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2015年1月

2015年1月31日 (土)

ナバサ島DXペディションと合衆国魚類野生生物局 K1N and USFWS

【お断り】 「ナバサ」、「K1N」のキーワードで検索エンジンからこのページを開かれる方があるようですが、ここを読まれても交信を可能にするようなヒントは何も書いてありませんのでお忙しい方はご注意ください。
このDXペディションは交信希望の最後の一局まで(「クリンゴン」=フィクション上の宇宙人までも)と交信したいとアナウンスしていますが(1月17日リリースのニュース)、そういっているチームのメンバーたちが宇宙人のような別世界の人に思えて、どうなっているのだろうと好奇心を持った方には少し参考になるかも知れません。(2月2日追記)

昨日は午前中にこのブログの一昨日の記事に後から気付いたことを余計な口出しと思いながら追補で書いてしまいました。これが気になって夜はK1Nのホームページをあちこち読んだりしてしまいました。そんなことより溜まっていることも二つ三つあるし、交信を目指して仮設のアンテナを準備したりするほうが良いのでしょうけれど、我ながら物好きで暇だとあきれます。島の説明などは一昨日にすでに読んでありました。
http://69.89.25.185/~trexsoft/t-rexsoftware.com/k1n/main.htm

1.チームのメンバーの経歴を全部読みました。共同リーダーの2人やほかの一部のメンバーはQRZ.comのページも読みました。
2.スポンサーのところでドネーションをしたJA局を一通り見ました。
3.英語のヒアリングの練習という口実のもと、ビデオのところにある3本のプロモーション・ビデオを全部見ました。
4.W0GJなど主なメンバーのQRZ.comのページのうち、コールの文字が緑色か金色の局にはウェブ・コンタクトで”GL” とメッセージを送りました。

ここで内容の受け売りを書いても仕方がないので、興味のある方はご自分でご覧になることをお勧めしますが、アメリカの国立野生生物保護区、National Wildlife Refuge からのアマ無線運用のことを紹介した2013年12月4日の記事に関係があることを見つけたので、そのことは書いておくことにしました。
http://nb20oi12-7388tu.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/nwr-call-signs-.html

関係があるのは記事の下の方の
「なお、アメリカ合衆国では、10月の中旬にNational Wildlife Refuge Weekというイベントがあり、その時期に保護区の中からアマチュア無線を運用する愛好者がいます。他のコールエリアから”NWR”のサフィックスの記念局が出たこともあるようです。
http://www.nwrweek-radio.info/ 」
というところです。
K1Nのメンバーの経歴を見ると、共同リーダーの一人のW0GJはW0NWRというコールで運用し、またメンバーのNA5UはW5NWRというクラブコールの理事者(trustee)です。
そして、ビデオで今回のペディションの計画の説明を見ると、ナバサ島はNWRに指定されていて、上陸時期(1月または2月)、期間(14日間)、人数(15人まで)、行政からの同行者数(6名、うち3名は警備要員)、次回の上陸許可可能時期(10年後)など、基本的なことはすべて保護区を管理する権限を持つ合衆国魚類野生生物局、U. S. Fish and Wildlife Service、の方針から決まっているのです。
NWRウィークにアマ無線を運用し、魚類野生生物局に協力してNWRの重要性をPRするのも、K1N実現のための布石だったのです。
そういう背景があるので、今回の島にはWWFFのKFF-0131というナンバーもありますが、チームはDXCCハンター優先で他のプログラムには関心が無く、その布石であるNWRWもWWFFとは全く別の発想からやっていることと分かりました。
メンバーの経歴には、いかに野生の自然を大切にしつつ無線を運用してきたかや地域活動への市民としての貢献などが強調されているので、同じ経歴書をたぶん魚類野生生物局に提出しているのでしょう。

なお、3本のビデオの中では上から2つめのものが写真、図やポイント事項の箇条書きで計画を体系的に説明したものになっています。
3本目のビデオでは、ジョージア州アトランタでFT5ZMから持ち帰った機材をチェックして準備しているところが撮られていますが、アトランタにはUSFWSの米国南東部(カリブ海の領土を含む)を所管する支局が置かれています。(現在のトップは女性。)

