KC4DX in 1972
早いものでもう3月3日です。1月ほど前に読んだものの紹介で恐縮ですが、先日の大DXペディションのホームページをあれこれ見ているうちに見つけて、読み始めたら止められなくなったのが、1972年5月にW4、米国東南部のアマ無線家を主体とした10人で同じ島に上がって無線をしたKC4DXの体験記でした。
http://kc4dx.com/
いくつかハプニングがあってたいへん面白いストーリーになっていました。
例えば、このチームはジャマイカから漁船で島に行き、今でも唯一の海からの上陸可能地であるルル湾のキャットウォークから吊り下げられた梯子を昇ったのですが、年配の一人があまりにも危なげなので上陸を拒んだそうです。全員で説得してなんとか無事上陸したそうです。
3日に満たない滞在中にソ連の漁船が近くに現れて、無線機が故障したので直してくれと頼まれ、チームの一人が真っ暗闇の中、梯子を下りてこの漁船に行き修理(ヒューズ交換)をしたそうです。キューバが近いのでソ連漁船がいてもおかしくはないと思いますが、あまりにもタイミングが良すぎますね。ソ連の情報機関が無線のチームが秘密の軍事任務か何かで上陸しているのではないかと探りに来たのではないでしょうか。 もっとも、修理のお礼にもらった燃料の重油のおかげでチームの船が辛うじてジャマイカに帰り着いたそうです。
また、2つあった発電機の置き場所をめぐってチームの中で揉めたそうです。約30メートル(90フィート)離れた斜面の上と下にリグを分散配置したそうですが、危険防止のために発電機を離して置くか、給油の便宜のために同じところに置くかでもう少しで殴り合いだったそうです。
これ自体、相当に大掛かりですが、先だってのペディションのようなヘリコプターを使ったりするものに比べるとまだヒューマン・スケールというか、親しみが持てました。
ちなみに参加者は50才台の2人を除くと皆30台だったそうです。先だってのチーム15人の平均年齢は60台(どこかに数字がありましたが忘れました)ですからアマ無線界の高齢化を反映しています。
DXペディションの解説プレゼンテーションのビデオを見ていたら、海からの上陸用の梯子の写真のところで、解説者が40年前にここに行ったといいました。あれ?そんな歳の人が15人のチームにいるのかと解説者名を見たらW4GKFで、現地に行くメンバーではなく、チームのウェブ・マスターでした。彼の略歴に上記のKC4DXのリンクがあり、また彼がこのペディションのリーダーでした。
当時、筆者は最初のアメリカ滞在から帰ったころで無線はしておらず、局免許の更新を忘れて切らしてしまった頃です。体験記の一部にも当時のアメリカの風潮が現れていて懐かしく感じました。
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