2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 高田馬場周辺ウォーキング | トップページ | 不完全コピーのコール割り出し Call Sign in Question »

2014年10月22日 (水)

沖縄戦の激戦地「シュガーローフ」 "Sugar Loaf"

沖縄旅行に関連して、もう2つ3つ記事を書きたいと思っています。
10月10日に那覇に着きましたが、テレビのニュースでは、那覇空襲からちょうど70年といっていました。当時の交戦は、「台湾沖航空戦」として日本軍の航空部隊対連合軍機動部隊の海上の戦闘を中心に記録されていますが、連合軍が台湾や琉球諸島に接近してきたのは、沖縄や台湾を空襲することが目的でした。那覇は、このときの空襲で市街の大半が焼失し、陸軍第32軍の司令部も被災して、それを契機に首里城の地下に移転したそうです。
今回の旅行では、沖縄が太平洋戦争の戦場となったことはほとんど意識になく、予定の面会をすることや、台風情報を追うのに気をとられていました。
11日(土)と12日(日)午前の1日半のあいだ、ホテルに缶詰めになったあと、もともとは12日の10時に予約してあったレンタカーを借りるため、午後1時半ごろホテルを出て、15分ほどの道を歩いていきました。
泊まったホテルは、那覇市の北部の高台の斜面にあり、すぐ北側が、かつて米軍に接収されてキャンプ(住宅地)になっていて、返還後に都市整備が行われた「那覇新都心」地区でした。レンタカーは、ホテルから近いことを主な理由で決めたので、東の方に行ったところの、モノレールの「おもろまち」駅の近くでしたので、下の地図の赤の点線のルートを歩いて行きました。

Text                            (原図 国土地理院国土基盤図 那覇市おもろまち付近)

途中、前がゆるい下り坂になり、前方にモノレールの軌道が見えてくるあたりで、右手に白い大きなタンクが目に入りました。昔那覇に来たときに、このタンクの辺りの丘が沖縄戦時に米軍に「シュガーローフ」と呼ばれていて、沖縄戦でも最大級の激戦地であったと教えられたことを思い出しました。残念ながら、その時は、まだ風が強く、帽子を飛ばされないように気にしていて、写真を撮りませんでした。同行の我が家の隊長は、何枚が写真を撮っていましたが、タンクではなく、その東隣にある教会しか写していませんでした。

Rimg0060s
                          (Photo by Maringo)
右のビル(ホテル)の後ろにタンクがありますが、教会の辺りもやや高くなっているのが分かります。教会の向う、南側は、下り斜面で、那覇の市街に続いています。
下の写真は、ホテルの窓から東南を見たところです。左端のマンションらしい高い双子のビルの陰にタンクがあるはずです。那覇市中心部は右の方で、この丘陵地が那覇を守る最後の一線であることが分かります。

Img_8451s
シュガーローフでの激戦がどのようなものであったのかは、何も知らなかったので、帰宅後、ネットで探してみました。
知りたかったことについて、十分以上に詳しく書かれている大労作のホームページを見つけ、たいへん興味深く読みました。

「沖縄戦史-公刊戦史を写真と地図で探る 『戦闘戦史』」というタイトルです。リンクをしたいところですが、了承手続きに時間がかかるので、今はしていません。沖縄戦史、地図、写真などのキーワードで、容易に見つかると思います。
目次の中の「首里複廊(廓?)陣地の戦闘」の「『「シュガーローフ』 安里52高地の戦闘 (5月12日~19日)」のところが該当する項です。
以下は、概ねこのホームページによっています。

沖縄本島の地上戦は、昭和20年(1945年)4月1日の米軍の嘉手納付近上陸から始まりますが、米軍は次第に那覇に迫って来て、5月12日から、首里を中心とする那覇防衛のための複廓陣地の西部の要衝であったシュガーローフ(日本軍呼称「安里52高地」)の攻撃を始めたそうです。日本軍で守備していたのは、独立混成第44旅団の独立混成第15連隊(美田大佐)で、次の海軍部隊も配属されて一緒に戦いました。 山口大隊、丸山大隊第3中隊(951航空隊小禄派遣隊)、迫撃砲中隊、臨時編成海軍砲大隊、海軍第2砲台。
攻めたのは、米海兵隊ですが、シュガーローフの頂上まで何度か進んだものの、反撃されて後退したりし、大きな犠牲を出し、1週間後の5月19日にようやく攻略したそうです。
守りが固かったのは、今のモノレールの東側にある「ハーフムーン」高地との連携が良かったためだそうです。現在、モノレールの通っているところには、当時、軽便鉄道が通っていて、おもろまち駅駅付近は切通しになっていたそうです。線路が道路になり、拡幅された現在でも、稜線を越える辺りでは切通しになっています。

Rimg0065_3s             南(那覇中心部)方面を見たところ。(Photo by Maringo)

米海兵隊は、この切通しを利用して進み、左のハーフムーンや右のシュガーローフの攻略を試みたそうですが、切通しの向うへ出た途端に射撃されて、大きな犠牲を出したそうです。
新都心や道路、モノレールの整備で、往時の面影はほとんどありませんが、70年近く前にこの地で、勇敢に戦い、戦陣に散った彼我の将兵の冥福を祈ります。

« 高田馬場周辺ウォーキング | トップページ | 不完全コピーのコール割り出し Call Sign in Question »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/585446/60528751

この記事へのトラックバック一覧です: 沖縄戦の激戦地「シュガーローフ」 "Sugar Loaf":

« 高田馬場周辺ウォーキング | トップページ | 不完全コピーのコール割り出し Call Sign in Question »