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2014年10月

2014年10月28日 (火)

不完全コピーのコール割り出し Call Sign in Question

先日の沖縄海岸国定公園、JAFF-088、移動運用の余話その1です。
13日は、DXの信号が弱く、CWのコピーに時間がかかったり、あちら側もこちらのコールバックをなかなか確認できなかったりしました。
DL5EBGは、0655 UTCに交信をログしましたが、ログを整理していたら、0708 にもまたログしていました。2回目のような気がしたのですが、DL1EBRという似たコールの常連局がいるので、自信がなく、2回目もレポートを交換しました。DL1EBRの方は、0731にログしています。S52KM(スロベニア)は、0659 UTCにログしましたが、0743にまた呼んできたので、QSO B4(Before) を打って、向うも了解してくれました。
はじめの方から、HAの局が呼んでいるらしいのが分かりましたが、どうしてもそのコールサインが取れませんでした。呼ぶ局が途切れて、CQを出すごとに、呼んでくれているらしいのですが、どうしても取れません。0949 UTCになって、なんとか、HA6?Bまでは取れましたが、サフィックスの1字目がどうしも確実に分からず、"C"として、交信を終わりました。
帰宅してからも気になったので、確認してみました。
まず、QRZ.comでHA6CBを調べると、登録されていませんでした。
そこで、QRZ.comのワイルドカード"*"を使い、HA6*Bで調べてみました。すると、登録しているのは、HA6OB、HA6VB、HA6ZBの3局でした。HA6OBは、QRZ.comのログにかなりの交信が出ていて、見えるのは全部SSBモードなので、この段階では、HA6ZBかなと思いました。
それから思い出して、WWFFのログサーチを見てみると、HA6OBの方がたくさんのFFのレファレンスと交信しています。ただ、CW交信をしない局だと、ありえないことになるので、ログサーチのダウンロード機能を使い、HA6OBの交信をダウンロードして、見てみました。
その一部が下のイメージです。
JAFFも3つ、つまり当局とも過去に交信していました。最初は2011年2月のJAFF-047, 水郷筑波国定公園(犬吠埼移動)でしたが、その後はしばらく無く、昨年10月の029, 吉野熊野国立公園、今年4月の2回目の047(霞ヶ浦和田岬移動)、5月の013、上信越高原国立公園で交信しています。
Ha6ob_logsearch_s
この結果から、ログは、HA6OBに修正しました。
このような場合、修正するかどうか、するとすればどの程度までかは、ちょっと悩む問題で、本来は交信不成立とすべきかも知れませんが、今回は、1字のことですし、遊びなので、お互いにハッピーであれば良いと考えました。
なお、これを見ますと、HA6OBは、5月3日の1日だけで、12交信もしており、JAFF以外は全部40mか20mのSSBです。ヨーロッパでは、JAの道の駅や温泉、湖沼のアワードなどのように、たくさんのアクティベーションがあることが分かります。

I logged HA6CB when I was active from JAFF-088, Okinawakaigan Q-NP, on October 13, but I wa not sure on the top letter of the suffix, "C" in that contact.
I corrected my log as "HA6OB" after consulting with "QRZ.com" and "WWFF Logsearch."

2014年10月22日 (水)

沖縄戦の激戦地「シュガーローフ」 "Sugar Loaf"

沖縄旅行に関連して、もう2つ3つ記事を書きたいと思っています。
10月10日に那覇に着きましたが、テレビのニュースでは、那覇空襲からちょうど70年といっていました。当時の交戦は、「台湾沖航空戦」として日本軍の航空部隊対連合軍機動部隊の海上の戦闘を中心に記録されていますが、連合軍が台湾や琉球諸島に接近してきたのは、沖縄や台湾を空襲することが目的でした。那覇は、このときの空襲で市街の大半が焼失し、陸軍第32軍の司令部も被災して、それを契機に首里城の地下に移転したそうです。
今回の旅行では、沖縄が太平洋戦争の戦場となったことはほとんど意識になく、予定の面会をすることや、台風情報を追うのに気をとられていました。
11日(土)と12日(日)午前の1日半のあいだ、ホテルに缶詰めになったあと、もともとは12日の10時に予約してあったレンタカーを借りるため、午後1時半ごろホテルを出て、15分ほどの道を歩いていきました。
泊まったホテルは、那覇市の北部の高台の斜面にあり、すぐ北側が、かつて米軍に接収されてキャンプ(住宅地)になっていて、返還後に都市整備が行われた「那覇新都心」地区でした。レンタカーは、ホテルから近いことを主な理由で決めたので、東の方に行ったところの、モノレールの「おもろまち」駅の近くでしたので、下の地図の赤の点線のルートを歩いて行きました。

