Links - Locals

  • ex J3CK, JP1JCK
    The original owner of the TS-850S in my shack. SK, Nov. 30, 2015. RIP.





2021年8月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« Tsurugi Saki 剱崎 | トップページ | CQ誌の伝搬情報ページ Propagation Article of "CQ" »

2013年1月21日 (月)

「間宮林蔵・探検家一代」 "Mamiya Rinzo"

数日前ですが、高橋大輔著の「間宮林蔵・探検家一代-海峡発見と北方民族」(2008年、中公新書ラクレ)という本を読みました。

間宮林蔵の間宮海峡発見は良く知られていますが、実際にどのような人物だったのかはそれほど知られておらず、私も知りませんでした。新書で、気楽に読むことができ、有益でした。

著者自身が探検家として活動していて、実際に林蔵の行ったところの一部に足を運び、さらに取材で北海道、オランダなどへも出かけているので、旅行記としても興味深いものがありました。もっとも、著者の遭遇する様々な困難な体験は、主として現代ロシアの社会的、経済的問題によるもので、林蔵が立ち向かい克服したと思われる自然の障害とはだいぶん異なるものだったようですが。

探検家としての視点から、林蔵の樺太探検は、当初計画していた樺太東岸の探索ができなかったため、林蔵にとっては挫折であり、海峡の発見にもそれほどの感激は感じていなかったようだと著者は考えています。ただ、林蔵には現地の住民に溶け込み、理解を得る卓抜な能力があり、海峡付近のニブフ族の住民が交易のためにアムール川(黒竜江)沿岸にある清朝の夏季の交易所、デレンに行くことがあることを知って、住民数人に同行してデレンまで行き、挫折を転じて別の大きな成果を上げたのでした。樺太の探検もアムール川の往復も主に小舟で行われました。著者は、デレンがあったと推定されているノヴォイリノフカまで行き、景色や陶器の破片などからほぼ間違いないとしています。

なお、このあたりのアムール川下流域は、ロシアのハバロフスク・クライに属し、無線のコールサインはUA0Cになるようです。

このほか、独身だったと思われていた間宮林蔵に子供がいて、孫の代から「間見谷」という姓を名乗っているということも書いてあります。

おそらく、間宮海峡発見200年になる平成21年に向けて出版されたものかと思われます。どのくらい売れたか知りませんが、19世紀のわが国の国際環境、対外関係を知るのに良い本と感じました。

Mamiya Rinzo is known well in Japan as the person who confirmed that Sakhalin was an island and there was a strait between the island and the Asian continent by his expedition in 1809. I read a book on his life written by Takahashi Daisuke (note) several days ago. The author is himself an explorer and he tried to trace the footprints of Mamiya by two travels to Sakhalin and the Amur River Region, although the most of the difficulties he met during those two trips were of social and economic nature rather than natural hazards Mamiya must have endured. He emphasizes Mamiya’s extraordinary ability to get along well with native people. He recorded valuable observations of the several native ethnic groups he encountered in Sakhalin and on the continent. Mamiya went as far as to Deren, a Chinese trading post beside the Amur River near the latitude 51 degrees north, mostly sailing by a small boat with several and one Ainu Nivkhs. The author tried to identify the location of Deren and writes that he found some evidences of the old Chinese trading post near current Novoilivnoka.

(Note)“Mamiya Rinzo, The Life of an Explorer: The Discovery of the Channel and Northern Ethnic Groups” by Daisuke Takahashi, Tokyo, Chuokoronshinsha, 2008.

« Tsurugi Saki 剱崎 | トップページ | CQ誌の伝搬情報ページ Propagation Article of "CQ" »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「間宮林蔵・探検家一代」 "Mamiya Rinzo":

« Tsurugi Saki 剱崎 | トップページ | CQ誌の伝搬情報ページ Propagation Article of "CQ" »