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Castle

2021年2月 5日 (金)

高尾陣馬自然公園移動運用 Portable JAFF-0195

コロナウィルス感染症の伝染がなかなか収まらず、どうしてもうっとうしい気分になってしまいます。
かかってしまわれた方々にはお見舞い申し上げます。

幸にして、アマチュア無線は電波による交信なので、リスクを免れています。
また、移動運用も人出の少ないところならば三密になる心配がほとんどありません。
そんなことで、昨日、2月4日(木)に高速中央道経由で八王子市まで出かけ、東京都立高尾陣馬自然公園、JAFF-0195、の区域内の八王子城址まで行き、その駐車場で、例によって釣り竿バーチカルを車の上に立て、しばらく運用をしました。

ここは、4年前の2017年1月7日に、ほかへ行った帰りに少し立ち寄り、偵察して4局だけ交信しています。
ガイダンス施設(資料展示館)の駐車場でもあるので、ペットボトルのローディングコイルはやめておきました。

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写真の中央に見えている山が城山です。左手の麓の樹林の中に居館であった「御主殿」跡があります。土手に城主であった北条氏の三鱗の家紋が作ってあります。

まず御主殿跡の見物に行き、戻って設営して1120 JSTころから7メガCWでオンエアしました。
八王子城にはWCA、世界城アワードのナンバー、WCA JA-00025 が付けられているので、そちらも送信しました。

昼食休憩後には、山道に入り、およそ3合目あたりにある金子曲輪まで10分ほど登って、引き返しました。
その後、1320ころからオンエアし、1430ころにQRTしました。

午前と午後の初めのうちはあまりコールがなく、WWFFに必要なプラス40交信、WCAに必要なプラス46交信までにはなかなか届きそうもなく、どうしたものかと思いましたが、1405あたりからコールが続き、57交信をログできました。
コール、スポットをして下さった局長、どうもありがとうございました。
2度ほど14メガでもCQを出してみましたが、コールはありませんでした。ビーコンもほとんど入感がなく、コンディションが良くないようでした。
1430JころにQRTし、1610Jころ無事帰宅しました。

Activated JAFF-0195, Takao-Jinba PNP, Tokyo, yesterday, Thursday, February 4. 2021.
The site was near the 16th century Hachioji castle, WCA JA-00025, also. The hill in the photo and its foot area was the castle.
Logged 57 contacts, all JA stations on 40 meter band. The 20 meter band was tried a couple times but I received no call.

2021年1月28日 (木)

石神井公園・石神井城跡散策 Shakujii Park and Castle

昨日、1月27日(水)は、西武鉄道の沿線ウォーキングが近場でありました。新宿線の上石神井駅から石神井公園を経由して池袋線の練馬高野台駅まで約5キロがコースでしたが、我が家の隊長と一緒にゆっくり午後1時10分ごろに駅をスタートして、より近い石神井公園駅までにしました。
何度も行っているところですけれど、たまたま数日前にアマ無線のネット情報サイトである「月刊FBニュース」(1月号)を見て、JO3SLK局による城からの無線運用の記事が目に止まり、以前から城からも運用していた当局としては、それを知らせたくなってメールを出していたので、南側に隣接している石神井城跡の方を意識しました。

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台地上の廓の西を守る土塁と空濠の跡です。15世紀に廃城になったようで、土塁は崩れ、濠は埋まっていますが、発掘調査の結果、元はもっと高くかつ深かったと看板にあります。写真の左側、低くなっているところから、北側の三宝寺池畔に下っています。

 

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上の写真の廓の北側を三宝寺池ごしに見たところです。樹林に覆われて廓の高さは良く分かりませんが、高低差6-7メートルでしょうか。
北側にはこの池、南側に石神井川があり、東側は台地が舌の先のように切れているので、いちおうこの辺りでは自然の要害地でした。
豊島氏の根拠地で、前に紹介した家の近くの文明9年(1477年)の江古田原・沼袋の戦いで豊島氏が太田道灌に敗れた後、廃城になったようです。

なお、SLK局の記事に刺激を受け、当局の今までの城移動を数えてみたら、少なくとも下の8ヶ所のようです。
鉢形、佐倉、水戸、観音寺、江戸、八王子、滝山、唐沢。

石神井城や所沢市の滝の城にはWCAナンバーがまだないので、追加の依頼も考えています。

2018年12月22日 (土)

柳瀬川沿いから滝の城跡ウォーキング Walking to the Takino Castle

12月19日(水)は、鉄道沿線ウォーキングの西武池袋線清瀬駅発、約10キロのコースに一人で参加しました。駅から柳瀬川に出て、川の右岸側を北東に歩き、左岸の台地の上にある滝の城跡を見学し、また川の左岸側を歩いて駅へ戻る約10キロのコースでした。前にも一部は歩いたのですが、滝の城は初めてでした。