Text                            (原図 国土地理院国土基盤図 那覇市おもろまち付近)

途中、前がゆるい下り坂になり、前方にモノレールの軌道が見えてくるあたりで、右手に白い大きなタンクが目に入りました。昔那覇に来たときに、このタンクの辺りの丘が沖縄戦時に米軍に「シュガーローフ」と呼ばれていて、沖縄戦でも最大級の激戦地であったと教えられたことを思い出しました。残念ながら、その時は、まだ風が強く、帽子を飛ばされないように気にしていて、写真を撮りませんでした。同行の我が家の隊長は、何枚が写真を撮っていましたが、タンクではなく、その東隣にある教会しか写していませんでした。

Rimg0060s
                          (Photo by Maringo)
右のビル(ホテル)の後ろにタンクがありますが、教会の辺りもやや高くなっているのが分かります。教会の向う、南側は、下り斜面で、那覇の市街に続いています。
下の写真は、ホテルの窓から東南を見たところです。左端のマンションらしい高い双子のビルの陰にタンクがあるはずです。那覇市中心部は右の方で、この丘陵地が那覇を守る最後の一線であることが分かります。

Img_8451s
シュガーローフでの激戦がどのようなものであったのかは、何も知らなかったので、帰宅後、ネットで探してみました。
知りたかったことについて、十分以上に詳しく書かれている大労作のホームページを見つけ、たいへん興味深く読みました。

「沖縄戦史-公刊戦史を写真と地図で探る 『戦闘戦史』」というタイトルです。リンクをしたいところですが、了承手続きに時間がかかるので、今はしていません。沖縄戦史、地図、写真などのキーワードで、容易に見つかると思います。
目次の中の「首里複廊(廓?)陣地の戦闘」の「『「シュガーローフ』 安里52高地の戦闘 (5月12日~19日)」のところが該当する項です。
以下は、概ねこのホームページによっています。

沖縄本島の地上戦は、昭和20年(1945年)4月1日の米軍の嘉手納付近上陸から始まりますが、米軍は次第に那覇に迫って来て、5月12日から、首里を中心とする那覇防衛のための複廓陣地の西部の要衝であったシュガーローフ(日本軍呼称「安里52高地」)の攻撃を始めたそうです。日本軍で守備していたのは、独立混成第44旅団の独立混成第15連隊(美田大佐)で、次の海軍部隊も配属されて一緒に戦いました。 山口大隊、丸山大隊第3中隊(951航空隊小禄派遣隊)、迫撃砲中隊、臨時編成海軍砲大隊、海軍第2砲台。
攻めたのは、米海兵隊ですが、シュガーローフの頂上まで何度か進んだものの、反撃されて後退したりし、大きな犠牲を出し、1週間後の5月19日にようやく攻略したそうです。
守りが固かったのは、今のモノレールの東側にある「ハーフムーン」高地との連携が良かったためだそうです。現在、モノレールの通っているところには、当時、軽便鉄道が通っていて、おもろまち駅駅付近は切通しになっていたそうです。線路が道路になり、拡幅された現在でも、稜線を越える辺りでは切通しになっています。

Rimg0065_3s             南(那覇中心部)方面を見たところ。(Photo by Maringo)

米海兵隊は、この切通しを利用して進み、左のハーフムーンや右のシュガーローフの攻略を試みたそうですが、切通しの向うへ出た途端に射撃されて、大きな犠牲を出したそうです。
新都心や道路、モノレールの整備で、往時の面影はほとんどありませんが、70年近く前にこの地で、勇敢に戦い、戦陣に散った彼我の将兵の冥福を祈ります。

