昔のSWLログ Old Logbook of My SWLing
先週の土曜日、20日はちょっと都合が悪くて、いつもの28メガでのローカルラグチューはしませんでした。日曜日にJA1DLN局からメールがあり、一日遅れで同じ時間帯に出ても良いとのことでしたので、せっかくのことなので、交信をお願いし、2100JSTから約1時間、お話ができました。先日の記事で紹介したOMとのこの日の話題は、主に50メガのことでした。その前の週のクラブ員間のメールで、50メガのEスポ伝搬やEスポ発生の早期検知方法についてたくさんのインフォが行き交っていたからです。
当局は現在50メガのアンテナがないし、過去もあまり出たことがありませんが、話をしているうちに、大昔にSWLを始めたころ、3A5というミニチュア双3極管で50メガの超再生トランシーバーを作り、バンドを受信していたことを思い出しました。たしかログもつけていて、デスクの横の書棚に置いてありました。
A6サイズの小さなノートです。DLN局のお話を聞きながら、開いてパラパラとめくって見ました。すると、驚いたことに当のJA1DLN局のコールがあるではありませんか。
1959年の12月6日で、もっともらしくRSが書いてありますけれど、単球ですからもちろんSメーターなどなく、耳Sです。DLN局はこの頃すでに現在と同じQTH、当方は今のところから5~6km南に住んでいました。DLN局も古いログはお持ちだそうですが、押入れの中で簡単には確認できないとのことです。ただ、相手の局のコールはご存じで、同じ会社の洗足にお住まいの方だったとのことです。
当時はアマチュア無線が盛んになりつつあり、太陽黒点も多くて、このページにもあるように50メガでVKと交信している局がしばしば聞こえました。面倒くさい受験や免許申請を経ないで、他人のコールやそれらしいコールで出てしまう人もままあったようですが、相手局から見て、そのような交信ではなかったようです。
当方は、たしかTVフィーダーでフォールデッド・ダイポールを作り、木の角材に固定して、軒の高さくらいに上げていました。ただ、土地が東南に向けて傾いていた場所で、玄関からは1階なのですが、アンテナの場所では地面から2階の高さがあり、南や東の方は割に良く聞こえたと思います。
このリグの作り方を教えてくれたのが、当局のJAFF-013、上信越高原国立公園移動(浅間山北麓移動)をサポートしてくれた現(昨年開局)JI1DKI局です。
トランシーバーで、送信も可能でしたが、乾電池電源で微弱出力でしたし、もう時効でしょう。お互いにまだ中学生でした。ノートの字がつたないのもそのためです。
VKなど外国の信号を聴いてみたいとワッチしていたようです。ただ、確実にDXだというシグナルを捉えらた記録はありません。やはり単球超再生では感度が不足なのと、英語力も足りなかったのでしょう。
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