チームのメンバーの何人かはFT5ZMにも行っていて、当方の3交信のうちの2つのオペレーターであるK9CTとWB9Zが参加しています。
今回のK1Nは、クラブ・ログのリーダーボードは見えないようにするとこことですが、最近のEP6Tのものを見ていて、交信済みのチェックにカーソルを当てるとオペレーターが分かることをはじめて知り、FT5ZMの10mCWのオペレーターが出た画面をキャプチャーしてみました。

Ft5zm_10mcw_op

多くの参加希望者の中からチームのメンバーを決めるのは大変だったようですが、経歴を見ると、無線運用のベテランであるばかりでなく、それぞれに強いところを持っていて、なるほどと納得でした。前に書いたオレゴン・トレイルなどを通って西部に向かう幌馬車(幌牛車)隊編成の伝統なども彼らの中に脈々として伝わっているのかも知れません。

おこぼれ狙い組?に可能性があるとすれば、平日の12(木)・13日(金)あたりと思いますけれど、13日の午後・夜は予定があるので12日と13日の朝あたりは真面目にワッチしてみたいと思います。
では一行の安全とパイルアップに参加される皆さんのご幸運を祈ります。

2015年1月29日 (木)

マイ・アンテナ発見 My Antenna Found in Photo

先週の金曜日、23日に展望室(展望ロビー)から撮った富士山の写真をブログに載せました。この場所から我が家の方角を見た写真はちょうど2年前の2014年1月29日の記事に載せていますが、その時は我が家が見えているのかどうか分かりませんでした。
先週のときにも我が家の方向の写真をズーム・アップして数枚撮りました。先日PCのディスプレーで注意深く見たところ、我が家のアンテナとルーフ・タワーが写っているのを見つけました。

Img_8911s
上の写真では左下のビル(最近できた老人ホーム)の屋上の階段室らしいものと屋上の向うに見えている白いアパート(ベランダに庇が付いているもの)の間にあるスレート屋根です。

アンテナが真ん中に来るようにトリミングしてみました。

Img_8911_ts_2
我が家は屋根が南側(写真では向う側)が切り妻、北側が斜線制限のために入母屋になっていますので間違いありません。すぐ右に見える切り妻は南隣の家の東にある家のものです。
The roof of my house with a roof-top tower and an antenna was found in the photo shot from the 20th floor obsevation lobby of a building about two kilo-meters northwest from my home. (See the center of the second photo.)
展望ロビー(20階)は家からヨーロッパ方向に約2キロほどですから、今のところ途中には大きな障害物はないことが分かりました。
我が家の向う側(東南、太平洋南東部方面)も今のところすぐ近くには幸い高いビルがないようです。白いアパートは広い幹線道路に面していて、切り妻の家の向うの道路沿いは駐車場なので、もしそこにビルが建つと無線はもちろん日当たりも厳しくなるでしょう。アパートの道の反対側は、今はコンビニなのでしばらくは大丈夫のようです。

上と関係ありませんが、先週、今までに書いた自作アンテナの記事の索引を作ってみました。左のウェブページ"General Information"のところに入り口があります。

ところで、あちらこちらのブログはカリブ海の米領ナバサ(ナヴァサ)島へのDXペディション、K1N、のことで賑わっているようです。EP6T、イランに続き、おこぼれ頂戴で1回くらい交信する手立てはないかと少しネットなどを調べてみました。
結論的には今度のペディション先はあまりにもレアで、当方のような穴狙い、おこぼれ狙いのいい加減なDXチェーサーはサービス対象範囲外と感じました。
今の常置場所のアンテナでは28メガがフルサイズに近くて可能性があるのですが、このバンドはSSBしかでないとのアナウンスです。
”ANTO”という見慣れない略語で、JAとHL(日本、韓国)のナバサ島が"all-time new one"となる局に対しては、JST 0700-0900に14メガSSBで相手をするというインフォが流れています。これは、ペディションのサイトのアナウンスには見当たらず、パイロットを勤め、ドネーションの窓口にもなっている局がチームに送ったそのような要望、提案に、肯定的な回答がきているということのようですけれど、14メガのフォーンでカリブまで飛ぶくらいの設備が無ければ真面目にDXCCを追っているといえないというのが関係者の常識なのでしょう。
最終日近くにどこかロケーションの後押しがあるところに移動して18、14、10メガあたりで呼んでみるということも頭に浮かびますが、季節が真冬ですから厳しいです。

