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2015年2月

2015年2月24日 (火)

ARRL DX Contest CW, 2015

21日(土)から3日間、朝のみコンテストに出てみました。例年と同じくアメリカ本土とカナダのCWオペレーターに「ハロー」とあいさつをするような気持ちで点数などは気にしていません。
土曜日は開始の00Zから1時間ほど、日曜日はUTC土曜の2150ごろから朝食時間をはさんで正味2時間ほど、月曜日は出かける予定があったのでUTC日曜の2300ごろから10分ほどと支度を済ませて2340ごろから10分ほど、トランシーバーの前に座りました。
思ったよりも28メガが良かったので、全部28メガで、計70交信、州とプロビンスは26でした。
昨年は38マルチでしたから、だいぶん減りました。
土日には東海岸がほとんどできず、PA、 FLだけでした。
月曜日にCQを出したらMA、CT、NYなどに呼ばれたので、月曜のほうがコンディションが良かったのかも知れません。

今年は固定局のリグを使い、こちらからのナンバーは 5nn1tt を送りました。実際は80W程度ですが、四捨五入で丸めました。
呼びまわり/S & Pとランニングはおよそ半々でした。呼ぶ方は西海岸の局はほとんど呼ばず、東の方の局を探しましたが、あまり聞こえず、K2SSSなど聞こえて呼んでも届かない局もありました。日曜はコールが2×3の普通の個人局らしく見える局は西海岸でも呼んだりしましたが、こちらの設備が最低限なので聞こえる局も限られていてそのような局はあまり見つけられませんでした。JA局の交信ぶりを聞いていた時間帯もあります。
ランニングでは月曜の最初にWO4OとWK1Qの2局が同時に呼んできて、うまく対応できずアタフタしてしまいました。28080より上のほうでやっていましたからあまり聞かれてはいないと思いますけれど。
試みにRBNのデータで最終盤の22日2300-2310Zころの当局のSNR値とコンテスト・シャックからKWでフル参加と思われたJA1BPA局のSNRを比べてみたら、差が小さいスキマー局でも11dB、だいたいは20dB弱の差がありました。それでもこちらのCQを見つけて呼んでくれるので感心します。バンドスコープを使ったり1バンド2人体制にして弱い局でも逃さないようにしているのでしょうか。

2015年2月22日 (日)

指定無視の重ね呼び Endless Callers in Pile-ups

このテーマについて当局のようにあまり技術レベルが高くなく○○の横好きでCWをやっているものが何か書くのはいかがかと思いましたが、一般にいわれていることとは少し違うことを考えていて、何か思い付くと書いてみたくなる性分なのでお許しください。
ちょうどCQ誌3月号のOE1ZKC(JH4RHF)局による1A0C、マルタ騎士団からの運用記に「パイルアップを呼ぶマナーについて」との見出しで関連のことが出ていましたので(pp.85-86)、今のうちにということもあります。

私見では、この問題を「マナー」の問題として扱ってもあまり改善が見込めないのではないでしょうか。
「マナー」はたしかにいろいろな使い方があり、間違いとはいえませんが、「テーブルマナー」、冠婚葬祭のマナーなどで使われる場合には、ちょっとおかしくても多くの人々がやっているならいいことになります。無線の世界でも、あなたはマナーが悪いといっても「他の大勢がやっているからこちらもやっているだけです」で終わってしまいそうです。

どうも近年はCWの実技の試験がなくなったり、フォーンやデジタルモードでのDXCCハンティングがほぼ終わってしまった人が増えたり、PCを使ったデコーダー(解読器)や解読器内蔵リグが使われるようになったり、様々な要因で、CWでオンエアしてくる局の通信技術、端的には耳での受信能力が低下しているのではないでしょうか。
アマチュア無線家は各自それなりにプライドがあるので、技術が低い、○○だ、といわれた方が行いを改めるのではないでしょうか。
あるフォーンでは一流DXerの実績がありタワーとビーム、KWの免許があって、かなりCWでも珍しいところが聞こえるとアクティブ呼んでいる人から、CWは良くとれないけれど自分のコールかどうかぐらいは分かるのでこのごろはCWもやっていると聞いたことがあります。それでもこちらで聞いているとコールが返ってきたのにすぐには出ていかなかったり、まだ呼んでいることがありました。
このレベルとご本尊が他人のコールを打ったのにもしかしたら自分かも知れないと呼んでいるのは紙一重で、大勢の中にはそのような人がいる可能性があります。また自分ではないらしいと感じても、はっきりコールが取れない場合はどこかの誰かさんだから妨害になっても構わないと思ってしまうのではないでしょうか。(当局も弱い信号の局を呼んで応答がQSBの谷に入ってしまったようなときは仕方ないのでもう一度呼びますが。)

