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2016年4月

2016年4月28日 (木)

携帯用パドル New Manipulator

3週間前のことを今ごろ書くことになりました。4月6日(水)は、3か所をまわったのですが、最後に寄った秋葉原では、若干の買い物をしました。
 
そのうち、もっとも高価だったのが、携帯用のマニピュレーター、GHD GM701です。
3回行った「楽ちんSOTA」では、車内などで使っている HI-MOUND のもの(台なしのものをかまぼこ板にネジ止めし、バインダーで画板に固定して使用)を持っていきました。
最初は、梱包用シートにくるんでザックに入れましたが、圧迫されて力がかかったらしく、レバーのタッチ感がおかしくなりました。そこで2回目からは適当な菓子箱を小さくして、それに入れてパッキングしましたが、どうも嵩張って具合が良くありません。
はやり、携帯用のパドルが欲しくなり、思い切って買ってしまいました。
Img_0864_2_s
重さは、GHD が130g、HI-MOUND(コード込み)が375g とだいぶん違います。
今のところ、移動の予定がなく、プラグのはんだ付けもまだしていません。
固定方法が問題ですが、写真のようにレバーを出した状態なら、3cm幅のバインダー・クリップで後部を挟めますので、試してみたいと思っています。
 

2016年4月23日 (土)

牡丹寺・おとめ山散策 Peony Temple and Otomeyama Park

今日はどんより曇っていて、たまに日が差すなど、はっきりしない天気でしたけれど、暑くも寒くもない、外を歩くには適した日でした。我が家の隊長は、今日も狭山丘陵、今度は東京都側の都立狭山自然公園の区域内などのコースのウォーキングに出かけました。こちらも行くつもりだったのですが、ちょっと都合が悪くなり、止めました。いつも、誘われてやや渋々ついて行くことが多いのですが、人の心理は妙なもので、行けないとなると、何か残念です。
昼前からカメラ持参で、家の東の方へ、長めの散歩に出ました。

先日見付けた、お堂の公園の近くにある「茶房 舞む」という少し妙な名前の店で、シーフード・ドリアを食べました。

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店の構えもバス通りから枝分かれする下り坂の道の入り口付近の大きな建物の半地下で、普通の喫茶店などとは少し違います。聞くと、舞踊集団「菊の会」という日本舞踊の団体の稽古場などの建物で、経営もこの団体のようでした。なるほど、店の名前に「舞」が入っているわけです。
ランチタイムには、スパゲティー、オムライスなど洋食が食べられ、店内はまずきれいです。女性2人でやっていましたが、踊りもする人なのか、分業なのかは分かりません。昨日と今日は5時で閉店します、と貼り紙がしてあったところや年ごろ雰囲気を見ると、兼業なのかも知れません。

ここから台地の上に上がったり、下がったり、少し回り道をしながら、牡丹寺といわれている薬王院というお寺まで行き、久しぶりにボタンの花を見ました。

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          Paeonia suffruticosa, Peony at Yakuoin Temple, Shinjuku-ku, Tokyo

ここからさらに東に足を伸ばし、江戸時代は将軍の鷹狩のために樹木の伐採を禁じられていたという、おとめ山公園へ行きました。近年、少し拡張されて、芝生の広場なども整備されたようで、子供連れの人々などがかなり来ていました。
往復2時間以上は歩いたので、かなりの運動になりました。

 

2016年4月18日 (月)

埼玉県立狭山自然公園ウォーキング Walking through Sayama Hills

熊本県ほかこの度の大地震の地域の方々に心よりお見舞い申し上げます。

いろいろあってなかなかブログが追い付きません。

一昨日、4月16日(土)は、鉄道沿線ウォーキング・イベントの「新緑の狭山丘陵を散策」に我が家の隊長と一緒に参加しました。
所沢駅から西武池袋線と狭山線で3駅分、約6kmを、多摩湖(村山貯水池)のある丘陵の北の裾に沿って西武球場前駅まで歩くコースでした。かなりの部分は西武園ゴルフ場のフェンスに沿っていました。後半部分は、狭山湖(山口貯水池)のある低地の貯水池の下流側に流れている柳瀬川の上流部分にほぼ沿って歩きました。

このため、イベントのタイトルから受ける印象とは少し違うコースでした。ちょうどコースの半ばあたりに荒幡富士という富士山信仰の築山が丘陵の高いところに建つ浅間神社の裏にあり、コースの目玉になっていました。

