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文化・芸術

2019年7月16日 (火)

港の見える丘公園と江藤淳展 Port View Park, Yokohama

横浜にはときどき行っていますが、最も近いのがいつだったかどうも良く思い出せません。山手の港の見える丘公園辺りには、明治初期に英仏軍が駐留していたことを何かで知って、当時の我が国の危うい立場を知らされたのですが、これもいつだったかはっきりしません。
昨日、15日(月)はその港の見える丘公園に我が家の隊長と一緒に行ってきました。ある人から、公園の中にある神奈川県立近代文学館で開催されている「江藤淳展」のチケットをもらったので、見に行ったのです。そのうちにと思っている内に最後の日になってしまいました。

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文学館は公園の奥の方で、途中の園路から横浜ベイブリッジが良く見えていました。
江藤淳展はこの評論家の没後20年を記念するもので、平山周吉著「江藤淳は蘇える」(本年4月新潮社)の刊行とも歩調を合わせているようでした。
文学関係の展示はみな同様と思いますが、原稿、初版本などと折々の写真が中心でした。
原稿は読みやすい丁寧な字で書かれ、訂正がほとんどないものでした。言葉を操って文章を紡ぎ出す能力がずば抜けていたのではないかと思います。

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江藤淳の作品は、「一族再会」、「夏目漱石」、「アメリカと私」くらいしか読んだことはありませんけれど、新刊書の題名にも使われた「海は蘇える」はこの際読んで見たいと思います。
展示には指物屋に特注したという日本間用の机もありました。さすがに良い木を使っているようでした。資料がまわりに置けるので、低い机を愛用したそうです。

西武新宿駅から地下鉄副都心線の新宿三丁目駅へ歩き、そこから東急東横線、横浜地下鉄みなとみらい線に乗り入れている直通電車で元町・中華街駅まで乗って、駅と合体したビルのエスカレーターで丘の7合目くらいにある出口から公園に向かいました。途中、有名な外人墓地の横をしばらく歩きました。かなり草が茂っていました。
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元町駅に戻るころにはだいぶん疲れて、中華街の方まで行く元気がなく、元町で遅い昼食を軽く済ませ、和菓子屋で土産を買って、帰途に就きました。

 

2018年8月16日 (木)

すみだ北斎美術館 Sumida Hokusai Museum

墨田区の両国駅の近くに「すみだ北斎美術館」という葛飾北斎の版画を集めた新しい美術館ができているので行きましょうと我が家の隊長から誘いがありました。
8月15日(水)の都合が良いということで出かけてみました。

往きは大江戸線に乗って行きました。

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壁に大胆なスリットが入った斬新なデザインの建築でした。完成は約1年半前で、SANAAという妹島和世(せじまかずよ)と西沢立衛(にしざわりゅうえ)による建築事務所の設計とのことです。

4階と3階が展示室で、「ますむらひろしの北斎展-ATAGOAL×HOKUSAI」という企画展を開催中でした。漫画家だそうですが、まったく知らなかったので、あまりピンときませんでした。もっとも、北斎の版画はあまり大きくなく、多くは色の数も限られているので、それを模したものにマンガの主人公の猫を配した極彩色の絵の方がちょっと見たところの迫力はありました。
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「富岳三十六景・相州梅沢庄」 神奈川県大磯市二宮付近の風景で、鶴が描かれています。隊長に、JAFFのロゴマークに似ていると言われました。たしかにそうですが、ロゴの方は鶴ではなく朱鷺です。
北斎は90近くまで長生きしたようで、たくさんの絵を描いたらしいです。版画の作り方の解説がありましたが、そこには、彫り終わるとまず普通は200枚を刷るそうです。絵に比べると作品の収集が易しいのかも知れません。超が付くほど有名な「凱風快晴」や「神奈川沖浪裏」もありました。

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南側の窓からは総武線と高架下の八百屋が見えていて、下町の雰囲気がありました。
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北側の前庭を兼ねた小公園には富士山のオブジェ(遊具?)があり、スカイツリーも見えました。
帰りはJRの駅まで歩いて総武線・中央線に乗りました。
このところ、暑さでほとんど外出していませんでしたが、久しぶりに初めてのところに出かけました。

Visited the Sumida Hokusai Museum near Ryogoku Station. It exhibits printed art pieces of Katushika Hokusai (1760-1849), who lived in this neighborhood on the eastern side of the Sumida River of Edo (Tokyo).

