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2016年4月 4日 (月)

富岡総合公園 Tomioka Park, Yokohama

o明治時代には太政大臣三条実美の別邸があり、昭和11年以後敗戦まで海軍横浜航空隊が置かれていた横浜市金沢区の富岡総合公園に、昨日、4月3日(日)に行ってきました。十数年前から原則として毎年行っているのですが、昨年、一昨年は、天候が悪く、海軍飛行艇部隊の戦友会の慰霊祭と懇親会は順延になって、出席できませんでした。
昨日もはっきりしない天候でしたが、なんとか開かれました。

Img_0701_2s          残っている隊門の門柱あたりを海側(内側)から見たところ。

初めは、会員の一人に調査のために手紙でお尋ねしたところ、この会に皆集まるからいらっしゃいといわれ、出かけていきました。年を経るにしたがい、実際に飛行艇部隊に勤務された経験のある人は少なくなり、3年ぶりかで参加できた昨日は、そのような方は95才のI さんお一人だけでした。ご遺族や支援者として参加していた旧予科練出身者も少なくなり、海上自衛隊OBや飛行艇ファンの人たちが過半でした。

I さんとははじめてお話しました。横浜航空隊で魚雷整備を担当され、開戦とともに南方に進出、昭和17年5月の珊瑚海海戦後にソロモン諸島のツラギ島(ガダルカナル島の沖合海上の島で、英国の政庁があった島、実際に飛行艇部隊がいたのは、ツラギのさらに沖のガブツ島・タナンボコ島)に行かれたのだそうです。1月ほどで、高等科練習生として横須賀航空隊に行くことになり、内地に戻られたために、戦死を免れたそうです。そのままツラギにいた横浜航空隊の主力は、昭和17年8月初めの米軍の反攻、上陸作戦で、全滅しました。極めて少数の人々が壕に隠れ、または島を脱出、その後捕虜になって戦後生還しただけです。
当時、ツラギには飛行艇を陸上に揚げるスロープはなかったので、魚雷を付けるときはどうしたのか伺ってみたところ、魚雷を積んだゴムボートに3人が乗り組み、飛行艇の主翼の下へもぐりこみ、チェーンで魚雷を吊り上げたそうです。

帰宅後、飛行艇関係戦史調査の必読文献といっていい「海軍飛行艇の戦記と記録」(昭和51年、浜空会編)を開いてみたところ、I さんの2ページの回想が載っていました。ちなみにこの本は、ネットで探して都下の古書店から2003年に7,000円で買いました。

海軍の偵察関係のことを調べ初めて十数年になりますが、いまだにきちんとまとめるまでになっておらず、調べたことも忘れてきています。なんとかしなければと思いながら、その時に興味のあるあれこれに首を突っ込んで、できません。協力をしていただいた方々には申し訳ないことと反省しています。

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