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この富士山への登山道は1本しかなく、上りと下りの参加者で渋滞していましたが、頂上から眺める新緑の丘陵地帯はなかなか良いものでした。良く晴れていれば、富士山、多摩、秩父の山々が見えるのですが、曇りでもやあってほとんど見えませんでした。

ここから少し下ったところに「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」という展示施設があり、この地域にいる鳥や哺乳動物のはく製などがありました。

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この施設の英語名は、"Sayama Hill Flora and Fauna Interaction Center"とあって、「いきもの」を"Flora and Fauna"と訳しています。「ふれあい」は人といきものの触れあいということでしょうから、ただの"Interaction"ではやや言葉足らずな訳のような気もします。たまたま、アマチュア無線で「フローラ・ファウナ」という言葉を使ったプログラムに参加しているので、目にとまりました。

ところで、同じプログラムの関係で、たまたま都道府県立自然公園のことを少し調べ、リストを作ったりしていたので、このコースのある埼玉県のリストを見ると、ちょうど「埼玉県立狭山自然公園」の区域でした。埼玉県は、比較的見やすい区域図を公開しています。

https://www.pref.saitama.lg.jp/a0508/shizenkouen/documents/sayana.pdf

(隣接する東京都にも都立狭山自然公園がありますが、東京都のサイトには、すべての自然公園を1枚の地図に示した縮尺が小さい地図しか見当たりませんでした。)

この日のコースは、スタートから1kmほどで自然公園の区域内に入っていたので、看板などがないか、注意しながら歩きましたが、残り5kmに一つもありませんでした。
歩いたコースの相当部分は、鉄道沿線でもあり、新しい住宅地になっているところが多く、自然公園という感じがするのは荒幡富士とふれあいの里センターの付近くらいでした。緑の丘陵が常に近くにあるということがほかの場所と違う程度です。

一つだけ、センターに置いてあった「狭山丘陵 緑ふれあいマップ」という、関係する都県市町の連絡協議会作成のパンフレットの片面が地図になっていて、この地図に都立・県立自然公園の境界線が示されていました。

センターが自然公園の施設なのかなと思って、リーフレットなどを販売していた人に聞いてみたところ、建物は県が建て、敷地と周辺の「センター・エリア」という林地は所沢市の所有地、施設の運営は「公益財団法人 トトロのふるさと基金」がしているそうです。
今ひとつ良く分かりませんが、行政も昔からの自然公園の整備というより、環境教育とか生態系とのふれあいとかいう方が予算が付きやすいのかも知れません。

I took part in the walking event with my wife on Saturday, April 16. The course of the day was through the Sayama Saitama Prefectural Natural (Nature) Park, and we could know how a prefectural natural park looked like. The part of the designated area we walked was quite built-up mostly with houses of people commuting to various places.

2016年4月 8日 (金)

アジアの祭典チャリティーバザー・千代田図書館

10年ほど前にミクロネシア連邦のチューク州(トラック諸島)に旅行しましたが、たしかそのとき以来の縁でこの国の関係者から毎年4月に開かれる「アジアの祭典チャリティーバザー」の案内があります。
今年は一昨日、6日(水)にあり、前もって買ってあった入場券とラッフル券(抽選券)を持って、お昼前くらいにANAインターコンチネンタルホテル東京へ行きました。

このバザーは、アジア、太平洋の26ヶ国の協力とボランティアでサポートしているご婦人方によって開催され、収益は、全て参加国の支援、福祉災害援助のために使われるそうです。今年のバザール委員長は、たまたまミクロネシア連邦大使夫人だったそうです。
いつものことですが、来場した大勢のご婦人方で混雑していました。

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太平洋の島国では、フィジー、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦、ニュージーランド、パプア・ニューギニア、サモアが参加していて、急ぎ足でこれらをまわり、胡椒、テーブル・マットなどを若干買って、売り上げに協力しました。前に行ったことがあるバヌアツは小さすぎて日本に拠点がなく、ニューカレドニアは仏領なので、いずれも参加していません。

その後、九段下の千代田区立図書館へ行きました。1月の別所温泉、上田旅行のときに分からなかった義父が戦争中に別所温泉で何をしたいたのかを知るのに、勤めていた会社の社史を探したところ、この図書館が持っていました。

戦時中のところを探すと、謎が解けました。工場疎開ではなく、本社の総務部が上田のデパートに疎開したことが分かりました。ただ、義父はなぜわざわざ別所温泉から通ったのでしょうか。戦争で客が来ない温泉旅館の救済の意味があったのか、やや病弱であった義父に会社が配慮してくれて、健康のために温泉からの通勤をさせてくれたのか、上田程度の都市でも農村部のほうが食料事情が良かったのか、いくつか理由が考えられますが、今となっては知っている人はいないでしょう。

