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2013年7月

2013年7月30日 (火)

CQ誌のIOTAコンテストのルール紹介記事 IOTA Contest Rules in the JA "CQ" Magazine

"CQ"誌8月号p215-216にIOTAコンテストのルールが紹介されていますが、RSGBのサイトに載っている英文と違うと思われる点を2つ見つけました。
ルールは気にせず出ていたのですが、やはり見ておこうと、終わってからCQ誌を見たところ、p.215にロー・パワーのIsland DXpedition局のアンテナには制限があると書かれていました。いつかコンテストのときに島で移動運用ができたら良いなという思いがあるので、良く使っているループはだめなのかなと、RSGBの原文にあたって見たところ、該当する記載が見当たりませんでした。
コンテスト一般のルールにもそれらしいものは見つけられません。
今年の記事に最近の改正が反映されていないのではないでしょうか。

これは、あまり関係者が多くないので、実害はないかと思いますが、次の、QSOポイント(得点)についての記載は、ちょっとシリアスだと思います。
p.216に、「自局と同一IOTAナンバー以外のIOTA局とのQSO…15点、それ以外の局(自局と同一IOTAナンバーの局を含む)とのQSO…2点」とあります。
原文ですと、島の局=Island Stations と、それ以外の局=World Stations とでポイントが異なります。
JAが該当する島の局については、島以外の局5点、自局と同一のIOTAナンバーの局5点、島の局15点です。
島以外の局が島以外の局と交信した場合が2点、島の局と交信した場合は15点です。

http://www.rsgbcc.org/hf/rules/2013/riota.shtml

CQ誌編集部に質問のメールを出しておきましたが、これまでの経験からすると、残念ながらあまり期待しないほうが良いかも知れません。

2013年7月29日 (月)

IOTA コンテスト IOTA Contest

土曜日の夜から、7月末恒例のIOTAコンテストがありました。島から出ている局と交信するチャンスなので、なるべくワッチしてみましたが、21・28CWだけなので、あまり交信数は増えませんでした。ざっと数えたところでは、35交信、20マルチでした。

IOTAのカードを整理したことがなく、どこがニューだか分かりませんが、アジア、オセアニアを除くとほとんどできていないと思うので、ダボハゼ的に、聞こえた島局は片端から呼ぶ方式です。

コンテストのおかげで、前日にも5つか6つの島と交信しました。

土曜日の夜に、LZ0IのCQを見つけ、コールから島だろうと見当をつけて呼んだら、EU-181、ブルガリア・グループでした。ほかにはこれといった島もありませんでしたが、9A5D/p、EU-016、ダルマチア南部グループと交信できて良かったです。先週の記事にロクルム島の写真を出しましたが、同じグループのロプド島の10年前の写真を載せてみます。

Kif_0132s_lopud     Lopud Island, Croatia. IOTA EU-016,  Dalmatia South Group.

9A5D/pの今年のQTHは、見つかりませんでしたが、去年のレポートが"3830" コンテスト掲示板にあり、シパンとありました。シパン島は、ロプド島の西北の隣で、ドブロブニクからの定期船が寄る島としては、ロプドが2つ目、シパンが3つ目だったと思います。9A5Dは、ドブロブニクの無線クラブのコールのようですが、昨年の移動は、クロアチア・コンテスト・クラブとしての参加で、9A3IDをはじめ、計8名の運用によるHF5バンド、ロー・パワーでの参加だったようです。

CW Qs= 1,353, CW Mults= 256, Ph Qs= 641, Ph Mults= 236 
Total Score = 6,823,548

当局は、5月から、最小限サイズとはいえ、いちおうビームなので、日曜の昼間は、あちらへ向けたりこちらへ向けたり、ローテーターにだいぶん働いてもらいました。近場が多いので、回さなくても届いたかも知れませんが、やはりベストの性能で呼びたくなります。