2014年10月19日 (日)

高田馬場周辺ウォーキング

昨日、18日(土)は、午前中にまた電鉄会社主催のウォーキングに参加し、高田馬場駅からいったん東の山手線の内側をしばらく歩き、西へ向かって、電車で3駅分を行くコースでした。公称約9キロです。
出発駅までが近くて時間がかからないし、後半は、日常の散歩圏内や、前に住んでいたところの近隣と重なっていて、解散駅からは歩いて帰れるので、時間的に楽な割に、ポイントは50ポイント付くので、我が家の隊長と一緒に参加しました。
コースの目玉は、覗坂という都内有数の急な坂でした。江戸川(神田川)の低地から関口台に上がる道で、環状5号線、明治通りの1本東側にあります。この辺りでは、明治通りに沿って都電荒川線が走っています。

Img_8573s

Img_8574s坂の勾配は、23パーセントといわれています。
都電と幹線道路の明治通りは、切通しでこの台地を横切っていて、台地上の目白通りとは立体交差しているため、傾斜はそれほど急ではありません。目白通りの橋は「千登世橋」で、コースは覗坂の上から千登世橋を渡り、学習院の前を通り過ぎて、山手線の手前でまた坂を下るようになっていました。
山手線の西側に出てからは、将軍の鷹狩のために森を残していたといわれる「おとめ山」に寄り、しばらく妙正寺川、西武線に沿って進んで、落合の四の坂から北へ折れ、落合の台地を越えてからまた西へ進みました。
途中、1時間ほどのところの沿道に神社があったので、休憩しようと、腰をおろして飴をなめていたら、隊長が消えてしまい、置いてけぼりされてしまうというハップニングがありましたが、あまり疲れることもなく、ウォーキングを終えました。隊長は、神社の写真をとるつもりで寄ったので、こちらがかけた声は聞こえなかったのだそうです。隊長の返事を確認してから行動するようにと注意されてしまいました!?

2014年10月18日 (土)

やんばる(山原)エコツアー

今回の沖縄旅行では、台風19号のためにほとんど観光はできませんでした。
11日(土)、12日(日)午前中と、1日半、ホテルに缶詰め状態で、12日も、主な観光ポイントが休園や休館だったので、那覇の国際通りや公設市場を散策した程度でした。
大型の台風19号は、強風の範囲が広かったうえ、沖縄のあたりでは、とてもゆっくりで、なかなか通り過ぎてくれませんでした。時速15キロといっていましたが、どうも直線的に進むのではなく、少しぶれながら進んでいたようで、実効の速度は10キロ程度のようでした。
週末は、飛行機の欠航が予想され、予約の変更が可能になったので、前倒しで10日(金)午後の便に変更しましたが、那覇空港に着くころにはすでに相当な風があり、着陸時の揺れで、乗っていた子供たちが泣き出すくらいでした。
また、通過後も風が強く、13日(月)は、なんとか予定の国定公園内のリゾートに着けましたが、台風一過の青空とはいかず、強い風が吹いていて、曇りでした。
11日の午前中にホテルを移るので、タクシーを拾いに外に出て、ホテルから荷物を持って車道の車まで歩道を移動するだけで、なかなかたいへんで、前の晩にコンビニで調達できたビニールのポンチョが無ければ、ずぶ濡れになるところでした。

最終日の14日(火)の午前中に宿泊したリゾートの催すエコツアーに申し込み、沖縄本島北部のやんばる(山原)地域の自然の一端を見ることができました。近くにある国頭村森林公園の中を観察しながらゆっくり歩くコースでした。台風の直後で、生物の活動も不活発かも知れないということでしたが、幸いに珍しいトンボやカエルを見ることができました。
沖縄本島が太古に大陸と地続きだったこと、温暖湿潤な気候、山がちで人による利用が限定されたことなどの要因で、他の地域には見られないような固有の種が多い地域だそうです。ヤンバルクイナやノグチゲラがその代表ですが、残念ながら、見られませんでした。