それよりもさらに謎なのは、社史によると、工場は方向が違う富士山麓や諏訪のほうに疎開していて、上田周辺には来ていないのです。
一つの仮説としては、松代に大本営が移る計画で地下壕を掘ったりしていたので、当時は航空用計器などの生産が主だったこの会社が、軍との連絡を重視して上田に疎開したのではないかと考えられます。ただ、大本営の移転はトップ・シークレットだったと思われるので、軍からこっそり耳打ちされたか、会社の人脈で探り当てたかでないと、成り立ちません。

ついでに、我が国の最初の電気計器メーカーとしての創業時のころの記述もぱらぱらと拾い読みしました。1917年から最初の国産電気計器の販売をはじめたそうですが、売り上げは順調に伸びたのに、利益はなかなか上がらなかったそうです。これは、製品は国産といっても、重要部品のほとんどを輸入するしかなく、コストが高くて利益が出なかったのだそうです。
今ではなかなか想像できませんが、日本の電気関係の製造業は、大正時代の後半から昭和になってようやく発展したものだったようです。

聞こえぬ島 New Entity "UN-Heard Island"

昨日、4月6日(水)は、外出して3箇所をまわり、いろいろなことがありましたが、まず帰宅後の無線交信のことを書きたいと思います。

ハード島遠征のVK0EK局は、期間がかなり長いこともあり、終わりのほうには当局のような弱小局にもチャンスなきにしもあらずと、様子をみたりしていましたが、先週あたりは、コールするJA局のパイルアップが聞こえても、肝心のお目当て局は当方の設備では聞こえない日がほとんどでした。
設備のこともありますが、家の西南方向には幹線道路沿いのビルが並んでいて、電波の通路をふさいでいます。ただ、ショートパスの経路は、8階建てのマンションの脇をかろうじてかすめていて、経路の下は3階くらいのようです。

わりに良く聞こえたのは、たしか土曜日の夜の18メガでしたが、21のアンテナで聞いたもので、送信できるアンテナがなく、また週末のパイルに勝ち目はないので、週明けを待ちました。
VK0IRとのクラブ局のダイポールでの交信が午後の18メガだったこともあり、18メガにねらいをつけて、月曜日の午後にベランダに移動時に使っているループアンテナを仮設しました。

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軒に釣り竿が当たってショートパスにきちんと向けられませんが、家が真南より15度くらい西へ向いているので、なんとかなると考えました。
月曜日は夜の会合があって、仮設作業が終わったら外出、火曜日は昼の会合から15時過ぎに帰宅してワッチするも、呼べるほどには聞こえてきません。夜に18メガでとれるかとれないか程度に聞こえましたが、とても交信できるレベルではありませんでした。

そのころだったか、もう少し前だったか、クラスターを見ていたら、たしかG、イギリスの局だと覚えていますけれど、VK0EK で、"New Entity UN-Heard Island" と書き込んでいたので、思わず笑ってしまいました。JAで厳しいので、より遠いEUの局にはさらに厳しいのでしょう。

昨日もあまり期待しませんでしたが、外出から寄り道はしないで真直ぐに帰り、着替えは後回しにして、1640Jころからワッチしました。
アンテナを仮設した18メガからでしたが、どうも21メガがベターなようでしたので、アンテナを替え、リグもCWフィルター未装でノイズが多くて聞きにくいTS-850Sでなく、FT-450Dに替えてワッチしました。
1700Jころから信号が上がってきて、QRP局も呼んでおり、VK0EKサイトのDXAにQRP局のコールも上がっていました。15分弱で、それほどの回数のコールをしないうちにリターンがあり、QSOに成功しました。すぐにDXAの左下隅の枠にコールを書き込み、待っていると、バンド・モードの枠に青が出るとほぼ同時に画面の中央に「おめでとう、あなたはたった今VK0EKと交信した」とメッセージが出ました。

18メガのアンテナもせっかく仮設したので、すぐにQSYしてみました。こちらも聞こえてはいますが、あまり強くなく、呼ぶ局もかなりあって、呼んでもだめでした。
しばらくコーヒーブレークで時間調整して、1800Jころから、聞いてみると、こちらも信号がはっきり聞こえるようになっていて、TS-850Sでも大丈夫そうだったので、この100W機にまた替え、数回呼んでいたら、リターンがありました。もっともコールの最後の短点があったか自信がなかったので、599の前にもう1回自分のコールを送りましたが、あちらはTUで終わりでした。少し心配しながら待っていると、また"Congratulations! "が出て安心しました。