CQもたまにチョコチョコと出して見ましたが、開始後2時間くらいの1407UTCから5局ほどコールがあったのがベストでした。

JAFFで知り合った方が快調にパイルを捌いているのや、JA6の天草、AS-012の局がパイルを浴びているのが聞こえました。EU、NAの大票田に軽く飛ばせるJA局には、楽しめるコンテストなのでしょうけれど、平均以下の本州局の場合には、近くに票田がないのが苦しいところです。終わりも近い日曜日の1030UTCころからは、OH0Bにダイアルを合わせて、そのシグナルを聞きながら別のことをしていましたが、オーランド諸島からは、近くも遠くも開けていたようで、大忙しのようでした。当局は、島に興味をもっている局のQSOパーティーという感覚で、今後も楽しみたいと思っています。

実は、ルールも良く知らずにやっていて、終わってからCQ誌を読んだのですが、ちょっとシリアスな説明不があるようです。これは、次回に書きたいと思います。

2013年7月27日 (土)

超軽量クロスマウント Mounting Device for Loop Spreaders

5月に江の島で移動運用をしたときに、ループアンテナのスプレッダーを支えるに使っていたペットボトル製超軽量クロスマウントが壊れてしまいました。ペットボトルに開けた穴に破魔矢の矢柄を通し、これにスプレッダーの釣竿をかぶせるように差し込んでいるのですが、2年ほどの間、繰り返し使っているうちに、穴にひびが入り、スプレッダーが傾いてしまいました。
そこで、先日のJAFF-013への移動の準備で、新しいものを作りました。今度はもう少し丈夫にするために、ボトル2本を使い、穴を開けるところを二重にしました。内側のボトルは、切れ目を入れて少し細くして外側のボトルに差し込んであります。
マストの玉網の竿を通すために、前はボトルの底に穴を開けていましたが、今度は、上下ともにボトルのキャップに穴を開けてあります。
破魔矢とスプレッダーの竿に少しギャップがあるので、破魔矢の片方にはグレーの布テープを巻き、もう片方には着脱可能なパイプ状のカバーをプラスチックとグリーンの製本テープで作ってあります。釣竿ケースに破魔矢を入れて運ぶときにこのカバーが抜けて紛失しないよう、使用後は、プラスチックのリングをカバーの外側に付けています。

Img_6262s

Img_6256s

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I made an improved version of the ultra light weight mounting device that supported spreaders of a loop antenna against a mast several weeks ago. Two PET bottles were used in order to strengthen holes to insert a rod to the device. The two ends of the rod are inserted into a pair of 170cm long glass fiber fishing rods as spreaders. The previous version with one PET bottle became broken after about two years of repeated uses.

2013年7月24日 (水)

RRC 20th Anniversary Special Stations

Some special calls other than R20RRC have been active recently. I was able to have contacts with 9A20RRC at 0937 UTC, last Sunday (July 21) and with EM20RRC/A at 1226 UTC on Tuesday, July 23 on 15 meter band by CW.
According to the 9A20RRC page of “QRZ.com”, operators of the station are the RRC members of Croatian Flora Fauna Radio Club (9A1WFF). I had some contacts with 9A stations from various JAFF areas, but I do not know whether there were members of this club among them.
By the way, I visited Croatia ten years ago. The sightseeing tour was a short one and all I visited were Dubrovnik, Lopud Island, Plitvice Lakes National Park and Zagreb, the capital city. Among these itineraries, there may not be many Japanese visitors to Lopud Island in Elafiti Islands near Dubrovnik.

Kif_0067s

       Lokrum Island, 9AFF-027, IOTA EU-016, CI-056, and the Wall of Dubrovnik.

2013年7月21日 (日)

CQ誌8月号のWFF関連記事 WFF Referred to in JA "CQ"

一昨日発売されたCQ誌8月号を読んでいたら、WFFに言及したところが2箇所ありました。いずれも「海外DX情報」(JK1OPL筆)です。
最初は「今月の狙い目」の中で、「夏場はヨーロッパや北米などでも「フィールドデー」をはじめとした屋外運用が増える傾向にあり、IOTAや国立公園/自然遺産をターゲットとしたWWF(*1)、ロシアの過疎地からRDAのレアものをサービスする運用などが目につきます。」とあります。そして、欄外に、[注]*1として、M0OXOのホームページのWFFの説明のURLが載っています。(p189)
なぜWWFかWWFFのサイトを紹介しないで、M0OXOのサイトを掲載しているのか、ちょっと理由が分かりませんでした。後のほうの記事で、M0OXOのQSLサービスを紹介し、比較的高く評価しているので、それと関係があるのでしょうか。
引用されたM0OXOのページを読んでみると、ここ数月のWWFFの組織や新しいログサーチ運営開始などの動きはまったく紹介されていません。なお、M0OXOはWFFのGの代表ですが、WWFFの方はM0ADBがGの代表になっています。
もう一つは「フィードバック」の中で、SV54FFについて、「・・・ギリシャの国立公園、Valdo’s plane/SVFF-054からの特別コールサイン局・・・」と紹介されています。(p195)