Img_8518s                    照葉樹林

Rimg0062_2_s                     リュキュウハグロトンボ Matrona basilaris (photo by maringo)

Img_8527s                    ナミエガエル Limnonectes namiyei 沖縄県天然記念物 絶滅危惧種

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                    ヒカゲヘゴ Cyathea lepifera  低地に生えているシダ

4-5年前にやんばるを国立公園に指定しようという検討もされたようですけれど、その後どうなったのかは良く分かりません。慶良間諸島が新しく国立公園に指定されたので、やんばるの話しは止んだのかも知れません。
この森林公園は、キャンプ場になっていて、テントサイトは標高200メートルくらいの丘の上なので、移動運用場所としては良さそうでした。ただし、あちこちに「ハブに注意」という看板があります。

移動候補地といえば、那覇への帰り道に立ち寄って昼食を食べた大宜味村の「道の駅おおぎみ」は、国道58号の沿道で、北西側が海、背後は急傾斜の崖なので、JAFF-088からの運用に向いているかも知れません。沖縄海岸国定公園は、内陸部は与那覇岳周辺や本部半島の一部にあるだけで、原則として国道58号より海側と、国道から陸側の100メートルまでが区域に指定されています。

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2014年10月15日 (水)

沖縄海岸国定公園移動 Portable JAFF-088, Okinawakaigan Q-NP

10日(金)から14日(火)までの間、家族と沖縄に旅行してきました。那覇で人に会うことが主な目的でした。当初は、11日(土)からの予定でしたが、台風19号の接近で、飛行機の欠航の可能性が出てきたので、急遽、10日の午後の便に変更し、1泊多くすることにしました。
せっかく沖縄まで行くので、少しはアマチュア無線もしたいと、最後のほうの13日(金)は、沖縄海岸国定公園、WWFF JAFF-088の区域内にある、国頭郡の宿泊施設に泊まることにしていました。台風は、なんとか13日には沖縄を離れて本州の方へ進んだので、朝、那覇を出ました。
まだ相当に風が強く、ときおり、雨も降って、屋外の観光を楽しめる状況ではなかったので、途中、12日(日)に泊まる予定で、台風のためキャンセルしたリゾートホテルに寄って、ゆっくりコーヒーを飲んだりしたぐらいで、早めに宿泊地に着き、午後2時ごろからコテージに入って、荷解きや設営をしました。
午後になっても風がまだ強く、大きなアンテナは立てられないので、21MHzのバーチカルにし、午後3時40分(0640 UTC)ころから運用を始めました。

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1時間強経ったころから、聞こえるDXの信号がどうにも弱く、交信数も増えないので、デルタ・ループに変え、0830 UTC過ぎから再開しましたが、あまり代わり映えしませんでした。バンドの選択もベストではなかったかも知れないと、後で気づきました。
1000 UTCからは夕食に行き、食後にもやってみましたが、21MHzはほとんどクローズしており、1200 UTCにQRTしました。翌朝は、エコツアーに行くことにしたので、夜のうちに片付け、パッキングをしました。
運用の結果は、トータルで67交信、オーバーシー36交信(18エンティティ-)、JA31交信でした。コールしてくださった各局、どうもありがとうございました。特に、JAの各局は、台風到来で、アンテナを気にしながらのコールではなかったかと思います。本州方面が良く開けていましたが、DXとできなくなるほどのJA局からのコールは無く、これは、台風のおかげかも知れません。
今までのWWFF移動と比べると、特に芳しい成績とはいえませんが、今回は、ともかく予定のところまで行くことができ、無線の運用ができただけでも幸運だったと思います。
泊まったところは、グレード的にそう気軽に行けるところではありませんが、今回は家族にとっても一つの節目であり、自分も節目の歳になったところなので、奮発しました。JAFFナンバーも88という縁起の良いもので、記念になりました。

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14日(火)の朝食後にビーチを散策しました。この場所には、沖縄には珍しい、広々とした砂浜があります。ここの浜辺はおおむね南西を向いています。写真はおおむね西北西、小さい岬の方を向いて撮ったものです。