2018年5月10日 (木)

伴奏ピアニスト

なかなかブログに手が回らず、半月も前の4月23日(月)のことです。
「ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2018」が池袋で開催されるのを盛り上げるため、「アミティエ」と銘打ったプレ・イベントとして4月22日~30日の期間中、毎日、ミニコンサートが開催され、その二日目に遠縁のピアニストが出演しました。
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たまたまネットを見ていて、前の日にこのイベントを知りました。池袋の豊島区役所のセンタースクエア(展示など用のスペース)で無料とのことで、行ってみることにしました。ところが、午前中に無線でワッチしたりしていたら、うっかりして出るのが遅くなり、四重奏の終わりの方の一部分を聞いただけでしたが、演奏後に本人、ビオラ奏者の母上その他身内の人と会い、久しぶりでお話することができました。
ブルーのドレスがピアノの○○恵子さんです。ソリストではなく、伴奏を専攻しているそうです。
ほかの出演者と同じように近くにある音楽大学の関係者です。お母上は○○由紀さんです。
 

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親戚に芸術・文化方面の人は少ないのですが、この二人はちょっと例外でこの機会に紹介しておきます。

2014年7月25日 (金)

日向薫の 「朗読ミュージカル」 Performance by Kaoru Hyuga

当地、JAの1エリアでも梅雨明けと発表され、暦の上では大暑に入って、いよいよ本格的な暑さに耐えなければならない時期になりました。昨日は、日没ごろから雷雨となり、用心のために、壁の穴の下につけた同軸切り替えスイッチから同軸ケーブルをはずしました。(この2回路のスイッチは、アンテナ切り替え用とは逆につけて、外からのケーブルをアース線からリグへ行くケーブルに切り替えるために使っています。避雷には、本来、家の外で切り替えるべきですけれど、使い勝手からこうしています。)

ところで、このブログは、無線や歴史ネタばかりで、我ながら潤いや彩りに乏しいものになっています。たまには少し目先を変えて、火曜日の新聞の夕刊に小さい広告が出ていた、「朗読ミュージカル」を紹介します。

   ○宝塚歌劇100年展 特別企画
      「日向薫が歌う『山崎陽子の世界』」
         日時: 8月27日(水) 14:00~15:30
         会場: 兵庫県立美術館ミュージアムホール
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(写真掲載を特に断っていませんが、PRのページに出ているし、親戚(従妹)なので、許してもらえるでしょう。もっとも、厳密には、これを載せている下のページの管理者の承諾がいるのかも知れません。なお、続き柄からいって、当方とはだいぶん離れているとはいえ、それなりの年齢です。この写真をいつ撮ったのかは、分かりません。)

http://www.nikkei-events.jp/takarazuka100/
(「イベント情報」のページの真ん中あたりに出ています。)

http://www.himawari.net/kaoru/top.html
(新しい情報が少ないようですが、「最新情報」だけは、更新されているようです。)

It was announced that Kaoru Hyuga, former Takarazuka actress, will have a performance at the Art Museum of Hyogo Prefecture in Kobe City on Wednesday, August 27. She is my cousin, incidentally.

2013年11月21日 (木)

歌碑 Monuments of Tanka Poems

10月の近畿の旅行で、たまたま三つの歌碑と出会いました。現地では良く読めなかったものを、帰宅後、確かめてみたりしましたので、記録として書いておきます。
観音正寺(近江八幡市)境内の、遠くに琵琶湖が見える、本堂に向かって左側に佐藤佐太郎の歌碑がありました。

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やや遠き光となりて見ゆる湖六十年の心を照らせ

第9歌集「形影」(昭和45年(1970年)に発表されたもので、家にあった「佐藤佐太郎歌集」(岩波文庫)では、昭和44年のところに載っています。佐太郎は明治42年(1909年)生まれで、この年に60歳になっています。一見上の句と下の句がかけ離れているようですが、不思議な魅力のある歌のように思います。

堺では、与謝野晶子の生家跡に碑がありました。生家の敷地は、広い大通りになっていて、その歩道に碑が立っています。

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海こひし潮の遠鳴りかぞへつゝ少女となりし父母の家 

初出は、明治38年(1905年)刊の「恋衣」だそうです。現在は、昔の海岸線から沖に向かって広い埋立地ができていて、海からの音はまったく聞こえないでしょう。歌碑は近年にできたものですが、晶子自筆の色紙か何かをもとに彫ったもののようです。

高円山の頂上下の無線をしたところには、高円の地名が出てくる万葉集の大伴家持の歌の碑がありました。

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高円の秋野のうへの朝霧に妻呼ぶ牡鹿出で立つらむか

天平勝宝6年(754年)の作で、書は万葉集研究で高名な犬養孝です。この碑は、裏に親切な解説がありました。

I saw three stone monuments to commemorate tanka poets in the Kinki region last month. The poems of SATO Sataro (1909-1987),YOSANO Akiko (1878-1942) and OTOMO-NO Yakamochi (circa718-785) were inscribed on stones at the site visited by the poet, at the birth place of the poet, or near the summit of the mountain whose name appeared in the poem.

2012年4月 2日 (月)

English Poem

There is a rare stone monument with an English poem inscribed on it at the beach of Ito.

We see countless stone monuments with Japanese tanka, haiku and other poems all over the country, but do not find English poems often.Img_3604s   

The poem is about William Adams (Anjin MIURA,) who came to Japan from England via the Netherlands in the 17th century, and composed by Edmund Blunden, also from England.

伊東の海岸近くには、珍しい英語の詩の記念碑があります。このあたりで、ウイリアム・アダムズ(三浦按針)が洋式の帆船を建造したそうです。