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2015年6月17日 (水)

大森貝塚 Omori Shell Mound

明治10年(1877年)の今日、6月17日にアメリカの生物学者、エドワード・S・モース(モールス)(Edward S. Morse)は、日本で腕足動物の調査をするため、横浜に到着しました。
翌々日の6月19日に横浜から鉄道に乗り、新橋に向かいました。列車は途中、前年に開設されていた大森駅で停車したと思われます。大森駅を発車して間もなく、左側の崖に貝殻の層があるのを見つけました。
鉄道が開通してからまだ5年で、当時の工事ですから、線路を敷くために行った切土にまだあまり草なども繁らず、断面が見えていたのでしょう。幼時からメイン州の海岸で貝類の採集などをしていたモースは、この貝の層に興味を持ち、約3月後に調査のためにこの場所を訪れ、発掘をしたそうです。
これが日本の考古学の出発点となった、有名な大森貝塚の発見でした。

先週末、13日(土)にこの大森貝塚をはじめてゆっくり見ました。ここの線路は何度も通っていて、線路脇にある二つの大きな記念碑を目にしていたかも知れませんが、現代の電車は速度も早く、見た記憶がありません。

大森駅から西側の高台の方へ出て、駅前の南北の大通りを北の方へ数分進み、ビルとビルの間の狭い通路を通って線路脇に出ると、背の高い記念碑がありました。

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The second monument comemorating the discovery of the Omori shell mound, built in 1930 in Ota-ku. Tokyo.

この記念碑には「大森貝墟」と書いてあり、裏には昭和5年(1930年)と建立年が書いてありました。ここは大田区です。建てられたころは大森区でした。

大通りに戻り、少し低くなったところから北へまた坂を上がると、「品川区立大森貝塚庭園」があります。ここは道路と線路の間が全部公園で、線路脇、駅に近いほうの公園の隅に、もう一つの記念碑がありました。これは横長で、上に縄文土器の形の飾りが載っていました。

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The first monument in Shinagawa-ku, built in 1929.

こちらは、昭和4年竣工となっていましたので、大田区側のものよりも1年古いものです。
どうも、モースが1925年、大正15年に死んだことが記念碑建造のきっかけだったのではないかと思われますが、最初の貝塚の調査から50年余が経ち、実際の場所がどこだったのか、はっきりしなくなっていて、二つの記念碑になったらしいです。大森貝塚ということで、大森区(大田区)住民が自分の方が真正の大森だと頑張ったのではないでしょうか。

戦後の調査で、現在では、後の方の品川区の方がモースが調査した場所だとわかったようです。

大森貝塚庭園には、貝の層が見られるように覆いをつけた観察用の穴が作ってありました。

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A shell layer is seen in the earth about 50cm deep here in a exhibition hole.

今までは、貝塚は古代人が場所を決めて捨てた貝や土器などが積もったもので、その捨て場所に当たらないと見つからないのだと思っていました。ここの場合はどうもそうではなく、長い年月の間、採取した貝などをあたり構わず投げ捨て、それが積もり積もって丘の上全体を層になって覆っていたようです。この点は、実際に見て、認識を改めました。「塚」、英語でも"mound"といっていますが、ややミスリーディングな呼び方と思います。
貝殻がどの辺りまで広がっているのか、良く分かりませんが、少なくとも線路の方が昔の海だったようなので、海側斜面はほとんど貝の層に覆われていたのでしょう。

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Edward S. Morse, who discovered the Omori shell mound on June 19, 1877. He left big foot prints in Japan's biology and archaeology. He was born in Maine, United States.

ここの庭園(公園)にはモースの胸像もありました。モースはお雇い外国人として来日したと思っていましたが、この点も違っていたようで、来日後に設立されたばかりの東京大学で教えることを引き受けたとのことです。もっとも急に滞在期間を長くするとは考えにくいので、来る時からチャンスがあるなら日本で職を持って調査をしようというつもりだったのかも知れません。

明治政府も、軍事や交通(灯台、鉄道)、建築などの実用性のある部門は早くからお雇い外国人を招いたものの、純粋の学術方面はどうして良いかよく分からなかったのかも知れません。モースの場合は、自身の調査をしたいという意欲が当時の必要とうまくマッチした幸運なケースだったのでしょう。

なお、電信に使われるモールス信号のモールスは、英語の綴りは"Morse"で、モースと同じですが、サミュエル・F・B・モールスという別人です(1791年 - 1872年)。

大森の駅の周辺にかなりの高低差があり、大田区側の記念碑と品川区側のそれとの間の区境のところは、今は暗渠になっていますが、小さい川があったようです。品川区側は大井という地域で、大井町駅にもその名が使われています。そんなことも今回はじめて知りました。この区境の近くに4月から長男夫婦が一緒に住みはじめたので、我が家の隊長が「お父さんが見たいといっている」と勝手にメールして、土曜日に二人して押しかけていった次第です。

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