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2015年2月 2日 (月)

飛行艇 その3 Flyingboat (3)

飛行艇について、1月22日の記事に続きもう一度書きたいと思います。この3回でとりあえずこのシリーズは終わりです。

昨日は午前11時からTさんのお別れの会に行ってきました。この方は飛行艇を含む水上機や初期の飛行機に非常に詳しい方でした。こちらが飛行艇のことを調べ始めてから知り合い、いろいろと教えていただきました。一番初めは富岡総合公園の旧横浜海軍航空隊跡でお会いしたのか恵比寿の防衛研究所戦史史料室でお会いしたかもう思い出せません。仕事の上でお世話になった訳ではないし、それほど深くお付き合いしたのでもありませんが、何も予定がなく、家にいても留守番だったことや会場が自転車で15分ほどで行ける近くだったことなど諸々の事情から出席しました。謹んでご冥福をお祈りし、ささやかですが、哀悼のしるしにTさんに記事を捧げたいと思います。
記事に登場する阿南幸男様や貴重な史料の写しをくださった益子稔様もすでに故人となられてしまいました。ここに合わせてご冥福をお祈りします。

今日は、日本軍の二式飛行艇(川西H8K、連合軍呼称エミリー)と米軍のボーイングB-17フライイング・フォートレス爆撃機、グラマンF4Fワイルドキャット戦闘機が登場する昭和17年(1942年)11月13日のことです。

Img_8809_2s飛行艇のことなどを一番熱心に調べていた10年くらい前に形状を知るための勉強と思って組み立てみた二式大艇のプラモデルです。塗装はしていません。

以下は 書き溜めているファイルからコピーしてきたものを要約したのですが、元が詳しいのでどうしても長くなります。お許しください。

はじめにこの頃のソロモン諸島方面の戦況に触れておきます。昭和17年10月26日の南太平洋海戦で海軍は少し優勢であったものの、陸軍はガダルカナル島の飛行場の奪還に三度目に失敗しました。このため、日本軍は11月中旬にさらに高速輸送船団により第38師団を揚陸しようとしますが、飛行場制圧のための飛行場の砲撃は10月中旬のようには成功せず、あえて強行した輸送も不成功でした。 この輸送作戦をめぐり、空、海の激しい戦闘が行われ、飛行艇隊もこの時期に11月13日には851空の九七大艇(前村上飛曹機長)、14日には同空飛行隊長和田少佐搭乗の九七大艇と2機の未帰還機を出しました。いずれも空母エンタープライズの艦載機によって撃墜されました。 11月13日には、同空の九七大艇(佐藤東三郎飛曹長機長)が空母エンタープライズの発見に成功していますが、日本軍航空隊による攻撃は行われていません。

802空二式大艇(浜田三郎飛曹長機長・副操阿南幸男二飛曹)0345ショートランド発進、Q区哨戒飛行、 1120頃から1141、B-17 2機、グラマン戦闘機3機と交戦、B-17 1機撃墜、1530帰着(802空行動調書)
阿南氏からの手紙によると、索敵の帰路ガダルカナルの北東でB-17 2機の後方より零戦3機が攻撃姿勢にあると見て空戦を見物するつもりで近寄って行くと、戦闘機は零戦ではなくF4だったので引き返すときに敵に見つけられ戦いになったとのことである。F4からはあまり多くは弾が来ず、空輸途中で弾が少なく燃料に余裕が無かったとのではないかと思われた。
以下お手紙の一部を引用する。「その後B-17と並行戦となり左右より挟まれものすごく弾がきました。・・・(激しい撃ち合いを続け、1機のB-17は煙をはきはじめたがなかなか落ちない。機長の指示で体当たりにいった。)このときの高度は海面50メートルぐらいでした。敵もさるもの我が機の下を海面すれすれに交わした。このとき我が射手は引き放しで撃った。敵機は大きく傾き落ちました。私からは最後は見えませんでした。左側の機は遅れてしまいました。・・・着水後の点検では16枚のプロペラ全部に被弾があり多いのは1枚に3発もありました。かすり傷までいれると100発を遙かに越えて被弾して居りました。」

