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2014年12月30日 (火)

「明治の女子留学生」

寺澤龍著「明治の女子留学生ー最初に海を渡った五人の少女」2009年、平凡社新書を読みました。
明治4年(1871年)に岩倉遣外使節団と一緒に横浜を出発して、アメリカに留学した5人の女性については、 かなり良く知られています。NHKテレビドラマ「八重の桜」にも、大山(山川)捨松が登場しました。 私も幕末・明治初期の歴史、特に国際交流の歴史の中の出来事として、以前に大山捨松や瓜生(永井)繁子に ついて書かれた本を読んだことがあり、この本は、全体像をまとめてあるらしいので、図書館から借りて読ん でみました。

期待どおり良くまとまっており、派遣の経緯や5人の人生が分かりました。
特に興味深く感じたのは、5人を送り出した親や兄についてかなり詳しく調べてあることです。 また、これは個人的な事情かも知れませんが、津田梅子のことは今まであまり知らなかったので、 この本で良く分かりました。

1年足らずで帰国した2人を除く3人の家族について、本書の小見出しを引用し、少し補足してみます。

「幕末の外国奉行通弁・津田仙(津田梅子の父)」
佐倉藩の120石の家臣の4男に生まれ、蘭学、のちに英学を学び、田安家の家臣の養子となって、通訳とし て幕府に出仕していた。維新後は、学農社農学校を設立するなど、主に教育分野で活動した。その人脈は、津田梅子の英学塾創設、運営にも生かされた。

「会津藩最後の家老・山川浩(山川捨松の兄)」
父が捨松誕生の15日前に病没したため、浩は15歳で山川家の当主となり、1,000石の家禄を継いだ。 維新後は、下北半島の斗南藩経営の責任者となったが、明治4年7月のの廃藩置県後間もなく、家族を伴って 江戸に出ていた。捨松留学後は、陸軍士官となり、捨松の帰国のころは陸軍大佐であった。陸軍トップの陸軍 卿大山巌が捨松に結婚を申し込むころに、浩は陸軍省人事局長に栄転した。浩の弟健次郎(捨松の兄)は、アメリカに留学して物理学を学び、後に東京帝大総長となっている。

「三井物産の創始者・益田孝(永井繁子の兄)」
孝と繁子の父、益田鷹之助は、幕府の外国奉行に仕える役人であった。元は佐渡島の地役人であったが、書と 算に才があって佐渡奉行に認められ、箱館奉行の支配調役下役に栄転し、幕臣の列に加わった。幕末の混乱期 とはいえ、身分制度が厳しい中で、抜擢されたことは、余程才能が豊かであったものと思われる。孝は英語などの勉学にはげみ、幕府の通訳官に任官された。孝は維新後、商売をはじめようと考え、明治3-4年のころに横浜で、輸出商をはじめた。

これらの3人は、いずれも幕末に西洋に渡ったことがあるという共通点があり、幼い娘や妹の留学先について 、実地に知っていました。また、いずれも幕臣か佐幕藩の武士で、戊辰戦争の敗者の側にいた人々でしたが、維新後もそれぞれ活躍し、帰国後の3人にとっても強力な支援者でした。

もう一点、この本で知ることができたのは、女子留学生の派遣やその後の人生に、薩摩出身者が大きな役割を演じたことです。
女子の留学生の派遣については、派遣予算を計上した開拓使の次官であった黒田清隆(1840-1900)と、派遣の直前に欧米を視察旅行した黒田に対し、女子の教育の必要を説いたとされる、当時アメリカ駐在の少弁務使(後の公使的な職)だった森有礼(1847-1889)がキーパーソンだったようです。
また、11年後の明治15年(1882年)に、留学の1年延長が認められた山川捨松と津田梅子が帰国し、捨松が大山巌(1842-1916)と結婚しますが、この縁談を大山の従弟で当時農商務卿であった西郷従道(1843-1902)が傍から進めたように書かれています。

1916314_org明治村に保存されている西郷従道邸。この建物は明治10年代の建築とされていますが、目黒区上目黒にあったもので、大山巌・捨松の結婚当時の西郷邸とは異なるものですけれど、当時の西洋文明の導入の状況を示すものとして、参考になると思います。

明治15年には、西郷邸は品川御殿山にあり、同じく御殿山にあった益田孝の広壮な邸宅の隣でした。明治14年に帰国していた永井繁子は、留学中に知り合った海軍士官の瓜生外吉と、山川、津田の両人の帰国を待って結婚し、その披露宴は明治16年1月に益田孝邸で行われ、西郷や大山も出席したそうです。

それにしても、幼少のときに渡米し、(出発時の満年齢は山川11歳、永井10歳、津田6歳)10~11年の留学で、帰国したときには日本語も忘れてしまった3人が、それぞれの立場で帰国後に活躍したことには、幼時のしつけや家族の支援、留学中に住み込んだアメリカ人家庭の努力、本人たちの資質や努力など、いろいろなことが寄与していると思いますが、人生に開ける可能性や個人と激動の時代とのかかわりなどについて考えさせられました。

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私は、昨年の後半から仕事が忙しくなり無線の電波を出すことが出来なかったです。
本年は、少しでも自宅に戻り電波を出したいと思っていますので、ご指導宜しくお願いします。

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今年はどこでどのような運用をするか、まだほぼ白紙ですが、聞こえていましたら、コールよろしくお願いします。

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