誤解されると困りますが、CWの技量が高くない人はするなという趣旨ではなく、しても構いませんがほかの迷惑にならないように注意してやって欲しいということです。

もちろんこの他に実際に多いのは「赤信号みんなで渡れば怖くない」で他の人がやっているからやらなければ損という人かと思います。これらの人々は今の状況では技量が低いと間違われることを承知でやる思慮の浅い人だといえます。幸いに今のところ知り合いにはいませんが、もしいたら「○○だなあ」といってあげようと思います。「いやご本尊の送信はとれてるよ」といったら「頭でとれても手が動いてしまったらとれていないのと同じだよ」というつもりです。
多くの人は"UP"、 "EU"、 "QRX"など短い定型の指定は分かっていて、指示に従わないずに送信する人がいると心の中で「○○」とか"・・・"といっていると思います。それが5文字や6文字のコールサイン、またはその一部の文字でたくさんのバリエーションがある文字列になると、お構いなしに送信しているわけですが、同じように恥ずかしいと思うべきです。

多数の中には確信犯の人もいるかと思います。残念ながらEUに多いようですけれど、"TU", "TU CQ …”の前に呼ぶのは陸上競技でいえばフライイングの反則で、ルールに従っているかどうかの問題です。
無線のパイルアップでは審判がいないので違反者にペナルティーを課すことが難しいわけですが、一つの対策としては、DXの側でランダムに録音し、あまりルール違反が甚だしい局はログから落とすようにしてはどうでしょうか。そのようにアナウンスするだけでも効果が期待できるかも知れません。

所詮は遊びなので技術レベルのことなどをあまり目くじら立てていうのはいかがかとも思いますが、せっかくの楽しい趣味をつまらないものにしないような対策ができると良いと思います。
先般の大DXペディションでは皆が秩序ある呼び方をすれば、局を裁くスピードは優に2倍、3倍に上がり、おこぼれ頂戴組にも順番が来たかも知れません。それにもまして気になるのは、"JA"指定でオペレーターの同国人を多数待たせていたのに指定無視局のために交信がはかどらず、国際親善にもマイナスだったと思います。

違反者にペナルティーを課したり注意したりするきらわれ役は個人では難しいので、DXペディションの組織やクラブで対応していただければありがたいです。

なお、前掲のCQ誌記事は、見出しは別にして内容は共感できるものでした。

2015年2月20日 (金)

ヘックス・ビームの新組み立て法テスト New Method of Hex Beam Assembling

日が開いてしまいましたが、12日(木)に荒川河川敷で前から考えていた新しいヘックス・ビームの組み立て手順を試してみました。
今までは定石どおりにスプレッダーでオチョコ傘の形を作ってからワイヤー・エレメントを止めていました。その場合にはセンターポストに近い高いバンドのエレメントから順に再利用可能結束バンド(インシュロック)で止めていきます。スプレッダーとスプレッダーの間は釣竿とスプレッダーをセンターポストに引く紐があって移動できないのでスプレッダーを回しながらやりますが、高いバンド用エレメントのときはスプレッダーの間に出入りするのが面倒です。外の方の低いほうのバンドのエレメントは、竿と紐の間を通さなければならないのに、間が狭いので間違えて通し忘れることがありました。

今回のやり方は、ベースプレートを低い位置で仮止めし、スプレッダーは真直ぐ水平のままの状態でエレメントを止めておいてから紐をセットし、プレートを所定の位置まで上げ、紐を引いて形を作るという順序です。もちろん、ワイヤー・エレメントの端、給電点側をターミナルに止めてしまうと、長さが足りずもう一方の端が届かないので、給電点を挟むスプレッダーに仮止めをして置きました。 写真はスプレッダーをしならせる直前に写しました。