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「聞こえない島」でも2週間ほどの間には、聞こえる日もあるという、短波のコンディションの多様さを再認識しました。

このところ、レアなところはどこも交信できなかったのですが、今回は幸運にも助けられてうまく行きました。強いていえば、受信に集中して、あちらがしばらく聞いて"?"と打ったときにすかざすコールすることで、闇雲連続コールの局よりは少し早くできたかも知れません。



2016年4月 4日 (月)

富岡総合公園 Tomioka Park, Yokohama

o明治時代には太政大臣三条実美の別邸があり、昭和11年以後敗戦まで海軍横浜航空隊が置かれていた横浜市金沢区の富岡総合公園に、昨日、4月3日(日)に行ってきました。十数年前から原則として毎年行っているのですが、昨年、一昨年は、天候が悪く、海軍飛行艇部隊の戦友会の慰霊祭と懇親会は順延になって、出席できませんでした。
昨日もはっきりしない天候でしたが、なんとか開かれました。

Img_0701_2s          残っている隊門の門柱あたりを海側(内側)から見たところ。

初めは、会員の一人に調査のために手紙でお尋ねしたところ、この会に皆集まるからいらっしゃいといわれ、出かけていきました。年を経るにしたがい、実際に飛行艇部隊に勤務された経験のある人は少なくなり、3年ぶりかで参加できた昨日は、そのような方は95才のI さんお一人だけでした。ご遺族や支援者として参加していた旧予科練出身者も少なくなり、海上自衛隊OBや飛行艇ファンの人たちが過半でした。

I さんとははじめてお話しました。横浜航空隊で魚雷整備を担当され、開戦とともに南方に進出、昭和17年5月の珊瑚海海戦後にソロモン諸島のツラギ島(ガダルカナル島の沖合海上の島で、英国の政庁があった島、実際に飛行艇部隊がいたのは、ツラギのさらに沖のガブツ島・タナンボコ島)に行かれたのだそうです。1月ほどで、高等科練習生として横須賀航空隊に行くことになり、内地に戻られたために、戦死を免れたそうです。そのままツラギにいた横浜航空隊の主力は、昭和17年8月初めの米軍の反攻、上陸作戦で、全滅しました。極めて少数の人々が壕に隠れ、または島を脱出、その後捕虜になって戦後生還しただけです。
当時、ツラギには飛行艇を陸上に揚げるスロープはなかったので、魚雷を付けるときはどうしたのか伺ってみたところ、魚雷を積んだゴムボートに3人が乗り組み、飛行艇の主翼の下へもぐりこみ、チェーンで魚雷を吊り上げたそうです。

帰宅後、飛行艇関係戦史調査の必読文献といっていい「海軍飛行艇の戦記と記録」(昭和51年、浜空会編)を開いてみたところ、I さんの2ページの回想が載っていました。ちなみにこの本は、ネットで探して都下の古書店から2003年に7,000円で買いました。

海軍の偵察関係のことを調べ初めて十数年になりますが、いまだにきちんとまとめるまでになっておらず、調べたことも忘れてきています。なんとかしなければと思いながら、その時に興味のあるあれこれに首を突っ込んで、できません。協力をしていただいた方々には申し訳ないことと反省しています。

2016年4月 2日 (土)

四ツ谷・市ヶ谷・飯田橋外堀沿い桜並木ウォーキング Walking along the Outer Moat, Edo Castle

今日は、ときどき行く鉄道沿線ウォーキングのイベントが、桜の季節にあわせて、旧江戸城北西部の外堀まで行くコースでした。
我が家の隊長がこれは縁のある場所で是非行きたいということで、ややしぶしぶ参加しました。

コース:
西武新宿駅-新宿御苑北縁沿い遊歩道-新宿通り-迎賓館前-食違見附-麹町ソフィア通り(上智大学西側)-四ツ谷駅-昼食休憩"CAFFE ANTONIO アトレ四ツ谷店"-

市ヶ谷駅-牛込見附・飯田橋駅西口-神楽坂-穴八幡宮前-休憩 ドトール・コーヒー-西早稲田駅前-諏訪神社-高田馬場駅 約11キロ

Img_0666_2s食違見附の土手から北、上智大学方向を望む。左のタワーは市谷本村町の防衛省と思います。

新宿御苑の北側の遊歩道は、以前は有料の御苑の中でしたが、現在は有料区域の外に整備されていて、手荷物チェックなし、無料で通れました。はじめて通りました。隊長がビジターセンターで見付けたパンフレットによると、4年前からこうなったのだそうです。