I went to the northern part of Okinawa Island and activated the Okinawakaigan (Okinawa Coast) Quasi-National Park, WWFF JAFF-088, on Monday, October 13.
I set a vertical for the 15 meter band and operated CW from 0640 UTC till 1200 UTC. I logged 58 contacts, of which 37 were with oversea stations and 21 with JA stations.
As Typhoon #19, which was a very big typhoon, hit Okinawa directly during the night of 11 and 10, October, we had to change our travel schedule much, but we were able to arrive at a lodging facility in the area of the quasi-national park on Monday, October 13, as we had planned.
I think the band condition was not very good. I started by a vertical since it was still very windy there. The antenna was changed to a delta loop after about one hour, but this did not bring much improvement. Anyway, I am pleased with the fact that I was able to get to the facility as scheduled and operate radio. The number “8” is considered to be a lucky number, and I hope this activation will bring me and my family a good fortune.

2014年10月 5日 (日)

「カラシニコフ」

「カラシニコフ」松本仁一著、2004年、朝日新聞社刊を読みました。前に取り上げた「兵隊先生」と同じ著者です。 電車の中で読む本を図書館で借りてきていなかったので、書棚を見たら、この本が目にとまりました。10年前の本で、新聞の連載をまとめた出版です。当時は、新聞のほうでだいぶん読んでいたので、本のほうは、入手して間もなくパラパラと読み、通読はせずに積んで置いていました。

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本は、シエラレオネで11歳のときに反政府ゲリラに拉致され、強制的に兵士にされた少女(取材当時19歳)の話からはじまります。 ゲリラが持っていて、少女も持たされ、3人を射殺するように強いられたのが、ロシア(旧ソ連)の兵器技術者カラシニコフが設計した自動小銃でした。
カラシニコフAK47、AKM、AK74という、一連のシリーズの小銃が、治安の乱れたアフリカ各国に大量に出回り、使われていることから、その理由やそうなった背景が書かれています。また、反乱、クーデター、強盗など、銃を使ったさまざまな実力行使が生々しく書かれています。
自動小銃は、各国で作られていますが、カラシニコフには故障が少なく、乱暴に扱っても弾を撃てることで、開発途上国向きだそうです。また、カラシニコフは、中国、北朝鮮、ユーゴスラビアなどでも生産されたことから、各国の政治的な動きや、水面下での武器供与、販売などで、出回りやすかったようです。
シエラレオネが、英国の解放奴隷により建国されたということは、初めて知りました。アメリカの解放奴隷によって作られた東隣のリベリアと似た歴史があり、外部から支配層が入ってきたため、土着の住民との間に共通基盤がなく、国家形成が困難だったようです。

シエラレオネ、リベリアなどは、現在、エボラ出血熱の流行が大問題になっています。その背景に、この本に書かれている、長年の内戦などによる混乱で、政治、行政があまり機能していないこともありそうです。
「失敗国家」の存在が、この本で取り上げられている大きなイシューです。特に、兵士にまともに給料が払われない国、教師にも給料が払われない国があり、そのような国家を国連加盟国として一人前に扱うことや、政府に普通にODAとして援助をすることへの疑問が提起されています。
もう一つ、ブログに書かずじまいになっていますが、先ごろ、司馬遼太郎の「この国のかたち」を読んだことをきっかけに、日本の中世史に興味を持ち、数冊の本を読みました。平安時代後期の武士の出現以降、中世では、中央政府のすることはかなり限られていて、治安などに関しては、地元の武士団や寺社(寺社も僧兵などの武力を持っていた)による自力救済が普通のことだったようです。北条氏が権力を握った鎌倉時代の中期、後期も、北条氏の私兵による血なまぐさい実力行使による制裁などがしばしば起きていたようです。
ただ、日本の場合は、司馬遼太郎が高く評価する武士道が徐々に形成され、戦いや仇討ちにも一定のルールが適用されて、それなりの秩序があったことが違うのでしょう。
武器が発達した現代では、自力救済が横行することの悲劇も大きいわけで、なんとか失敗国家が立ち直る、または立ち上がるように、工夫して協力していくべきでしょう。