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下から城跡を見上げたところです。

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斜面を登り切った辺りに土塁と堀の跡が残っています。滝山城址と似ていました。
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城跡は城山神社になっており、三ノ丸、馬出などを経て本丸跡に来ると、社殿が建っています。
後北条氏時代には八王子城の支城のような位置づけだったようです。相模国や武蔵南部から川越、上野国方面へ向かう街道を扼する要地なので、城が作られたのも当然です。
現在、滝の城にはWCAナンバーがありません。だいぶん前に、所在地データが違っていたことか何かで、当方から削除を依頼したような気もします。

快晴の好天で、富士山も見えました。半分以上が柳瀬川の堤防上を歩くコースで、開放的な歩行者道となっているので、快適でした。

Went to the Takino Castle, Tokorozawa City, Saitama, last Wednesday, December 19. Walked about ten kilo-meters from the Kiyose Station, Seibu Ikebukuro Line.

2018年6月15日 (金)

鉢形城跡散策 Hachigata Castle

9日(土)に行った鉢形城は、前に行ったときよりも復元整備が進んでいました。

Img_3351s_2西南の端の自然の地形では、城内で一番高いところにある秩父曲輪は、庭園として使われていたらしいです。東屋が復元されていました。杉の木立の向うは崖で下に荒川が流れています。
Img_3344s秩父曲輪の井戸。

Img_3346s秩父曲輪と東北側の二の丸を隔てる堀とそれに架かる橋。御殿があった御殿曲輪はこの二の丸の東北にありました。
Img_3356s以前からあった秩父曲輪の門と南東方向の眺め。左端に当方の車が少し見えています。

中世の城なので、近世のものとは縄張りが少し違います。

2018年5月28日 (月)

唐沢山城 Karasawa-yama Castle

藤原秀郷という名前は平安時代の関東地方の武将としておぼろげに覚えていてましたが、改めてウィキペディアなどで探してみたら、別名が俵藤太、平将門追討の功により栄達し、勢力を拡大して、源氏・平氏と並ぶ武家の棟梁として多くの家系を輩出したそうです。
25日(金)に行った唐沢山にこの藤原秀郷が城を築いたのだそうで、山上の神社は秀郷を祭神として明治になってからできたものだそうです。

平将門は関東平野の中央部、現在の茨城県西部あたりを本拠地としていたので、当時の兵乱は栃木など北関東を本拠とする豪族が東南ないし南側の将門勢力と争ったものだったようです。
現在残されている唐沢山城は、戦国時代に整備されたようですが、その頃の領主であった佐野氏は、江戸幕府成立後、幕府の山城禁止令で平地に移り、その後間もなく、慶長11年(1611年)に改易されてしまい、大名でなくなってしまいました。
アマチュア無線との掛け持ちだったので、城跡探訪は短時間で済ませてしまいましたが、もっとじっくり見たいところでした。
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          本丸へ進む道の途中、橋がかかっている空堀「四つ目堀」
                      The moat protecting the eastern quarters.
 
関東地方の城はこのブログでも取り上げたように、石垣をほとんど持たず、土塁や空堀で防御されていますが、唐沢山城は石垣があります。積み方はかなり粗いものですけれど、山の上にもかかわらず、たくさんの石を使い、本丸の大手付近には大石も置いてありました。
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          本丸(唐沢山神社)南面の石垣
                      The stone wall of the southern side of the main quarter.
 
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          本丸西面の石垣。手前は二の丸の廓で関係者用の駐車場。
                      The western side of the main quarter.
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          大炊(おおい)の井。四つ目堀の手前にあり涸れることがないとのこと。
          The Oi Well for the defenders.
The Karasawa-yama (Karasawa) Castle was the home of the Sano family during the medieval age, but abundoned at the beggining of the 17th century. It is one of the few castles with stone enbankments in the Kanto Region. The hills of about 200m a.s.l. , commanding good views of the surrounding area, are used as its site.

大手道を進んでいたら、向こうから下りてくる4人組の一人に名前で呼びかけられました。高校時代の同級生で、ハイキングで下から登ってきたそうで、あとの2人も知人でした。このようなところで出会うとは、奇遇に驚きました。

2018年3月16日 (金)

滝山自然公園移動運用 Portable Operation in Takiyama PNP, JAFF-0194

昨日、3月15日(木)は、暖かな移動運用日和で、昨年11月下旬以来、久しぶりにアウトドアを楽しみました。

ローカルの無線クラブのメンバーで、移動運用をしたいと思って、移動用のポールなどを入手しているけれど、まだ行ったことがないという、自作派ハムの局長を誘い、2人で出かけました。

Went to Takiyama Park, Hachoji City, Tokyo yesterday to activate JAFF-0194, Takiyama Prefectural Nature Park, with a friend, who had not experienced any portable operation.
Logged 23 QSO's on the 40m band. Tried 20 and 17m without success.

