2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« Portable Takao-san, JAFF-049 明治の森高尾国定公園移動運用 | トップページ | 池袋-練馬ウォーキング Walking From Ikebukuro to Nerima »

2014年4月29日 (火)

調布から武蔵境へ歩く From chofu to Musashisakai

 27日(日)は、京王線の調布駅からJR中央線の武蔵境駅まで歩いてみました。夕方に武蔵境に近くに行く約束がありましたが、天気も良いし、去年、近くのルートのバスに乗ったことがあって、歩けそうだったので、実行してみました。
調布駅から甲州街道を横切り、布田天神社という神社に寄りました。広い境内がある大きな神社でした。その西側の細い道を北上し、中央高速の高架の下をくぐって間もなく、「武蔵境通り」という幅の広い道路に合流し、御塔坂橋(ごとさかばし)で野川を渡りました。
Img_7848sThe Nogawa River from the Otosaka bridge in Chofu City.
地形の観点では、この多摩川の支流の野川が、この日のウォーキングの唯一のアクセントでした。川まではずっと平坦で、対岸、左岸にわたると緩い傾斜の長い坂があり、その上は、武蔵野台地で、またずっと平坦でした。
坂の途中に深大寺に通ずる道があり、300メートルくらい右が深大寺で、その南、川に近い方に深大寺城址があります。川の沿岸は、古くから開けていたことが分かります。
坂を登りきった右手に、都立神代植物公園正門を見て、ひたすら北上しました。このあたりの道路は、中央分離帯付きの往復4車線の車道に、自転車道と歩道がタイルで区分されて、両側にあり、ぜいたくといっても良いくらいで、快適に歩けました。
野崎交差点で、幹線道路の東八道路(東京-八王子を結ぶ)を横切りました。この辺りから、行政区域は、調布市から三鷹市に移ります。交差点の東北の角には野崎八幡社がありました。説明看板では、元禄2年(1689年)、野崎村創設の6年前に勧請されたそうです。台地の上のこのあたりに人が住みついたのは、ずいぶん遅いことが分かります。
200メートルほど北で、古い道である人見街道を横切りました。この道を西へ行くと、新撰組の近藤勇の生家跡に行けます。
さらに1キロ弱北上して、三鷹市塚交差点から左折し、武蔵境通りをたどって、300mほど西でまた北へ向かうと辺りは武蔵野市です。左手に杵築大社という神社がありました。
Img_7879s The Kidukitaisha Shrine in Musashino City, near the JR Musashisakai Station.
慶安年間(1648 - 1651年)、松江藩初代藩主松平直政がこの辺りの土地を将軍家より賜り、鷹狩場としたそうです。その場所に出雲の杵築大社(現在の出雲大社)が勧請されたのがこの神社の始まりだそうです。ここでも、村が開かれたのは、江戸時代になってからのようです。また、武蔵境の「境」は、出雲松江藩の屋敷奉行の境本氏が御用屋敷のあった場所に新田を開発したことに由来するそうです。
歩き始めたときは、1時間半くらいかなとみていましたが、途中で写真を撮ったりしたためか、JRの駅まで1時間40分ほどかかりました。

Img_7841s おまけの写真です。調布市の電気通信大学キャンパスの東側を歩いていたら、屋上のアンテナが目に入りました。JA1ZGP局のアンテナかも知れません。

« Portable Takao-san, JAFF-049 明治の森高尾国定公園移動運用 | トップページ | 池袋-練馬ウォーキング Walking From Ikebukuro to Nerima »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/585446/59554275

この記事へのトラックバック一覧です: 調布から武蔵境へ歩く From chofu to Musashisakai:

« Portable Takao-san, JAFF-049 明治の森高尾国定公園移動運用 | トップページ | 池袋-練馬ウォーキング Walking From Ikebukuro to Nerima »