Img_8960s
この写真は失敗の記録にもなってしまいました。手前右側が給電部のつもりでエレメントをセットしたのですが、プレートを上げようとしたら、本来はこちら側に見えていなければいけない給電点のターミナルが向う側を向いていました。プレートに付けた目印の矢印の意味を自分で180度取り違えていました。 もともと新方式でも仮止めなどの余分の手間が加わって時間短縮効果はそれほどでないと思われましたが、これを含めて3つくらい失敗があって、ほとんど同じになってしまいました。
ただ、事前の準備でティップ・スペーサー部分にビニールテープを巻きつけたり、リフレクターの中心に目印を付けたりしたので、どちらの方式でやるにしてもワイヤー・エレメントが扱いやすくなりました。

Img_8969s
現在は外側の18メガ、21メガ用エレメントは裸銅線ですが、扱いにくいのでビーメックス線に替えたいと思っています。
今回は昨年12月のSWR測定を踏まえ、エレメントの長さを修正しておいたので、その面でも改善が図れました。18メガでは高さの影響を受けやすく、フジポール2段だけ伸ばした状態では1.2なのが、4段伸ばした状態では1.5で、最低点がバンドの上にはずれてしまうらしいことが分かりました。

当日のQSOは、ヘックス・ビームで4局、7メガ逆Vで3局の計7局でした。

2015年2月15日 (日)

高島平-東京大仏-光が丘ウォーキング Walking in Itabashi-ku

今日は久しぶりに我が家の隊長と鉄道沿線ウォーキングに行きました。都営地下鉄三田線の高島平駅を出発し都営地下鉄大江戸線の光が丘駅に至るコースでした。風が強い日でしたが日差しはあり30分も歩くとポカポカしてきてマフラーや手袋はいらなくなりました。

まず北へ荒川まで行き堤防上を上流方向にしばらく歩き、戻って都立赤塚公園を抜けました。板橋区立郷土資料館でかなり時間をかけて展示などを見ました。

Img_9024s資料館の脇の階段から台地上に上がるとそこが赤塚城の本丸跡でした。写真の木立の向うが荒川沿いの低地です。15世紀の半ばに千葉氏が下総から移って本拠地にしたそうです。千葉氏は戦国時代には北条氏の一門となりましたが赤塚城は北条氏の滅亡に伴い廃城になったようです。なお、アマチュア無線のWCAのナンバーは現在ありません。
Img_9038s今日の目玉は東京大仏でした。乗蓮寺という元は中山道板橋宿にあった寺ですが、もとの場所が戦後国道の整備用地になったのを機会に赤塚城跡の二の廓跡に移転し堂宇や大仏を建立したそうです。
Img_9048s500メートルほど行ったところに松月院という大きなお寺がありました。この寺は千葉氏の時代からこの地にあったそうです。現在の高島平駅の近くの徳丸ヶ原で天保12年(1841年)に高島秋帆が日本で初めて西洋式砲術の調練を行いましたが、その時秋帆が松月院に本陣を置いたそうで、秋帆の顕彰碑が立っています。大正11年のものですが当時の砲身を中心に火炎を放つ弾丸がまわりを囲むユニークなものでした。
「高島平」という地名は昔からのものではなく高島秋帆にちなんで付けられたのだそうです。これは知りませんでした。

朝の9時10分ごろ高島平から歩き始めたのですが、資料館などでかなり時間がかかってお腹が空いたのでコースを少しはずれて成増駅前でモスバーガーを食べました。
午後は東武東上線と川越街道を越え、都立光が丘公園に入りました。
Img_9060st公園の池にカメラを構えた人たちが大勢いるので近寄ってみるとカワセミがいました。隊長は初めて見たそうです。
光が丘からは大江戸線1本で帰宅できるので買い物をしていくという隊長と別れ家に向かいました。
Img_9056stおまけの写真です。松月院から成増駅に向かう途中で見かけました。






2015年2月14日 (土)

My First Portable Operation in 2015 荒川河川敷移動

I went to the riverside of the Ara River last Thursday, February 12, to operate radio from outdoors for the first time this year.
I had those tireless and resourceful operators of K1N on Navassa Island in mind, but I also wanted to try a new procedure to assemble my quadruple band hex beam.