M0OXOのページを見たついでに、同人が申請先になっているGFFのルールを見てみました。
http://www.m0oxo.com/world-flora-fauna/gff-i-ii-a-iii-award.html
ちょっと意外だったのは、10・20・30のFFとの交信で銅・銀・金賞がもらえますが、GFFとの交信がそれぞれ1・3・5あれば、残りは他の国のFFで良いとされていることです。JAの局にも取得の可能性があるようです。

There were a couple of references to the WFF program in an article in the August issue of the Japanese “CQ ham radio” magazine. The article is on DX information written by JK1OPL. First, it is pointed out that outdoor operations tend to increase during summer in Europe, North America and other regions, and IOTA, WFF and RDA activations are heard often. There is a footnote for WFF that quotes the Internet site of M0OXO. I do not know why the home page of WFF or WWFF is not there. As there is no reference to the WWFF in M0OXO’s WFF page, the readers of the magazine are left unaware of the recent development around WFF and WWFF. Second, the activity of SV54FF is reported as an activation of a Greek national park.

2013年7月19日 (金)

Komoro Castle 小諸城跡

The town of Komoro lies at about twelve kilometers southwest of Mt. Asama and is on the terrace formed by ash of the volcano. The Chikuma River flows from the south towards the town carving steep cliffs by erosion and turns to west below the town. The town has been important as the town along the highway that connects Tokyo and Nagano and other northern regions of Honshu.
It is no wonder that the place was chosen as the site of a castle. The remaining structures of the Komoro Castle, WCA JA-00089, were built in the late 16th century and in the 17th century. This castle has been selected as one of the best one hundred castles in Japan. The castle is a rare “hole castle”: It lies below the highway and the town beside it. This might have made the defense of the eastern side difficult, but once one sees the steep cliffs of the western side, he can understand the reason why this site was chosen easily. The photos below were shot on Sunday, July 14.

Img_6246s

          San-no-mon (Third Gate)  三の門

Img_6245s          The base of Tenshukaku (Main Tower Building)  天守台

Img_6242s          View from the castle towards west overlooking the Chikuma River.

     西方面の眺め。千曲川の下流方向。

Img_6236s          View from the castle towards southeast.  南東方面の眺め

小諸の町は、浅間山の約12キロ南西にあります。ここにある小諸城は、珍しい「穴城」で、城下町よりも城が低いところにあります。城跡(懐古園)の一番奥まで行って、見晴らし台から南や西を見たら、そちらは急な崖になっていて、千曲川を見下ろしており、北や南にも千曲川に流れ込む流れが、火山灰台地に深い谷を刻んでいるので、城の築かれたところが天然の要害であることが分かりました。

千曲川を見下ろしたときには、しばらく方向の判断がつきませんでした。先入観として、川が東から西へ流れていると思い込んでいたためのようです。実際は、南の佐久のほうから流れて来て、城の真下で西に方向を変えています。

上の写真は、7月14日(日)の夕方に、嬬恋村からの帰途に立ち寄った際に、撮ったものです。

2013年7月16日 (火)

Joshin’etsukogen National Park, JAFF-013 上信越高原国立公園

Went to the northern slope of Mt. Asama in the Joshin’etsukogen National Park last Saturday and Sunday and operated radio from JAFF-013. It drizzled occasionally at the site at about 1,600 meters above sea level, but there was no problem for radio operation Saturday afternoon. The band conditions appeared to be unfavorable for low power portable operation, however, and I logged 32 stations, 23 Japanese and 9 oversea that afternoon. The farthest call came from Italy. Thanks to the operator of I4TJE.
I also went on the air Sunday afternoon briefly from a site about 1,300m high and logged 12 stations (10 JA and 2 oversea).
An old radio friend of mine bought a nice cottage in the area a few years ago and I was invited to stay there Saturday night. It was really good to escape from the uncomfortable heat in Tokyo.
Img_6171rs      View towards north west.