【1月30日追補】
ここで追加を書いても独り言ですが、ゾーン25のパイロット局がドネーションをまとめながら自分のゾーンの局を優先するよう依頼し、Wのチームとやりとりしてその内容を流す(本人が公表したわけではないようですが)というのは、国際親善を促進し、経済的な負担とは無関係に楽しむというアマチュア無線の趣旨から見てちょっと疑問を感じます。
「セントラル・アジア」(ゾーン17以東のアジア大陸)や「オセアニア」にもパイロットはおり、運用チームのWの練達オペレーターたちは当然そちらの方への配慮もするでしょう。"ANTO"になる局を優先したいことと14メガには常にQRVすることはペディション全体の方針としてアナウンスされており、交信スピードを上げるために一定の時間エリア指定をすることは良くあることで、状況にかかわらず頭から時間を決めてエリア指定するようなことをするでしょうか。流れているようなことは「阿吽の呼吸」で適当に配慮してくれれば良いことです。
トップクラスのDXerのパイロット局がそのような提案をすること自体ドネーションというものの性格を良く考えていないことで残念ですし、MLに載った局?にだけそのようなインフォメーションを流すというのもどうでしょうか。
インフォを読んで期待している方々には水を差すようなアウトサイダーの僻目のコメントですみません。

2015年1月27日 (火)

オーストラリア・デー Australia Day

昨日(26日月曜日)は、オーストラリア・デーであちらの無線局はいつもの”VK”の代わりに”AX”のプリフィックスを付けてオンエアするということで、カタリナ飛行艇の写真をくださったVK3EHG局もバンドに出られるかも知れないとのことなので、2回の近所への外出時間を除き、アンテナを南に向けてワッチしてみました。
午後に用事の予定があったのですが、都合で延期になったので、夕方までずっとワッチできました。聞いたのは21と28メガだけですが、21のCWで4局、SSBで1局の”AX”局と交信することができました。
CW: AX7CW, AX4TJF, AX3AUQ, AX3NUT
SSB: AX5PAS

AX3EHG局の信号は残念ながら聞こえませんでしたが、WWFF, ワールド・ワイド・フローラ・ファウナのオーストラリアのコーディネーターで、2~3度メールでコンタクトしたことがあるVK5PAS局とSSBで交信ができたのは幸運でした。結構JA各局から呼ばれていて、当局の設備ではちょっと苦しく、順番が回って来るまで5~6局は待ちましたがうまい具合に拾ってもらえました。こちらのコールから以前のメールでのコンタクトを思い出したかどうかは分かりませんでした。彼によりますと、年に3回だけ”AX”のプリフィックスが使えるそうです。

アンテナを南に向けたついでに、S6(9V), YC, ZL, XWとも交信しました。

I was able to log five Australian radio stations with special “AX” prefix to celebrate the Australia Day yesterday. One of them was AX5PAS, the WWFF coordinator for the VK land.

オーストラリア・デーは、1788年1月26日に最初の入植者の一団がシドニーに到着したことを記念しているそうです。1770年8月にキャプテン・クックがオーストラリア東岸部の英国領有を宣言してから約17年後のことです。

Sydney_s           Photo by Maringo.
写真はシドニー湾(ポート・ジャクソン湾)の入り口の北側、ノース・ヘッドから湾内方向を見たところです。入植者たちの上陸地は現在のシドニーの中心部、高層ビルが並んでいるあたりらしいです。こちらは行ったことがありませんが、我が家の隊長の写真を使わせてもらいました。
なお、このあたりはシドニー・ハーバー国立公園で、VKFF-473です。WWFFのログサーチのレファレンス・レポートなどで調べると、運用があったようですが、QRPで10交信ほどしか報告されていませんでした。

2015年1月23日 (金)

パイルアップ参加 Joining Pile-ups

昨日と一昨日は雨模様でしたが今日はお昼前ごろから日が差して青空が見えました。風が強いので眺望もききそうだと、昼食外出を兼ね歩いて30分ほどのところの20階展望室に行って見ました。地平線近くに雲も少しありましたがおおむね360度、遠くの山並みまで見えていました。
Img_8893s

           Mt. Fuji, 93km away from Nerima, Tokyo.

