2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« JA7IC/p @ JAFF-004 磐梯朝日国立公園からのオンエア情報 | トップページ | 「私の昭和史」 »

2015年8月 7日 (金)

金沢山称名寺 Shomyoji Temple

日ごろなんとなく武蔵国は東京都と埼玉県、相模国は神奈川県と思っていましたが、地図で昔の両国の国境を見ると、現在の東京都町田市が南方の神奈川県のほうへ張り出している先端から、そのまま東南の方へ伸びていて、東京湾の横浜市金沢区と横須賀市の市境まで達しています。多摩川の右岸や鶴見川など東京湾に注ぐ川の流域は武蔵国となっていて、それなりに合理的なことに気付かされました。
多摩川の南側の東急東横線に武蔵小杉駅もあるのですが、あまり意識しないで通っていました。

昨日は、その武蔵国の東南の端、旧久良岐郡六浦荘金沢郷、現在の横浜市金沢区金沢町あたりに行き、神奈川県立金沢文庫と称名寺を見てきました。
このところ、中世史に興味を持っていて、特に鎌倉やその外港であった六浦あたりに一度は行ってみたいと思っていたところに、6月下旬には会合で元気な姿を見せていた知人が急逝したとの訃報があり、お通夜が近くであったので、暑い最中に衣装バッグ持参、コインロッカー利用で出かけました。

京浜急行の金沢文庫駅から東へしばらく歩くと左手に丘と大きな屋根が見えてきました。予習不足で、これが寺かも知れないと進んでいったら、金沢文庫でした。

Img_9816s

Kanazawabunko Museum, Kanazawa-ku, Yokohama City There was the Kanazawa Bunko library in 13th and 14th century here. The library was lost but some of the books in the collection still remain in various places over the country.

一番暑い時間帯を歴史博物館になっている館内で過ごした方が良いので、見てまわると、ちょうど団体がいて、説明役の講師が金沢北条氏歴代の肖像画の前で、1333年に北条貞顕は北条得宗家の北条高時らと一緒に自刃し、子息の貞将は巨福呂坂で新田義貞勢に切り込んで討ち死したことなどを説明していました。
金沢文庫は鎌倉幕府の滅亡後に失われましたが、その蔵書があちこちに伝わり、金沢文庫旧蔵ということが古文書の価値を高めたので、偽物もたくさん出回ったのだそうです。 展示品にあった蔵書印は黒の単純なもので、真贋の判定もたしかに難しそうでした。
図書閲覧室があったので、そこで司書の人に昔の地形が分かる資料を教えてもらい、鎌倉時代ごろには称名寺・金沢文庫の南西に大きな入江があり、瀬戸の内海などと呼ばれていたことを知りました。 同じような資料が下のリンクにあります。 http://hamarepo.com/story.php?page_no=1&story_id=29

入江の埋め立ては江戸時代から行われ、明治以降にはさらに外側の東京湾で埋め立てが進んだので、このあたりの地形は激変しています。

博物館を出て、小さなトンネルをくぐり、称名寺の境内に入りました。近くに昔のトンネルも残っていますが、入り口は閉鎖されていました。

Img_9830sShomyoji Temple, Kanazawa-ku, Yokohama City

称名寺は山号を金沢山といい、13世紀後半に創建され、金沢北条氏の菩提寺として、大きな伽藍を備えていました。
現在の寺は江戸時代に復興されたもので、中世から残る建物はありませんでした。丘を背にした寺の場所や広い境内が金沢北条氏の権勢を示しているようです。

Img_9821s          北条貞顕供養塔(南北朝時代)

金沢八景駅の近くには平潟湾があり、海からの風は少し涼しいようでした。この湾も昔はもっと南西に入りこんでいて、六浦の港は現在すべて陸になっている京浜急行の線路の西にあったらしいです。

Img_9851sThere was the Mutusra Port nearby in the medieval time. It served Kamakura, the capital city during the Kamakura Era, from 13th to 14th century.

« JA7IC/p @ JAFF-004 磐梯朝日国立公園からのオンエア情報 | トップページ | 「私の昭和史」 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

冒頭に国境に就いての記述がありましたので一言。
私は、町田市に20年ほど住みましたが、当時地元の人から聞いた話では、町田市は神奈川県が借金の返済に換えて東京に編入されたとの事でした。
北部のR16号付近には、相模原市相原、町田市相原、同様に橋本も両市に跨がって住所が存在します。間を流れる川で分断されたもようですね。

JA7ICさん、コメントありがとうございました。
町田市がもと神奈川県だったとは知りませんでした。
神奈川や兵庫は、開港場がある県として、名称や県域がかなり政治的に決められたようですが、区域変更があったのも、その辺に遠因があったかも知れませんね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/585446/62038103

この記事へのトラックバック一覧です: 金沢山称名寺 Shomyoji Temple:

« JA7IC/p @ JAFF-004 磐梯朝日国立公園からのオンエア情報 | トップページ | 「私の昭和史」 »