Img_6172s        View towards nort east.

Img_6192s    Mt. Asama, 2,566m high, from a hill in the Asama Ranch. Shot in Sunday morning..

Img_6190s        View towards north from the same hill.

        The mountain range forms the border between Gunma (Jo) and Nagano (Shin).

http://www.env.go.jp/en/nature/nps/park/parks/joshinetsu.html

土曜、日曜は、浅間山の北斜面の上信越高原国立公園区域内へ行き、JAFF-013 のアクティベーションを試みました。土曜日は、標高約1,500mの嬬恋村シャクナゲ園へ行き、駐車場の隅で車に21メガサイズのループを立ててオンエアしました。心配していた天気は、ときおり霧雨がくる程度で昼ごろから夕方までいることができましたが、電離層のご機嫌はいま一つで、交信は32局にとどまりました。(国内23局、海外9局、もっとも遠くからのコールはイタリア)

日曜日は、朝は快適なログハウスに泊めてくれた昔のラジオ友達と近くを散策し、写真のような良い景色を眺めることができました。

そのあと、鬼押し出しを見物し、お昼ごろから大駐車場の端でバーチカルで少しまたオンエアしてみましたが、交信は12局でした。

2013年7月 8日 (月)

R20RRC ロシア・ロビンソン・クラブ20周年記念局

ロシア・ロビンソン・クラブが今年創立20年になるらしく、記念局のR20RRCがアクティブに聞こえています。

普通のクラブの20周年で記念コールをもらえるとは、お国ぶりがだいぶん違うようです。

The Russian Robinson Club is celebrating its 20th anniversary this year and the special station, R20RRC, is now operating actively.

2013年7月 6日 (土)

江古田原沼袋古戦場(2)

江古田原沼袋の古戦場の石碑は、おそらくこの辺りが戦場だったのだろうという推測で立てられたものと思います。

現在では証明することは困難ですが、ひとつのヒントとされているのが、近くにある沼袋氷川神社の境内にあった道灌杉です。戦闘に際し、太田道灌がこの神社に陣を置き、戦勝を祈願して杉の苗を献納したと伝えられているそうです。この杉は高さ30メートルの大きな独立樹としてこのあたりのランドマークだったようですが、残念ながら昭和19年ごろに枯れてしまい、今は株の痕跡だけが柵に囲まれています。

神社は、妙正寺川の低地から台地に上がったところにあり、陣には具合が良さそうです。また、前回紹介した書籍「決戦」によると、豊島一族の領地と太田道灌の領地の境界線はほぼ妙正寺川に沿っており、道灌は勢力を伸ばす布石として、近くにある寺社に寄進をして、取り込んでいったそうです。

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合戦による死者を弔った塚の一つとして、丸山塚があったそうです。豊島塚とも呼ばれていたようです。現在は元の塚は失われています。公園の中に祠がありますが、これは昭和40年代に作られたものです。

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古戦場の石碑、氷川神社および丸山塚の位置関係が分かりやすいように、丸山塚公園脇にある案内看板の写真を載せておきます。この図は、上が東、左が北です。この辺りで川が曲がりくねっている様子が分かると思います。

Img_6164rs_txt 

2013年7月 4日 (木)

江古田原沼袋古戦場 Egotahara-Numabukuro Battlefield

日曜日に石神井城跡へ行きましたが、この城は文明9年(1477年)に落城して廃墟となりました。城主の豊島氏は、同年4月13日(陽暦5月25日)に現在の東京都中野区沼袋、同江古田の辺りで行われた太田道灌との戦いで敗れ、城に逃げ込みましたが、城も破られ、当主の豊島勘解由左衛門尉泰経は逃亡し、その後行方不明になってしまいました。