北のほうには男体山や日光白根山付近も見えていました。
主な山の高さやそこまでの距離を示した写真が窓の下に展示してあり、それによると富士山まで93キロ、男体山116キロ、日光白根山121キロだそうです。

アマチュア無線は風邪もありしばらく休業状態でしたが、ベルギー人中心のチームによるイランへのペディションは、当局には未交信エンティティーなのでいちおうマークして時間があれば21メガCWを聞いていました。
平日になっても大パイルアップでとても交信できそうにないので火曜日まではコールせず、水曜日はときどき"QRX"(待て)と打ってやめるので、その次の出始めのときだけ呼んでみたりしましたがまったく歯が立ちませんでした。
昨日(22日、木曜日)も21CWの周波数に受信機を合わせてながら族で待機していましたが、クラスターではフォーンや18CWに出ていたようで聞こえてきません。そのうちにクラスターで28CWにレポートが出たので聞いてみると、一昨日までの21よりずっと良く聞こえ、1エリアの局を次々にとっています。
原則として多数の局がいっせいに呼んでいるパイルアップには参加しない方針ですが、呼ばなければ絶対に交信できないのも真理なので、呼んでみることにしました。
0530ごろからとっている周波数も探りながら普段は60ワット程度にしぼっているパワーも固定局のフル近くまで上げて呼び始めました。
聞き覚えのある近くの局で50メガをメインとしている局やルーフタワーに3エレトライバンダーの局が交信しているので可能性はありそうでしたがだめです。プリフィックスの3文字だけ返すこともときどきあり、自分のと同じなので2度目に呼ぶと、違う局だったのが4~5回ありました。これには落ち込んで15分ほどでいったんあきらめました。
出かける予定があったのでもう無線はやめようかと思いましたが、急ぎでない用を後回しにすればまだ時間はあるし、このように良く聞こえるチャンスはもうないかも知れないと思いなおし、またワッチしてみると、場所が近くらしい良く聞こえる局が"S"(電信で短点3つ)を"H"(短点4つ)ととられて難渋しています。3回、4回とコールを繰り返していたので、その間にその局の周波数にVFO Bを合わせ、終わったところで呼んだら、まずプリフィックスが返り、もう一度呼んだら今度はこちらのフルコールが返ってきて、幸運にも交信に成功しました。5.8KHzアップでした。
恥ずかしながらなんとか滑りこみで多くの皆さんの話題に参加することができました。
イランのような大きな国でなかなかアマチュア無線の電波が出ないのもおかしいのですが、やはり革命以後は特殊な国なのでしょう。

イランといえば、35年余前、ちょうどW(アメリカ)にいたときに起きたアメリカ大使館員人質事件が記憶に残っています。もっとも、英語が完全でないためにあちらでの報道の細かいところやニュアンスなどが分からず、正確に分かっていないかも知れません。

Worked the DXpedition station to Iran, EP6T, on 28MHz band by CW at 05 hour UTC yesterday. Iran was a new DXCC entity for me. Thanks for the operator for picking up my weak signal.

2015年1月22日 (木)

飛行艇 その2 Flyingboat (2)

10日の記事の続きです。前回はカタリナ飛行艇による九七大艇の撃墜のことを取り上げましたが、今回はその6日後に起こった日本軍の水上機によるカタリナ飛行艇の撃墜です。
この頃、日本軍はガダルカナル島の地上での攻撃作戦を計画しており、東方海上に哨戒隊を派遣して主力艦隊の警戒に当たるとともに、連合軍の哨戒機の基地を探し、分かればそこを攻撃しようとしていました。

前回の記事を読まれたJM3EHG / VK3EHG局からボガ湖のカタリナ博物館で撮影された写真を送っていただき、使用しても良いとのことですので、さっそく使わせていただきました。ありがとうございました。
博物館のホームページです。
http://www.flyingboat.org.au/

昭和17年(1942年)9月11日
東方哨戒隊(特設水上機母艦國川丸、駆逐艦村雨)が水上機により敵のPBYカタリナ飛行艇を攻撃、不時着させ、捕虜8名を収容した。
0900(日本時間)、2機を射出。0905、一番機(太田晴造飛曹長(操縦))、高度1500mより高度1200mの敵機を攻撃、三撃を加えるうちに、二番機(酒井史郎一飛曹(操))が到着し、高度を下げつつある敵に追尾、射撃を加えて不時着させた。0940、捕虜8名を村雨に収容した。使用機は零式観測機一一型であった。
当時國川丸飛行機隊に属していた小柳正一氏(当時中尉)によると、敵機の方を見たときには、水平線上で敵味方機がちらちらしていたそうだ。