Img_8972_2s
The day turned out to be an exceptionally mild day for mid-winter. The band conditions were also very good and I was very excited to hear dynamic signals from the Caribbean Sea.
I called the station several times on 10 and 12 meter bands, but the pile-ups appeared too big to give any chance to small pistols and I did not bother to push on.
As I had just started to use the sound recording function of my camera, several sound clips were brought home.

10 meter band. OP: W2GD (ClubLog)
「10_meter_band.wav」をダウンロード

Trx_s_t_4

12 meter band. OP: W6IZT (ClubLog)
「12_meter_band.wav」をダウンロード


15 meter band. OP: K9CT (ClubLog)
「15_meter_band.wav」をダウンロード


The new assembling method was not so efficient and it took about an hour and a half to finish. I turned my transceiver on at around 0830 JST (2330z, Feb. 11). The signals from Navassa on the 15 meter band faded out after 1030J (0130z).
I would like to write a report on hex beam assembling later in a separate article.

12日(木)は今年初めての移動運用に行ってみました。例のK1N のDXペディションを聞いてみることと先日から考えていたヘックス・ビーム組み立ての新しい手順を試すことが目的でした。
ハイバンドのコンディションが良かったようで、特に28メガでは驚くほどの強い信号を聴くことができました。
カメラのサウンド・レコーダーで録音しましたので、一部を載せてみました。
それまでのJA局との交信数が伸びていなかったためでしょう、パイルアップが大きくてとてもおこぼれ狙いの当方には歯が立ちそうもなく、せっかくなので多少は呼んでみましたが、早々にあきらめて聴くほうにまわっていました。アンテナとロケーション(水面反射など)の効果がどれくらいあるのか知りたいところですが分かりません。
アンテナのほうは、組み立て途中で3つか4つ失敗があり時間ロスもあってねらったような迅速化の効果はあまり出ず、0700JSTから作業を始めて受信開始は0830Jごろでした。
このことは別途書きたいと思います。
晴のち曇の予報でしたが、ずっと晴れていて暖かく、風もほとんど無く、日よりとしてはこれ以上を望むべくもないような日で幸運でした。

2015年2月 9日 (月)

周防大島 Suo-o Shima

1月14日に山口県の周防大島(屋代島)在住の郡さんから電話をいただいたことを書きました。
その後、いくつか島に関係のあることが先月に続きましたので書きたいと思います。
郡さんは、電話のすぐ後に島の観光パンフレット数点や地域情報誌などを送ってくださいました。その中に「周防大島町 村上水軍の史跡」というものがあり、この島に村上氏関係の史跡があることを知りました。
前から瀬戸内海の海賊や水軍のことを知りたいと思っていたので、図書館から中国新聞社編著の「瀬戸内水軍を旅する」という本を読みました。
村上氏は、戦国時代には今の瀬戸大橋尾道今治ルートに沿う因島、能島、来島をそれぞれ本拠とする三家があり、戦国大名と対抗したり同盟したりするほどの勢力があったようですが、その内の能島村上家は関ヶ原の戦いで西軍に付いたことからそれまでの本拠地を失い毛利氏の家臣となって周防大島に移り住んだそうです。子孫たちは水軍の技を買われ長州藩の「船手組」のトップとなったのだそうです。

S
島から本州側の大畠方向を見たところ。右の端が大島大橋。潮流が激しいことが分かります。水軍は瀬戸内海のあちこちにある狭い水道の航行方法に明るいことが強みでした。

数日後には今年1月発行の「キリバス友の会会報64号」が届きました。その最初に郡さんの短い思い出の記が載っていましたが、これがタラワ島滞在中に日本人の女性アマチュア無線家が現れて度胆を抜かれたという話でした。T31KYの山上さんという方だったそうです。私は交信したことはありませんが、この方の太平洋各地での活躍のことを雑誌で読んだことがあります。郡さん自身もT30DMという免許を持ち、電話と違って無料なので随分助かりましたと書いてありました。