この日ショートランド基地に残っていた802空の別の二式大艇の副操、平松三男二飛曹(当時)の日記(平松博氏提供)には、「10時頃二式「敵飛行機見ゆ」の電報のまま連絡ないとの事、一同やられたと思ひ色々話をする・・・3時半頃帰る。皆大喜だ。・・・話を聞くとボーイング1機と空戦そのうちにボーイング1機と戦闘機3機又来たとか。やっと前のボーイングを落し雲の中へのがれて来たとか。皆おそろしかったといふ。阿南兵曹の話では味方の弾よく当ってゐたとか。又ボーイング先行しやうとしたらしかったがどうしても二式より前へ出られなかったとか。・・・二式は兎に角優秀らしい。明日2組イメージへペラ交換に帰る事となる。・・・」〔「イメージ」とはマーシャル諸島ヤルート環礁イミエジ島の飛行艇基地のこと〕とある。

11月12日にイミエジ基地に着任したばかりの802空益子融中尉の記録(益子稔氏提供の益子融自啓録)には、「14日 ショートランドで戦った飛行艇1機修理の為帰る。生々しき弾痕多数」とあり、これは浜田飛曹長機のことと思われる。

米軍側の記録によると(J.ソウラク氏よりの情報)、米陸軍第5爆撃飛行群第26爆撃飛行隊のB-17E(No.41-9153、機長は第72爆撃飛行隊所属のウィリアム・C・ヒーリー中尉)が大艇と空戦し、尾部銃手のジャコボ・E・パチェコ軍曹が重傷を負い、この負傷が原因で死亡した。しかし、B-17未帰還との明確な記録はない。
なお、サレッカーによるB-17の戦記によると、濠北・ニューギニア方面に配備されていた第19/43爆撃飛行群第23爆撃飛行隊のB-17E(No.41-2536)が12日、任務についたまま帰還せず、失われた。どのような任務であったのか、操縦者名ともに不明という。連絡任務か何かでソロモン、ニューヘブリデス方面へ飛行し、翌日の帰途に浜田機に遭遇した可能性はないであろうか。

浜田・阿南機(Y-54号)は、その後、代機更新のため内地へ向かうが、トラック島基地に着水の際、11月13日の空戦で被弾し応急修理した箇所からしみ込んでいたと思われる水が降下に移ったとき艇の前方に移動してバランスを失し、機首から海面に激突、大破して、便乗者に1名死者が出るという事故にあう。
これは、防衛研史料室の「戦死証明書」から12月14日のことであったと判断される。

トラック環礁トノアス島(ドゥブロン島、旧夏島)の南側の竹島西方約700メートル、夏島と竹島との間の中心線上付近の水深約15メートルの海底に破損した二式大艇が存在することが水中写真家やアマチュア・ダイバーにより報告されている。これは機首の銃座の形が円形で、初期の二式大艇11型の特徴が認められ、浜田機、Y54号である可能性が高い。三つの部分に分かれてひっくり返って沈んでいるという報告も、「・・・着水ノ際転覆艇体大破沈没・・・」という戦死証明書の記載と矛盾がない。
トラック環礁の沈船や水没航空機を潜水調査したリンデマンは、沈んでいる二式大艇は、もっと後の時期にトラック島の最高司令官はじめ高官多数が搭乗していた大艇としている。これは現地での伝聞に基づく記述らしいが、信憑性には疑問がある。        

V6kh2_050sドゥブロン島の旧飛行艇、水上機基地跡を海上から望む。

V6kh2_051s基地跡から前面の海を望む。向う側に見えている島は戦闘機用飛行場のあった竹島の西側部分。

【資料(文中に記載したものは原則として略す)】
「予科練のつばさ」高野稿、「予科練の群像」阿南稿、吉村朝之「トラック大空襲」、      G. E. Salecker"Fortress Against the Sun", Klaus Lindemann "Hailstorm over Truk Lagoon"
チューク環礁でのダイビングによる写真などは、インターネットで見られたが、調査当時のURLは現在は残っていないので略した。

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