南魚沼 その2 越後上田庄
29日(土)の朝に六日町の宿で目覚めると、目の前に金城山(1369m)と坂戸山(634m)が山裾に帯のような低い白雲をまとって見えていました。
午前から午後2時半ごろまでは、今回の主目的の家族日程で、八海山の麓の場所で楽しく過ごしました。
そのあと、車で北上して金城山の麓の古い寺、「金城山雲洞庵」を見に行きました。
由緒では奈良時代に藤原一族の婦人が尼となって庵を開き、室町時代の中期に鎌倉公方の下で関東管領であった上杉憲実が曹洞宗雲洞庵を開創したとのことです。上杉憲実は主に鎌倉中心に活動したようですが、父親が越後守護で、生まれは越後だったようです。また、足利学校や金沢文庫を再興したといわれているので、宗教、文化にも関心が強かったのでしょう。
上杉氏は足利氏の家来筋ですが、もともとは勧修寺流の藤原氏でした。はじめての皇族将軍であった第六代将軍宗尊親王が関東に下って来るときに、お付きとして上杉重房が鎌倉に来て、丹波国上杉荘を与えられ、武家になって上杉と名乗ったとのことです。上杉憲実も、藤原氏の縁で雲洞庵を大切にしたようです。そのようなことから、越後で一番寺格が高いとされているそうです。
また、越後の守護は同族が継ぎましたが、憲実は上野国の守護であったので、越後と上野を結ぶ道の沿道にあるこの寺を大切にした可能性もあります。
戦国時代など、古い時代には、清水峠に通じる清水街道が、関東に出る近道として使われていたそうです。現在は通行不能らしいです。
雲洞庵の赤門。宝永4年(1707年)に再建されたもの。
The Red Gate of the Untoan Temple.
赤門から本堂に至る参道。敷石の下に法華経の文字を書いた石が敷き詰めてあり、歩くとご利益があるとのこと。
雲洞庵本堂。同じく宝永4年の再建。 The Main Chapel.
戦国時代には、上杉景勝と直江兼続がここで勉学しました。(大河ドラマ「天地人」の主人公)
六日町の市街方向に戻り、坂戸山の麓にある坂戸城址に行ってみました。
駐車場で車を下りて見回しても、どこが城跡なのかちょっと分からなかったのですが、トレイルランイングのトレーニングを終えた様子の人に聞いたら、車止めの先に行けば、5分足らずで石垣がありますと教えてくれました。山自体が城だったようなので、頂上まではどのくらいかかるか尋ねたところ、上の方は相当にきつく、登山のつもりで行かないとだめとのことでした。どれくらいの時間で登ったのかきいてみたら、25分とのことでした。パンフレットのコースタイムでは80分です。
戦国時代の上田長尾氏の居城で、こちらも大河ドラマに登場しました。
坂戸城跡の石垣。慶長15年(1610年)に廃城になるまで整備されたので、残っている遺構はそのころの領主、堀氏によるものらしいです。
The remains of the Sakado Castle. It was built in the medieval era and abandoned in 1610.
下から坂戸山を見上げたところ。左の谷筋が城坂コースのようです。
This hill itiself was fortified.
〔上杉氏成立の由来について参考にした本: 今井雅晴「中世を生きた日本人」学生社、1992。たまたま図書館で見つけて今借りている本です。著者の名前になんとなく見覚えがありました。高校のころの運動部でちょっとこわかった先輩らしいです。〕
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