また、同じく現在周防大島在住の知人のYさんから自分の家の山でとれた美味しい蜜柑をいただいてしまいました。退職後故郷の周防大島に帰られもう十年以上も年賀状のやりとりだけであったのに恐縮してしまいました。

残念なことも一つありました。島の対岸の小高い丘にある「大畠バイテクファーム」(14日の記事に使った写真を撮った場所)のオーナーで親戚にあたるOさんの突然の訃報です。高齢になってから単身で父祖ゆかりの柳井市で主に暮らし、ライフワークの蘭栽培に打ち込んでいました。ちょっとうらやましいような晩年の過ごし方でした。

2015年2月 6日 (金)

ナバサ島DXぺディション船手組  Seaborne Detachment of K1N Team

【お断り】 1月31日の記事と同様に、ここを読まれてもK1N攻略のヒントは何も書いてありません。

「船手組」という江戸時代の古い言葉を持ち出しましたが、これは先日来の周防大島との縁の影響です。時間があれば近いうちに書きたいと思います。

数日前の記事でK1Nに触れたあと、偶然かどうかわかりませんが、「AA7JV」、「アンテナ」での検索で当ブログにアクセスした記録がありました。書いた当人は全く忘れていましたが、2013年6月11日にガーデン・ビームについて書いたときに、種とした雑誌の文章の英語の原文の筆者がAA7JVでしたので、そのコールを書いたのでした。
http://nb20oi12-7388tu.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-2707.html

同じ人物が今回のナバサ島DXペディションのチーム・メンバーになっていました。 今までのDX界の動きに明るい方々は先刻ご承知のことかと思いますが、こちらはほとんど知らないので、あらためてK1Nのチーム・メンバー紹介のページなどを見直すと、AA7JVは1953年にハンガリーで生まれ、成人してからオーストラリアに移住し、1988年ごろからアメリカに移ったとのことです。今回のチームにハンガリーから参加しているHA7RY / KT4TTTとは昔から親しく、2人で2007年のVK9WWI、ウィリス島へのペディションを皮切りに、毎年のように遠いところにある不便な島に最少の機材で出かけているようです。

フロリダ州のマイアミビーチに住んでいて「エレクトラ」という船を持っており、今回のペディションでは、この2人にセーリングが趣味であるN6MZが加わった3人は本隊と別行動し、エレクトラで海路ナバサ島に向かいました。1月22日にマイアミビーチを出発、海が荒れたために遅れたようですが、2月4日には到着してルル湾から上陸し、本隊に合流したとのことです。
計画を解説したプレゼンテーションのビデオ(ホームページのVideosの上から2番目)では、この体制のことを”MVC = minimum viable configuration”だと説明しています。「最低生存保障体制」とでもいうのでしょうか。チームが島に滞在している間、船はクルーが操船して湾の近くにとどまり、島で万一何かが起こりヘリコプターも来られないような事態に備えるそうです。
水などの重量のあるものの一部を船から揚げる計画だったようですが、これは遅れなどのために止め、大部分はジャマイカで下ろしヘリで運んだらしいです。
計画立案の経緯は知る由もありませんけれど、もしかしたらなるべく大掛かりにならないようにペディションに行くことへのAA7JVとHA7RYのこだわりが反映されているのかも知れないなと思いました。

VK9WWIと2009年のTX3Aは弱小局の当局もありがたいことに18メガCWでそれぞれささやかに1交信ずつさせてもらいました。当時はベランダの釣り竿バーチカルでしたが、いずれも貴重なニュー・エンティティー、”ATNO”でした。

HA7RYのQRZ.comのページを見たら、ガーデン・ビームも彼らのDXぺディションの産物で、2011年にバハマからC6AGUを運用したときに水上に立てた3バンド用パラスチック・アレー(たぶん世界初の浮いているハム用HFアンテナ)が出発点だそうです。性能が良かったので、これと同じようなものを陸上で作れないかと考えた結果がガーデン・ビームなのだそうです。
http://gardenbeam.com/