撃墜されたPBYは、米海軍第11哨戒飛行隊(VP-11)所属で、機長はカールトン・クラーク大尉であった。
捕虜となったPBY搭乗員は、村雨から第二艦隊旗艦である重巡洋艦愛宕へ送られ、尋問を受けた。
愛宕乗組員は捕虜たちの存在に強い印象を受けたようだが、特に今村一郎主計長(大学卒の短期現役主計士官)は、「クラーク大尉」と題する長文の回想を残している。
なお、搭乗員のうち2名は抑留中に病死したが、6名は生還したとのことである。

尋問との関係は明確でないが、翌9月12日の夜、第27駆逐隊(白露、時雨)がサンタクルーズ諸島のヌデニ島グラシオサ湾を湾外から砲撃した。米国側資料では、米軍飛行艇と母艦は11日に同湾から退避済みであった。

【資料:國川丸戦闘詳報、倉町秋次著「豫科練外史4」、軍艦愛宕会編「旗艦愛宕の追憶」、小板橋孝策著「重巡愛宕戦記」、ジェイムズ・ソウラク氏調査】

September 11, 1942 A PBY Catalina flyingboat of VP-11, U.S.N., commanded by Lt. Carlton Clark, was shot down by two F1M, Pete, of the Kunikawa-maru, I.J.N. on the open sea east of the Solomon Islands. The eight crew members of the flyingboat were captured and interrogated on the heavy cruiser Atago, the flagship of the Second Fleet, I.J.N. Six of the crew survived the War.
(Sources: Information from James C. Sawruk, documents in the Defense Research Institute, Tokyo etc.)

Img_2745s

Img_2762sPBY Catalina preserved at the museum at Lake Boga, Victoria, Australia. Photo by Mr. Horiuchi, JM3EHG / VK3EHG.

なお、JM3EHG局のブログによりますと、来週の月曜日、26日はオーストラリア・デーの祝日であり、VK局は"AX"のプリフィックスの使用を許されるそうで、AX3EHG局の信号が聞こえるかも知れません。こちらは残念ながら当日の午後用事があり、ワッチできませんが、午前中は気を付けてみたいと思います。


2015年1月18日 (日)

ヘックス・ビームの重さ Weight of My Hex Beam

あるベテランのハムの方から当局のヘックス・ビームの重さのお尋ねがありましたので、量ってみました。料理用のはかりにパーツを載せて量った合計です。 約3.4㎏でした。

                                                                グラム gram
  ベースプレート Base plate with flanges & bolts           610
   (9mm厚合板、手すり用フランジ×2、Uボルト×12)
  丸棒 Wooden rods for joints ×6                              250
  竿 Glass fiber rods ×6                                          845
  ロープ(フック付) Cords with hooks                           150
  ワイヤー Wire sets ×4                                          450
  センターポスト Center post                                     820
  ジョイント用パイプ PVC pipe for joint                        240

  計 Total                                                             3,365

これらの他に、エレメントワイヤーをとめるために再利用型インシュロックとこれを竿にとめるゴムスビー(園芸用ゴム輪)を各24個使いますが、重さはほとんどネグリジブルと思います。
Uボルトが1個16gで、12個で192gある計算です。何か工夫すればさらに軽くできると思っています。
ちなみに、現在常置場所で使っているミニマルチ社のHB21-28は6㎏です。ラディックス社の移動用位相給電2エレ(21、24、28メガ可能)RY-152FAは仕様に3.4㎏と書かれています。

Hex_beam_nov_2014 
           ヘックス・ビームを見上げているブログ管理人。撮影:JR1BAL.
           (2014年11月)

2015年1月16日 (金)

皇居・旧江戸城西ノ丸の遠望

当地は、昨日は雨でしたが、今日はまた雲一つない快晴です。一昨日、布団を干したら、うっかりして取り込むのが午後3時ごろになってしまい、冷たくなっていたので、また干しています。

11日(日)は、家族のイベントがあって、都心に出かけましたが、やはり快晴で、あまり寒くなく、幸運でした。行ったところの窓(8階)から、旧江戸城西ノ丸の伏見櫓が良く見えていました。この建物は、近く取り壊されて建て替えるそうです。櫓は昨秋には補修工事で足場に覆われていました。窓ガラスの反射が写ってしまいあまり良い写真ではありませんが、せっかくの好天だったので、ブログに載せてみます。左のほうには、桜田門が見えています。

Img_8810s
The above photo of the Imperial Palace, the former Nishino-maru (western quarter) of the Edo Castle, was shot from the eight floor window of a building at Marunouchi, Chiyoda-ku, Tokyo, on last Sunday, January 11. This section used to be the residence of the heir of Shogun, but was used as the main section by Shogun towards the end of the Edo period since the buildings in Hon-maru (main quarter) was lost by fire. It is used as the site of the main palace buildings now. Fushimi-yagura, which defends the main entrance of this quarter, is seen at the center.