この戦いの結果、石神井川流域を中心とするそのころの豊島一族の所領は、太田道灌に支配されるようになってしまいました。

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石碑の裏には、「・・・道灌江戸築城以来茲に五百年・・・」と書いてあり、昭和31年10月に立てられたもので、ここでの勝利がその後の道灌の活躍に繋がったことに着目した、道灌顕彰の意味合いを持ったもののようです。

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石碑は、右手の護岸の上の茂みにあります。左が妙正寺川、右が江古田川で、ちょうど二つの川が合流するところです。妙正寺川は、このあたりで大きく北にふくらむように蛇行していて、流れが最も北に来たあたりで、江古田川が合流しています。台地面と川岸では10メートルくらいの高度差があり、なかなか複雑な地形です。500年前のころは、沼地や原野、雑木林が多かったのでしょうから、軍勢をうまく統率しないと有利に戦えなかったでしょう。

ちょっと驚いたことに、この戦いだけで一冊の本が出ています。

その名も「決戦」です。(副題『豊島一族と太田道灌の闘い』、葛城明彦著、ブイツーソリューション刊、2012年)

今までの通説には、引用史料の点で問題があるとし、文献としては同時代に書かれた「太田道灌状」のみが信頼できるとして、むしろ、地形やいくつか残っている合戦での死者慰霊のための塚、地元寺社に残る言い伝えなどから、戦闘の経過を推理していて、それなりの説得力を感じました。この本によると、道灌は、まず豊島方の練馬城(現在の豊島園)を少人数で攻めて焼き討ちにし、くみし易い小兵力しかないと見せかけて、練馬城と石神井城から出て攻めてきた豊島勢をこのあたりで待ち伏せして、勝利したとしています。ほかの場所での道灌の戦い方から、正攻法で城に攻めかかったりはしないで、策略を用いて、戦いには必ず勝ったそうです。

戦争に至るまでの豊島氏側と太田道灌側の勢力争いなど、背景も分かりやすく書いてありました。

The lord of the Shakujii Castle, Toshima Yasutsune, was defeated decisively at the battlefield of Egotahara and Numabukuro on May 25, 1477 by the forces of Ota Dokan, the lord who built the Edo Castle in 1457. Toshima family lost the Shakujii Castle shortly. This place happens to be close to my home. A stone monument is at the confluence of the Myoshoji River and the shallow Egota River. This battlefield is about seven kilometers east of the Shakujii Castle.

2013年7月 2日 (火)

石神井城跡 Shakujii Castle

先日の武蔵関公園に続き、一昨日の日曜日に石神井公園に自転車で行ってきました。ここも武蔵野の湧水でできた三宝寺池と、そのすぐ下流の人造の石神井池を囲む公園です。三宝寺池の南側は武蔵野台地で、池より5メートルくらい高くなっており、そのさらに南には石神井川沿いの低地があります。この自然の地形を利用して、戦国時代に豪族豊島氏の居城である石神井城が築かれており、遺構が残っています。
地形から、西側に防御線がないので、土塁を築き、空堀を掘って郭を作っています。はっきりと残っているのは、主郭の部分とされていて、保護のためにフェンスで囲まれ、原則として中には入れないようになっていました。滝山城のような丘陵と違い、ほぼ平地で、宅地化も進んでいるので、城全体の構造は、現地ではほとんど分かりません。
説明の看板によると、土塁はもっと高く、空堀も深くて、堀の底から土塁の上まで10メートルほどあったと推定されたそうです。
樹木もあるし、石垣や門、櫓のある城と違い、城跡らしい写真を撮ることはなかなか難しいです。

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      主郭西側の空堀跡 The dry moat of the western side of the main section

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      主郭西側の空堀と土塁

              The dry moat and the earth bunker of the western side of the main section

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         主郭北側の三宝寺池にかかる橋を渡ったところにある石碑

I enjoyed another bicycle ride to the west from my home last Sunday. It took a little less than one hour to arrive at the site of the former Shakujii Castle. The dry moat and the earth bunker of the part of the castle that was thought to be the main section is remaining and surrounded by steel fences for preservation. The castle was said to have been built during the Sengoku era, or the Warring era, the fifteenth and sixteenth centuries, by Toshima family. The site is a part of a park in the western suburb of Tokyo. As the site is on the flat Musashino terrace, other sections of the castle have been lost by farming and urbanisation.

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