シエラレオネなど、アフリカの西海岸は、弱小アマチュア無線局ではなかなか交信できません。昨年の11月のはじめに、21.050あたりに出ていた9L1BTBと運よく交信できました。その時のアンテナは、ロングパス向きでした。
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この本の著者は、カラシニコフ氏の住むイジェフスクに2回行き、長時間のインタビューをしています。イジェフスクは、ヨーロッパ・ロシアでもウラル山脈に近いあたり、ウドムルト共和国の中心で、無線のプリフィックスは、UA4Wです。古いカード、UZ4WWBのものを見つけました。
このコールは、QRZ.comには登載されていません。試みに、”Izhevsk”でQRZ.comを検索してみたら、3D(フィジー)から始まって、世界の多数の国々のコールサインがズラッと並んで、驚きました。DXを追いかけている局には有名なUA4WHX、ブラッド(ヴラッド)さんのホームがイジェフスクだったためでした。当局は残念ながら、一度も交信したことがなく、QRZ.comを見るまで、気が付きませんでした。
「カラシニコフ」によると、昔のソ連の兵器工廠は、三つに分割民営化され、銃を作る会社、その他の兵器を作る会社、自動車やバイク、モーターボートなどを製造する会社があるそうです。世界を股にかけて歩いていたブラッドさんは、直接か間接か分かりませんが、これらの会社と何か関係がありそうですね。

2014年10月 3日 (金)

火山噴火の待避壕 Volcano Shelter

9月27日の御嶽山の噴火によって、不幸にも命を落とされた方々のご冥福をお祈りします。

昨日の記事をアップした後で、何か写真を入れれば良かったと気が付きました。直接の関係はありませんが、御嶽山の噴火のときに、小屋や岩陰に入れたかどうかが生死を分けた大きな要因だったようなので、運用地のシャクナゲ園の園内にあった休憩所兼待避壕を思い出しました。
看板には、「休憩所(待避施設)」と書いてあります。この場所は、浅間山の山頂から5キロメートル弱も離れているのですが、これを見たときに、突然の噴火で噴石が飛んできたりする危険もあるのだということを認識しました。もっとも、この辺りは、近くまで車が入り、園路には、ブルドーザーなら入れるようなので、整備も比較的容易ですが、山頂付近などでは、簡単ではないでしょう。

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それにしても、紅葉がはじまる季節の晴天の土曜日の、ちょうどお昼どきに噴火するとは、御嶽山の神様も厳しいですね。水蒸気の圧力と地面の固さの微妙なバランスが、昼の気温の上昇や大勢が上を歩く振動で崩れたとか、多少の因果関係があるのでしょうか。

2014年10月 2日 (木)

Signals Heard in JAFF-013 ヨーロッパ局のシグナル(動画)

今年の5月に上信越高原国立公園内の浅間山の北斜面、中腹の嬬恋村シャクナゲ園からJAFF-013の移動運用をしたときの動画を友人が撮ってくれていたので、ご披露してみることにしました。
ブログの制約で、1メガバイト以内のファイルしかアップロードできないので、呼んでくる局のコール1回だけです。たぶんロケーションが良いためでしょうが、各局ともクリアーな信号を送りこんできていました。バンドは21メガで、アンテナはひし形ループでした。0600UTCからDX向けの運用を始め、わりに順調に呼ばれたので、この前にすでに70局くらい交信しています。運用の様子は、右手でのエレキー使用、紙ログ、QRSと、下手くそなもので、あまりお見せしたくないのですが、呼んでくる各局の音を載せることが主目的ですので、お許しください。

Date and time: May 3, 2014, 0805 UTC -   Band: 15 meter

YU7AOP:  「jaff013_trim_yu7aop_may_2014.mp4」をダウンロード

OH6GAZ: 「jaff013_trim_oh6gaz_may_2014.mp4」をダウンロード

YL2CA: 「jaff013_trim_yl2ca_may_2014.mp4」をダウンロード

SM6NJK: 「jaff013_trim_sm6njk_may_2014.mp4」をダウンロード

IK4IDF: 「jaff013_trim_ik4idf_may_2014.mp4」をダウンロード

この移動運用の記事
http://nb20oi12-7388tu.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/portable-jaff-0.html

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