2015年1月14日 (水)

キリバス友の会

一昨日の午後から風邪引きで、昨日は熱も少しあったので、だいたい寝て過ごしましたが、朝、珍しい方から電話をいただきました。
郡さんという方で、キリバス共和国、"Republic of Kiribati"、(アマチュア無線のDXCCのエンティティ-としては、T30、T31、T32、T33の4つ)については、日本でもっとも詳しい方かと思います。
電話は、前の三重県のご住所に差し上げた年賀状が、宛先違いで戻ってきて、新しい山口県の周防大島のご住所を書いて出したときに、たまたますぐ近くと思われるところに、Yさんという、昔に仕事でお世話になって、年賀状を交換している方がいることを思い出し、そのことを付記したので、その関係でした。ご子息の一人が周防大島で医師として勤務されているので、そちらに移られたのだそうです。

S写真は、平成16年(2008年)の春に山口県に旅行したときのもので、柳井市大畠の大畠バイテクファーム(蘭などの栽培をしている園芸農園)から、対岸の周防大島を見たところです。かなり大きな島で、郡さんのお住まいは、山の向う側の遠くのようです。
The western side of Suo-oshima Island seen from Honshu.

郡さんは、「マウリ・キリバス-今日は、キリバス共和国」、「キリバス語・日本語辞典」という本を出されています。鰹漁業の指導者として、キリバスに滞在され、そのときの体験をもとに本を出されましたが、戦時中に作戦のために駐留していた日本軍の航空部隊等のことにもたいへんお詳しく、その関係で資料をいただいたりしました。
最近の事情については知りませんが、郡さんが指導にあたられたころは、日本の遠洋漁業船にキリバスの若者が多数乗り込んで、漁に従事していたそうです。
また、「キリバス友の会」という会を作られました。グラビア40ページ弱の、小さな会にしては立派な会報を自ら編集され、発行されています。
ご自身の知見と、会員にあちらでの戦没者の遺族が相当な割合でおられることから、会報の記事も戦史関係のものが多いので、参考にさせていただいています。
実際にお会いしたのはたしか一度ですが、海で鍛えたためか、お歳を思わせないお元気さでした。

飛行艇の戦史関係に少し触れておくと、中部太平洋方面では、日本の委任統治領であったマーシャル諸島のヤルート環礁、イミエジ(イミチ)島に飛行艇部隊(海軍第十四航空隊、名称変更で第802航空隊)の基地があり、東南になる旧英領ギルバート諸島(現キリバス)では、マーシャルに近いブタリタリ環礁に前進基地を置いて、中央キリバス(T31)のカントン島の米軍基地を爆撃したりしました。
ヤルート環礁の基地については、マーシャル諸島に滞在されたJA8VE局撮影の貴重な写真がJF1OCQ局の「DXバケーション」ホームページの「マーシャル便り」、「イミチ島」のところに載っています。

I received a telephone call from Mr. KORI Yoshinori yesterday morning. He is one of the most knowledgable persons on the Republic of Kiribati in Japan, and the organizer of the Friendship Society of Kiribati in Japan. He moved to Suo-oshima Island in Yamaguchi from Mie last year.

2015年1月10日 (土)

飛行艇 その1 Flyingboat (1)

先日紹介したJM3EHG/VK3EHG局のブログを見たら、ヴィクトリア州のボガ湖のほとりの、カタリナ飛行艇が保存されている博物館を訪問されたことの記事が載っていました。
太平洋戦争中の飛行艇による作戦行動に関心をもち、あれこれ調べたり、関係のある土地に出かけたりし始めて、かれこれ20年になります。平成24年4月3日にも、横浜航空隊跡のことを書いていますが、カタリナの写真に刺激されて、調べたことの一端を紹介してみたくなりました。

