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2016年7月 2日 (土)

「群青-日本海軍の礎を築いた男」 "Gunjo"

先日、ある定期的に送ってくる小冊子を見ていたら、「群青-日本海軍の礎を築いた男」という書名が目に留まりました。近所の図書館で検索したら、蔵書にあったので、借りてきて読みました。
植松三十里(うえまつ みどり)著、2008年、文芸春秋社刊です。
幕末に幕府の長崎海軍伝習所で勝海舟とともに艦長候補として、オランダ人から教育を受け、江戸城開城のときには、海軍総裁の職にあった、矢田堀讃岐守(景蔵、維新後帰六、鴻と改名)を主人公とする歴史小説です。
前に、軍艦奉行木村摂津守を書いた本を取り上げたことがあると思いますが、一時期、土居良三著の幕末の幕府の開国に関連した努力を再評価した本を何冊か読んで、なるほどと思ったことがあったので、この本も読んでみたくなりました。
29日(水)に読み終わったので、30日(木)午後に出かけたついでに、地下鉄を途中下車し、矢田堀の墓があるという宗源寺に行ってみました。小さいお寺で、墓地は本堂の裏ではなく、前の道の向かい側、早稲田通りに面して建つマンションに囲まれていました。入り口に鍵がかかった引き戸があって、中には入れず、墓も海舟が題額を、木村が碑文を書いた石碑も見ることはできませんでした。
 
Img_1112_s_2
おそらく、奥の方の古い墓が並んでいる辺りにあるのではないかと推測しました。
さらに出るつもりだった夜の会合まで時間があったので、日比谷図書館で、矢田堀のことがかなり詳しく載っている唯一の書籍という「回天艦長 甲賀源吾伝」石橋絢彦著、昭和7年、甲賀宜政(宜はワかんむり)発行を拾い読みしました。
矢田堀の年譜や石碑の文が載っていました。
矢田堀は、幕末の動乱のときに、いわば紙一重で、大きな出来事に名を残すことがなく、明治以降も、新政府に出仕するも、その能力にしては不遇だったようです。
そのことが、単なる運、巡り合わせだったのか、本人がどちらかというと、学者、教育者タイプで、乱世の修羅場で切った張ったをするタイプでなく、そのためにチャンスを逃したのか、この本だけでは分かりませんでした。
幕末でも、伝習所が始まったころは、旗本、御家人、与力、同心などの身分制も厳然としてあり、矢田堀はその中では昌平黌に学んだ秀才だったそうですが、海舟のような乱世に向いたタイプに比べ、生きたた時期が合っていなかったのかも知れません。
どちらかというと、ノンフィクションが好きで、おそらく創作である家族とのドラマや登場人物の会話などには、正直なところあまりなじめなかったのですが、題名、序章、結章と良く考えられていて、考えさせられるものがありました。
なお、ネットを見ていたら、著者本人のブログに、出版された8年前に、本人が詳しい執筆記を書いていて、まだ見ることができました。
矢田堀について手っ取り早くもっと知りたい方は、そのブログやネットの情報を見てください。
Read a book titled "Gunjo - The Man Who Built the Basis of Japanese Navy", by Midori Uematsu last week. The book is on the life of Keizo Yatabori, who was the commander of the Tycoon's navy just before the Meiji Restoration.
おまけです。早稲田通りにあった「エスペラント会館」の屋上にビームアンテナが載っていました。
Img_1107s
 

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コメント

幕末の乱世、多種多様な考えのある中、命を懸けて国のために働く人々、今開催中のオリンピックに何となく思いが被ってしまいます。それぞれがそれぞれのお思いを胸に、持ち得るすべての力を発揮してほしいです。

NWRさん、コメントありがとうございました。
時間があるので、オリンピックのTVはずい分見ています。表彰台に上がる人と比叡山千日回峰の行者とどちらがたいへんなのだろうとか、つまらないことを考えていました。
幕末の海軍関係者は、種目でいえば、カヌー競技のように、まったく新しい分野だったので、たいへんだったでしょう。

会館があるのだからエスペラント語ってまだ勉強・使用する人がいるのでしょう。
最近めったに耳にしない人工言語でしたよね。
そのアンテナ使って、何語で交信するのだろう。

Sei さん、コメントありがとうございました。
まったく知りませんでしたが、ネットでサーチして見たら、
「日本エスペラントアマチュア無線クラブ(EKAROJ)
ESPERANTA KLUBO DE AMATORA RADIO EN JAPANIUJO」
というクラブがあるようですね。
実際にどの程度つながるかな知りませんが、コンディションの良いときには、スケジュールで練習するのかも知れません。

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