HPによるとペディションは今日からフル稼働体制になったようです。最初に着いたときにハイチ人がいたことや非常に暑いらしいこと(116°F = 47°C)が気になりますが、JA'sも相当に交信しているようです。

2015年2月 2日 (月)

飛行艇 その3 Flyingboat (3)

飛行艇について、1月22日の記事に続きもう一度書きたいと思います。この3回でとりあえずこのシリーズは終わりです。

昨日は午前11時からTさんのお別れの会に行ってきました。この方は飛行艇を含む水上機や初期の飛行機に非常に詳しい方でした。こちらが飛行艇のことを調べ始めてから知り合い、いろいろと教えていただきました。一番初めは富岡総合公園の旧横浜海軍航空隊跡でお会いしたのか恵比寿の防衛研究所戦史史料室でお会いしたかもう思い出せません。仕事の上でお世話になった訳ではないし、それほど深くお付き合いしたのでもありませんが、何も予定がなく、家にいても留守番だったことや会場が自転車で15分ほどで行ける近くだったことなど諸々の事情から出席しました。謹んでご冥福をお祈りし、ささやかですが、哀悼のしるしにTさんに記事を捧げたいと思います。
記事に登場する阿南幸男様や貴重な史料の写しをくださった益子稔様もすでに故人となられてしまいました。ここに合わせてご冥福をお祈りします。

今日は、日本軍の二式飛行艇(川西H8K、連合軍呼称エミリー)と米軍のボーイングB-17フライイング・フォートレス爆撃機、グラマンF4Fワイルドキャット戦闘機が登場する昭和17年(1942年)11月13日のことです。

Img_8809_2s飛行艇のことなどを一番熱心に調べていた10年くらい前に形状を知るための勉強と思って組み立てみた二式大艇のプラモデルです。塗装はしていません。

以下は 書き溜めているファイルからコピーしてきたものを要約したのですが、元が詳しいのでどうしても長くなります。お許しください。

はじめにこの頃のソロモン諸島方面の戦況に触れておきます。昭和17年10月26日の南太平洋海戦で海軍は少し優勢であったものの、陸軍はガダルカナル島の飛行場の奪還に三度目に失敗しました。このため、日本軍は11月中旬にさらに高速輸送船団により第38師団を揚陸しようとしますが、飛行場制圧のための飛行場の砲撃は10月中旬のようには成功せず、あえて強行した輸送も不成功でした。 この輸送作戦をめぐり、空、海の激しい戦闘が行われ、飛行艇隊もこの時期に11月13日には851空の九七大艇(前村上飛曹機長)、14日には同空飛行隊長和田少佐搭乗の九七大艇と2機の未帰還機を出しました。いずれも空母エンタープライズの艦載機によって撃墜されました。 11月13日には、同空の九七大艇(佐藤東三郎飛曹長機長)が空母エンタープライズの発見に成功していますが、日本軍航空隊による攻撃は行われていません。

802空二式大艇(浜田三郎飛曹長機長・副操阿南幸男二飛曹)0345ショートランド発進、Q区哨戒飛行、 1120頃から1141、B-17 2機、グラマン戦闘機3機と交戦、B-17 1機撃墜、1530帰着(802空行動調書)
阿南氏からの手紙によると、索敵の帰路ガダルカナルの北東でB-17 2機の後方より零戦3機が攻撃姿勢にあると見て空戦を見物するつもりで近寄って行くと、戦闘機は零戦ではなくF4だったので引き返すときに敵に見つけられ戦いになったとのことである。F4からはあまり多くは弾が来ず、空輸途中で弾が少なく燃料に余裕が無かったとのではないかと思われた。
以下お手紙の一部を引用する。「その後B-17と並行戦となり左右より挟まれものすごく弾がきました。・・・(激しい撃ち合いを続け、1機のB-17は煙をはきはじめたがなかなか落ちない。機長の指示で体当たりにいった。)このときの高度は海面50メートルぐらいでした。敵もさるもの我が機の下を海面すれすれに交わした。このとき我が射手は引き放しで撃った。敵機は大きく傾き落ちました。私からは最後は見えませんでした。左側の機は遅れてしまいました。・・・着水後の点検では16枚のプロペラ全部に被弾があり多いのは1枚に3発もありました。かすり傷までいれると100発を遙かに越えて被弾して居りました。」