主に大戦前半期の日本海軍の九七式大型飛行艇(九七大艇)、二式大型飛行艇(二式大艇)のことを調べていますが、米軍のコンソリデーテッド・PBY(カタリナ)飛行艇のことも、関連する範囲で分かっていますので、PBY飛行艇が登場する日の出来事に触れてみます。

昭和17年(1942年)9月5日
ソロモン諸島ショートランド島の基地から二式大艇1機(横浜航空隊)、九七大艇3機(東港航空隊)が南東方向に長距離哨戒飛行に発進したが、東港空九七大艇(貴島政明予備中尉機)が未帰還となった。貴島中尉は、インド洋のアンダマン諸島からアリューシャン方面へ派遣の途中、東京で入院、退院後、南東方面派遣隊に合流し、ソロモン戦線に進出していた。米軍側の史料によると、サンタクルーズ諸島ヌデニ基地の海軍第23哨戒飛行隊(VP-23)のPBY-5(フランシス・C・ライリー中尉機長)が九七大艇を撃墜した。

【資料:25航戦戦闘詳報、碇義朗著「海軍航空予備学生」、ジェイムズ・ソウラク氏収集の米軍アクション・レポート】

Scn_0001_ts東京の船の科学館に展示されていた二式大艇。現在は、鹿児島県の鹿屋基地に移されました。見に行ったのは、今からちょうど15年前でした。

2015年1月 7日 (水)

レストラン「チッチョベッロ」 "Cicciobello"

今日の昼は、少し歩いて最寄り駅でない駅の近くのイタリアン・レストランに行きました。
「チッチョベッロ」という店で、歩道橋を二つと、鉄道の下を抜けている半地下道を通るので、階段の上り下りでちょっと運動になります。

Rimg0123s
ここの特長は、パスタ・ランチのコースを頼むと、まずサラダが出て、それから前菜が二皿に3品づつ、計6品出てくることです。パスタにも野菜などの具がたっぷり入っていて、\972のコースにしては、ずいぶん割安に感じます。ドリンクは付いていないのですが、それは仕方ないでしょう。小さい店ですけれど、内部もわりにきれいです。

ローカルの無線クラブの会員には、ここの駅を使っている人もいるので、そのうち、ランチ会をしてもいいかな、と思っています。

新年は、あまり無線をしていなくて、QSOパーティーも21メガCWで、沖縄のうるま市のJF6UZS/6/QRP局、調布市のJH1ASG局、28.350のSSBで、終了時間間際に高崎からローカルのシャックをリモート・コントロールしているJR1BAL局の3局と交信したのみでした。
2日の夕方に、21CWで、マルタ騎士団(修道会)の1A0Cを呼ぶパイル・アップに気が付き、日曜日が過ぎて平日になったらチャンスがあるかも知れないと考えていたのですが、5日は外出、6日は家にいたのに、年賀状の残りのあて名プリントなどしていて、うっかり忘れてしまいました。未交信エンティティ-を追うのなら、このようなだらけた取り組み方ではだめですね。まあ、クリスマスのチャリティーのファンドレイジングということなので、今年か来年にまたあるかも知れません。"C"は、"Christmas"の略でしょうか。

2015年1月 2日 (金)

謹賀新年

新年おめでとうございます

     平成27年 正月

   少し遅くなってしましましたが、新年のご挨拶を申し上げます
   本年もどうぞよろしくお願いいたします

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              我が家に伝わるお屠蘇入れの写真を載せてみました。

木箱の蓋の裏に祖父が約80数年前の昭和6年に由来を書いていて、その約60年前に佐賀の下級の侍だった3代だか前の先祖が自身で亀の形の意匠を考え、窯元に焼かせたものだとあります。今から140数年前の幕末維新のころでしょうか。祖父が元気なころは、毎年のお正月にこの器からお屠蘇をいただいていましたが、相当以前から、割るといけないので、漆塗りの別のお屠蘇入れを使うようになっていました。我が家の隊長は、見覚えがないそうです。昨年、古い物の置き場所を少し変えたことや、家族に新しい顔が加わったので、すいぶん久しぶりに出してみました。

(1月7日 補筆) この器をしまうときに、箱の蓋をよく見たら、祖父の曽祖父が「大川内皿山詰」のときに考案して作らせたものと書いてありました。佐賀藩の窯が、有田から少し離れた大川内にあったようですが、先祖はそこに詰めていたことがあるようです。実際に何をしていたのか、まったく分かりませんが、機会があったら行ってみたいものです。
            

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