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2015年8月12日 (水)

「私の昭和史」

考えてみると、いくつかある文学の形式の中で、散文詩との関わりは、独特のものになっています。
学校時代に教科書に出てきたいくつかの詩の冒頭のフレーズや詩人の名前は、それなりに憶えているのに、成人になってから散文詩を読むようなことはありませんでした。新聞にも短歌や俳句の欄はあって、週に1回はかなりの紙面がさかれていますが、詩を目にすることはありません。

そんなことで、5月ごろに、歴史好きの知人のKさんから、返却はいつでも良いから読んでみてはどうですかと、中村稔著「私の昭和史」(青土社、2004年刊)を送っていただいたときには、この著者の名前はまったく知りませんでした。
調べてみると、1998年に日本芸術院会員、2010年には文化功労者に選ばれている、現代の代表的な詩人でした。
日本近代文学館理事長を経て名誉館長となっていますが、これは、知的財産権を専門とする弁護士としてトップクラスの実績があることも評価されて、散文詩という小さな分野にもかかわらず、選ばれた可能性があります。

Img_9793s駒場の旧前田邸の敷地内にある日本近代文学館。ここも暑い最中の8月4日(火)に初めて行ってみました。

厚い本ですが、興味深く読み進んで読み終わったら、まだ終戦のところまででした。
そのときは、占領の終了、平和条約のところまでは読んでみようと、続編の「私の昭和史-戦後編 上」(2008年刊)を図書館で借りて読みました。結局、止められなくなり、同下巻、引き続き「私の昭和史 完結篇 上、下」(2012年刊)まで5冊を7月のはじめに読了しました。

そんな他動的な読書で、ここで取り上げるのもやや場違いですが、これほど大冊の本を読むことは稀なので、記録として書いておくことにしました。

どうも詩や詩人について書かれていることは、あまり良く分かりませんでしたが、むしろ、著者が弁護士として関わった特許権、著作権、表現の自由、商標権などの訴訟、係争の話を興味深く読みました。

著者は昭和2年の早生まれで、長命なのですが、そのために、先立って逝った友人、知人への追悼と鎮魂の言葉が次々に出てきます。
読んでいて、これは昭和の「平家物語」なのではないかと思いました。源平の合戦のようなものがあるわけではありませんが、昭和、特に戦後の科学技術の進歩、産業の発展、高度経済成長に寄り添うように仕事をしてきた著者が、平成の時点で振り返って、失ったものが大きく、無常を感じているように読めました。

また、強い正義感を持った文学青年が、弁護士という束縛の少ない立場で、そのまま成人となって、理想主義やロマンチシズムをかなり保ったまま、社会を観察しています。大戦の戦場に行くことは、僅かの年齢差で免れていますが、いつ死ぬことになってもおかしくないという、戦中の体験は、著者や友人たちのその後の人生にも大きな影響を与えていることが伺えました。

一つの特長として、大宮に生まれ育ち、結婚後も大宮に住み続け、職場はほぼずっと丸の内の特許法律事務所なので、全体が定点観測になっています。昭和という変化が大きかった時代では、ありそうでなかなかない一生なのではないでしょうか。

著者の活動の幅広さから、多くの人々が登場します。ソニーの盛田昭雄氏ともクライアントと弁護士という縁での接触が書かれています。ソニーがまだ電気製品しか製造販売していなかった頃に、「ソニーフーズ」という名の会社ができて食品を販売したのを、差し止めた訴訟があったそうです。

なにしろ大作なので、書けばきりがありませんが、おそらく昭和という時代を書いた本の代表的なものの一つとして、残って行くでしょう。

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