行き先は、まだ一度も運用がないJAFF-0194、東京都立滝山自然公園でした。
ここには5年ほど前に、滝山城跡を見に、電車とバスで行っています。ブログ記事

その後観光駐車場が整備されたので、これを使うことにしました。この駐車場は、八王子市の丹木3丁目交差点のそばにあります。
なお、城アワードのWCAでは、滝山城にJA-00202 のナンバーがあり、日本の公園アワードでは、滝山公園に東京都のPK-51 のナンバーがあります。
ただ、同行者宅からのスタートで道順がいつもと違うこともあり、往路の高速道路入り口をうっかり通り過ぎて、調布まで下道を行ったため現地到着が遅れてしまいました。

到着後、7MHzのVCHコイル入り短縮バーチカルで10分ほどだけ運用し、城跡の滝山公園へ歩いて行きました。

多摩川を見下ろす公園の北東の端で、同行局長が実験したアンテナは、10mのメジャーを2個使った7MHzから50MHzまでの8バンド用のダイポールでした。

バラン内蔵でメジャーとの電気的接触を工夫してある給電部は、自作派らしく体裁良くまとめられていて、感服しました。
ただ、メジャーを長く伸ばすと途中で折れて垂れ下がってしまいます。微風状態で自立できたのは24MHzバンドまでで、目算とちょっと違ったとのことでした。
長い波長のバンドは、メジャーの先にロープを付けて、立ち木や東屋の日除けに掛けてワイヤー状にして展張します。

Img_3046s           A dipole antenna made by steel scale measures home brew by JR1BAL.

同行局長は、実験終了後、FT-817から7MHzと50MHzのSSBでしばらくCQを出していましたが、残念ながらコールなしだったようです。

彼の局は、高崎から東京のホームのリグをリモート・コントロールする体制になっており、現地でも、スマホや携帯で、ホームでの受信状況を聞きながらテストしていました。

駐車場に戻って、まず7MHzで少し運用し、次いでWWFFのアジェンダにアナウンスしていた18MHz、14MHzでCQを出しましたが、なにぶん丘と丘の間の谷筋のロケーションですし、コンディションも悪かったようで、コールはありませんでした。

Img_3050s                     A vertical for 14MHz band with a radial extended toward northwest, EU.
                    14MHz用バーチカル。ラジアルはEU方向に張ってあります。

その間、18、14MHzのアンテナのままで、7MHzにも出て、さらに交信の上積みを図りましたが、結局、合計23交信でした。
コールしていただいた各局、ありがとうございました。

ここの駐車場にはトイレもないし、やはり滝山公園の園地からオンエアするのが良さそうですが、園地に上がる道は舗装されていますけれど、初めの部分の傾斜が急で、滑り止めの石ででこぼこしており、プルカートを引っ張るのはたいへんそうです。作戦を考えて、いつかあと21交信をしに行きたいと思います。

Img_3042s           滝山城跡の堀の跡。A moat of the Takiyama Castle, WCA JA-00202.

2017年1月 9日 (月)

JAFF-0195偵察 Recon Visit to JAFF-0195

このところ、太陽黒点数が少ないのと真冬なためか、電離層のご機嫌が良くないようで、通常は国内のどこかしらのエリアが開けている7メガヘルツや10メガバンドも、開けている範囲が狭いようです。また、コンディションが悪いので、CQを出したりワッチしたりしている局も少なく、今日なども1430Jころと1600Jころに少しワッチしましたが、全体に静かなようでした。

そんな状況のもと、一昨日、7日(土)にJAFF-0195, 高尾陣馬東京都立自然公園の区域の中にある八王子城跡へ行き、駐車場、ガイダンス施設や山の上にある本丸への登山口あたりを見て、30分強、無線もやってみましたが、4局しか交信できず、うちコールがあったのは2局というちょっと情けない結果でした。たいへん熱心なハンター局であるJE1GWO局と昨年8J4IHIN/4 で日本海の相島からJAFFに参加していただいたJA4MAU局と交信ができたのは良かったです。
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ロケーションも写真からお分かりのように、谷に少し入ったあたりなので、東側はともかく、他の方向への電波の飛びはいかにも良くなさそうです。ただ、JA4MAU局は山口県のようですが、599のしっかりしたシグナルでしたので、山を越えてはいるようです。

また、14メガでもBA局が聞こえていたので、3回ほどCQを出してみたのですが、リバース・ビーコン・ネットのVK4のスキマー局からレポートが出ていました。

Dsc_0195s

          Hachioji Castle, Hachioji City, Tokyo.

