群が見えています。
 
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          北西方向を見たところ。手前から伸びている高架道路が首都高速中央環状線です。写真の右端あたりで隅田川を渡っています。その辺りが石神井川の隅田川合流点です。隅田川が蛇行して、王子の近くで台地に近付いていることが分かります。
 
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          東を見たところ。隅田川が石神井川の合流点から東に流れています。下総国府の国府台は、写真の右端の方向かと思います。
 
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          反対側、西南方向の望遠撮影です。中央に中野サンプラザが見えています。杉並区天沼は右端辺りの方角でしょうか。こちらは武蔵野台地で、ずっと基本的には平坦です。
また、石神井川沿いの低地を西へ進むと、板橋、練馬を経て石神井池へとつながっています。
 
このように、飛鳥山、王子の辺りは交通の要衝であり、水利の便にも恵まれ、軍事的にも重要地点でした。そのようなことから、古代には郡衙が置かれ、中世には豊嶋氏の本拠地として栄えたことが肯けます。
中世には、豊嶋郡あたりが、名目上紀州熊野の熊野権現領とされたそうで、そのことから、豊嶋氏が権現の王子である若一王子を勧請し、王子権現となったとのことで、「滝野川」は河川の名前から、「王子」は宗教施設の名前から、それそれ地名となりました。
東京都23区制の前の35区制では、主に台地側の滝野川区と主に低地側の王子区の二つの区が置かれていました。合併で、北区という、名前からはすぐに場所を推測しにくい名前に変わりました。
 
Asukayama Park near Oji station in Kita-ku, Tokyo, is at the point where the Shakujii River flows out from the Musahino Terrace to the Sumida River low land. The place is important from transportation and military stand point. Therefore, there was the government of the ancient (8 - 12 centuries) Toshima county, and the Hiratsuka Castle, where medieval lord of Toshima clan had their home.

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