この日ショートランド基地に残っていた802空の別の二式大艇の副操、平松三男二飛曹(当時)の日記(平松博氏提供)には、「10時頃二式「敵飛行機見ゆ」の電報のまま連絡ないとの事、一同やられたと思ひ色々話をする・・・3時半頃帰る。皆大喜だ。・・・話を聞くとボーイング1機と空戦そのうちにボーイング1機と戦闘機3機又来たとか。やっと前のボーイングを落し雲の中へのがれて来たとか。皆おそろしかったといふ。阿南兵曹の話では味方の弾よく当ってゐたとか。又ボーイング先行しやうとしたらしかったがどうしても二式より前へ出られなかったとか。・・・二式は兎に角優秀らしい。明日2組イメージへペラ交換に帰る事となる。・・・」〔「イメージ」とはマーシャル諸島ヤルート環礁イミエジ島の飛行艇基地のこと〕とある。

11月12日にイミエジ基地に着任したばかりの802空益子融中尉の記録(益子稔氏提供の益子融自啓録)には、「14日 ショートランドで戦った飛行艇1機修理の為帰る。生々しき弾痕多数」とあり、これは浜田飛曹長機のことと思われる。

米軍側の記録によると(J.ソウラク氏よりの情報)、米陸軍第5爆撃飛行群第26爆撃飛行隊のB-17E(No.41-9153、機長は第72爆撃飛行隊所属のウィリアム・C・ヒーリー中尉)が大艇と空戦し、尾部銃手のジャコボ・E・パチェコ軍曹が重傷を負い、この負傷が原因で死亡した。しかし、B-17未帰還との明確な記録はない。
なお、サレッカーによるB-17の戦記によると、濠北・ニューギニア方面に配備されていた第19/43爆撃飛行群第23爆撃飛行隊のB-17E(No.41-2536)が12日、任務についたまま帰還せず、失われた。どのような任務であったのか、操縦者名ともに不明という。連絡任務か何かでソロモン、ニューヘブリデス方面へ飛行し、翌日の帰途に浜田機に遭遇した可能性はないであろうか。

浜田・阿南機(Y-54号)は、その後、代機更新のため内地へ向かうが、トラック島基地に着水の際、11月13日の空戦で被弾し応急修理した箇所からしみ込んでいたと思われる水が降下に移ったとき艇の前方に移動してバランスを失し、機首から海面に激突、大破して、便乗者に1名死者が出るという事故にあう。
これは、防衛研史料室の「戦死証明書」から12月14日のことであったと判断される。

トラック環礁トノアス島(ドゥブロン島、旧夏島)の南側の竹島西方約700メートル、夏島と竹島との間の中心線上付近の水深約15メートルの海底に破損した二式大艇が存在することが水中写真家やアマチュア・ダイバーにより報告されている。これは機首の銃座の形が円形で、初期の二式大艇11型の特徴が認められ、浜田機、Y54号である可能性が高い。三つの部分に分かれてひっくり返って沈んでいるという報告も、「・・・着水ノ際転覆艇体大破沈没・・・」という戦死証明書の記載と矛盾がない。
トラック環礁の沈船や水没航空機を潜水調査したリンデマンは、沈んでいる二式大艇は、もっと後の時期にトラック島の最高司令官はじめ高官多数が搭乗していた大艇としている。これは現地での伝聞に基づく記述らしいが、信憑性には疑問がある。        

V6kh2_050sドゥブロン島の旧飛行艇、水上機基地跡を海上から望む。

V6kh2_051s基地跡から前面の海を望む。向う側に見えている島は戦闘機用飛行場のあった竹島の西側部分。

【資料(文中に記載したものは原則として略す)】
「予科練のつばさ」高野稿、「予科練の群像」阿南稿、吉村朝之「トラック大空襲」、      G. E. Salecker"Fortress Against the Sun", Klaus Lindemann "Hailstorm over Truk Lagoon"
チューク環礁でのダイビングによる写真などは、インターネットで見られたが、調査当時のURLは現在は残っていないので略した。

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