本丸入り口の脇が園地として整備され、城跡の立体模型が置いてありました。向こう側が北です。この辺りの地形が良く分かります。

この自然公園は、明治の森高尾国定公園を取り巻くように、周囲の山地、丘陵地や谷間が区域に指定されていますが、車やケーブルカーで上がれる高地がないので、無線の移動運用に良さそうな場所を見つけるのは難しいようです。

ここの本丸の一番奥にはだいぶん前に登ったことがありますけれど、ハイキングの準備を整えて、軽量の装備で行かないとだめでしょう。

駐車場が開いているのは、0830J-1700Jなので、その制約もあります。それでも、以前に行ったときは無料駐車場などはなく、バスで行ったと思うので、だいぶん施設が整備されて、行きやすくなっていると感じました。

八王子城にはWCAのJA-00025 というナンバーもあったのですが、他のことの後の寄り道だったこともあり、すっかり忘れてしまっていました。もっとも、WCAはJAではほとんど知られていなくて、EUやロシアまで電波が届かなければ意味がないので、失敗というほどのことではないでしょう。

2013年10月26日 (土)

観音寺城と安土城 Kannonji Castle and Azuchi Castle

もう5年ほど前になりますが、今谷明著の「近江から日本史を読み直す」(講談社現代新書、2007)を読んで、滋賀県に興味を持ちました。日本の歴史の展開に影響する重要な地域であり、史跡もたくさん残っていることに目を開かれました。今回の旅行では、あまり多くを見ることはできませんでしたが、城跡を二つと近江商人の拠点を見てきました。
10月15日(火)は、早朝に関を出発し、国道1号で鈴鹿峠を越えて滋賀県に入り、日野、観音正寺と観音寺城跡、五個荘、安土城跡と回って、宿泊場所の休暇村安土八幡に着きました。

観音寺城は、戦国時代の山城ですが、石垣を築いた城としては最初のものとされているようで、築城技術の発達の上で重要な城です。また、南近江を守護として支配した六角氏(元は宇多源氏の佐々木氏)の本拠地でしたから、京都の西隣という重要な領域の支配の拠点でした。半国なので、小さいような印象を受け勝ちですが、近江国は広大な陸奥国を除くと一番豊かな国で、半分でも平均の一国ほどの石高があり、軽視できません。
城跡(本城跡)には、観音正寺の参道になっている有料道路(500円)で終点の駐車場まで行き、寺に参拝してから、脇道を通って行きました。関東の戦国時代の城跡と違い、石垣がありました。長い年月を経て、かなり荒れていますが、本城直下の石段など、状態の良いところもありました。
標高433メートルの繖(きぬがさ)山の山上付近に築かれているので、道路がなかったらたいへんです。本城(本丸)のほかにもいくつも曲輪があったようですが、簡単には近づけません。それにしても、中世の人は足が丈夫だったのか、身の安全のためには不便を厭わなかったのか、高い山の上に立て篭もったものです。

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本城に入る虎口の石垣
The entrance to the central area of the Kannonji Castle, Omihachiman City, Shiga
The Kannonji Castle was built by feudal lords of southern Omi in 15th century and abandoned during the last quarter of the 16th century. It is one of the earliest castles that used stone walls for fortification in Japan. (WCA JA-00066)

安土城は、いうまでもなく畿内までの制覇に成功した織田信長が南近江に新たに築いた城です。遠くからあの山が安土城のあった山だと見ていたときには、もっと簡素な山城かと思っていましたが、実際に行って見て、その築城が大規模であったことに驚きました。周辺の平地から100メートル以上ある安土山(標高199m)を利用し、頂上の本丸までほぼ石垣で築かれていて、たいへんな労力を必要としたものと思われます。権力の誇示という意味があったのでしょうけれど、覇者となることがどれだけの実権を伴うものか、信長の回りにいた明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、前田利家など、目の当たりに知らされたに違いなく、その後の激動の数十年の彼らの行動の原動力を知ったように感じました。
33メートルの高さがあったとされる大規模な天守閣(わが国で初めての天守)の完成からわずか3年で本能寺の変がおき(1582年)、城も十日余の後に焼け落ちたそうで、戦国の世の変化の激しさの象徴のようなものでしょう。

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本丸を見上げたところ。
The entrance to the central area of the Azuchi Castle, Omihachiman City, Shiga

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本丸と天守閣の礎石。天守は五層七階であり、天守の石垣はもっと高かったよう。
The central area and foundation stones of tenshukaku, the main tower.
The tower is said to have been 33 meters high.