朝は出かける前にメールをチェックして急いで出たら、いくつも忘れ物をしてしまいました。街中なので大きな支障にはなりませんでしたが、気になりました。
・帽子
・マスク・・・コンビニで買いました。
・手袋・・・隊長から100円ショップで買ったというものを借りました。
出かける前に探したけれど、すぐに見当たらずにあきらめたものもありました。
・磁石・・・帰って良くみたら、ザックのポケットに入っていました。これは前日入れたようです。
・手帳・・・これは帰宅後探したら、一昨日に使った中型ザックに入っていました。

天気がうすら寒い曇り空で、あまり快適な日ではなかったのですが、場所が隊長に縁があるところで、話題が多く、いろいろ聞いているうちに歩き通してしまいました。

おまけの写真です。

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四ッ谷駅の向かいなので、ここなら文句なしにWCA, 世界城アワードの江戸城として出られるなあ、と見ていました。
外堀の土手の上も無線ができそうなところはないかと見ながら行きましたが、おおかたは外堀側に遊歩道が通っているので、飛ばなさそうです。ほんの短い区間だけ、堀側に花見用のシートを敷いているところがありました。

2016年4月 1日 (金)

国立市散策 Walking in Kunitachi City

我が家の隊長は今月の下旬予定の歴史散歩の会の幹事役になっていて、国立駅から南の方を歩く予定なのだそうです。一昨年の3月1日に、鉄道沿線ウォーキング・イベントに参加して、立川から国分寺まで歩きましたが、その時に南から北へ向けて歩いたのと同じコースで、国立駅から古民家までを往復し、解散後、オプションで、健脚組は駅の北側の方へ行くのだそうです。

もう2年も経ち、細かいところを忘れてしまったので、下見に行くからお供をするようにといわれて、昨日の3月31日(木)に行ってきました。

2年前とは、2人での行動で、イベントのようにぞろぞろと大勢ではないこと、同じ3月でも月の初めと終わりで季節が違うこと、前は小雨模様の寒い日でしたが、昨日は晴れたり曇ったりの暖かい春日和だったことなどが違いました。

駅から進む大通りの桜が7分咲きくらいで、見事でした。
最初のポイントの一橋大学では、伊東忠太設計の兼松講堂の柱の彫刻など、ゆっくり見ることができました。

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大学に新入生が来る時期とあって、運動部やサークルへの勧誘の大きな看板が並んでいました。さすがに無線部とか理系のものはありません。
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谷保駅へ向かう途中の歩道橋から大通りを見たところです。

広い大通りが狭くなり、UR都市機構の団地の横を通り過ぎたあたりにある「きょうや」という手打ち蕎麦の店で昼食をとりました。

谷保駅の西の踏切から南武線の南側に抜け、甲州街道を渡って、谷保天満宮に行きました。
隊長は前回もいたといいますが、こちらは人が多かったためか記憶になかった鶏が目に付きました。
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午後なのに雄鶏がコケコッコーと大きな声を上げて鳴きだしたので、動画を撮って、先日来作業をしてきたホームページに入れてみました。
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時期が受験が全部終わって結果が発表された時期なので、お礼参りの札がびっしりとかけられていました。写真と同じような掛けるところが4つあります。ここは東日本で最初にできた古い天満宮なのだそうで、参拝者も多いらしいです。
しばらく見てみると、管理人と同じ中学に合格した人の札、同じ大学の同じ科に合格した人の札もありました。こちらはあまり信心深くないので、昔にお参りをしたかとか、お礼に行ったかとかもう忘れてしまいました。子供たちのときのこともあまり覚えていません。札を掛けた若者、子供たちのことを思うと、往時茫々の感ありです。

天満宮からは一段低い土地を府中用水の用水路に沿って西へ向かい、柳澤家の古民家が復元保存されている公園まで行って、来た道を戻りました。
この辺りは畑や雑木林が残っていて道も細く、上の段丘面の計画的に開発された市街地とは対照的です。
帰りは隊長についていったら、一箇所間違えて、違う道を100mくらい進んでしまいました。やはり下見をして良かったようです。
昼食をしたところのすぐ近くの「ここたの」というカフェで休憩し、帰途につきました。このカフェは「とれたの」という近くの農家の生産品を売る店のとなりにあり、どちらも一橋の学生が街づくりへの取り組みでやっているそうです。

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