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大手道の階段と南方、近江八幡市街方面の眺望。
The view of the south and the main approach.

The Azuchi Castle is famous for its builder, Oda Nobunaga. He was just about to unify the country when he built this castle near Lake Biwa in 1579. There remains a testimony by a Portuguese monk who praised the tall central tower as a big structure that could not be found in contemporary Europe. The castle was burnt three years later shortly after the sudden death of Oda Nobunaga and abandoned a few years later. (WCA JA-00006)

2013年7月19日 (金)

Komoro Castle 小諸城跡

The town of Komoro lies at about twelve kilometers southwest of Mt. Asama and is on the terrace formed by ash of the volcano. The Chikuma River flows from the south towards the town carving steep cliffs by erosion and turns to west below the town. The town has been important as the town along the highway that connects Tokyo and Nagano and other northern regions of Honshu.
It is no wonder that the place was chosen as the site of a castle. The remaining structures of the Komoro Castle, WCA JA-00089, were built in the late 16th century and in the 17th century. This castle has been selected as one of the best one hundred castles in Japan. The castle is a rare “hole castle”: It lies below the highway and the town beside it. This might have made the defense of the eastern side difficult, but once one sees the steep cliffs of the western side, he can understand the reason why this site was chosen easily. The photos below were shot on Sunday, July 14.

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          San-no-mon (Third Gate)  三の門

Img_6245s          The base of Tenshukaku (Main Tower Building)  天守台

Img_6242s          View from the castle towards west overlooking the Chikuma River.

     西方面の眺め。千曲川の下流方向。

Img_6236s          View from the castle towards southeast.  南東方面の眺め

小諸の町は、浅間山の約12キロ南西にあります。ここにある小諸城は、珍しい「穴城」で、城下町よりも城が低いところにあります。城跡(懐古園)の一番奥まで行って、見晴らし台から南や西を見たら、そちらは急な崖になっていて、千曲川を見下ろしており、北や南にも千曲川に流れ込む流れが、火山灰台地に深い谷を刻んでいるので、城の築かれたところが天然の要害であることが分かりました。

千曲川を見下ろしたときには、しばらく方向の判断がつきませんでした。先入観として、川が東から西へ流れていると思い込んでいたためのようです。実際は、南の佐久のほうから流れて来て、城の真下で西に方向を変えています。

上の写真は、7月14日(日)の夕方に、嬬恋村からの帰途に立ち寄った際に、撮ったものです。

2013年7月 2日 (火)

石神井城跡 Shakujii Castle

先日の武蔵関公園に続き、一昨日の日曜日に石神井公園に自転車で行ってきました。ここも武蔵野の湧水でできた三宝寺池と、そのすぐ下流の人造の石神井池を囲む公園です。三宝寺池の南側は武蔵野台地で、池より5メートルくらい高くなっており、そのさらに南には石神井川沿いの低地があります。この自然の地形を利用して、戦国時代に豪族豊島氏の居城である石神井城が築かれており、遺構が残っています。
地形から、西側に防御線がないので、土塁を築き、空堀を掘って郭を作っています。はっきりと残っているのは、主郭の部分とされていて、保護のためにフェンスで囲まれ、原則として中には入れないようになっていました。滝山城のような丘陵と違い、ほぼ平地で、宅地化も進んでいるので、城全体の構造は、現地ではほとんど分かりません。
説明の看板によると、土塁はもっと高く、空堀も深くて、堀の底から土塁の上まで10メートルほどあったと推定されたそうです。
樹木もあるし、石垣や門、櫓のある城と違い、城跡らしい写真を撮ることはなかなか難しいです。

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      主郭西側の空堀跡 The dry moat of the western side of the main section

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      主郭西側の空堀と土塁

              The dry moat and the earth bunker of the western side of the main section

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         主郭北側の三宝寺池にかかる橋を渡ったところにある石碑

I enjoyed another bicycle ride to the west from my home last Sunday. It took a little less than one hour to arrive at the site of the former Shakujii Castle. The dry moat and the earth bunker of the part of the castle that was thought to be the main section is remaining and surrounded by steel fences for preservation. The castle was said to have been built during the Sengoku era, or the Warring era, the fifteenth and sixteenth centuries, by Toshima family. The site is a part of a park in the western suburb of Tokyo. As the site is on the flat Musashino terrace, other sections of the castle have been lost by farming and urbanisation.