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2012年12月

2012年12月30日 (日)

W3USS

このところ、アマ無線のアクティビティーも低く、ブログは種切れ気味です。

アクセス解析では、9月以降最近4ヶ月の訪問者数が1日平均6人、5月から8月までとそれ以前は1日平均5人です。そのうち1人か2人はサーチ・エンジンのロボットですので、新しい記事がなくてもどうということはないのですが、昨日、バックアップ用の外付けハードディスクを見ていて、忘れていたイメージ・ファイルを見つけたので、紹介することにしました。

W3uss_qslW3USSのQSLカードです。たぶん自分のカードをスキャンしたのではなく、 4年近く前にインターネットからダウンロードしたもので、なぜ保存したのかも定かには覚えていません。

20年くらい前の2月のARRL DX コンテスト CW部門でCQを出していたら、この局が呼んでくれました。あとから調べて米国議会上院のクラブ局と分かり、幸運に喜んだものです。個人的な思い出もあり、最も印象深い交信の一つです。

今は事情で古いログもカードも出すことができず、交信の日がはきりしません。たぶん1990年か1991年だと思います。いずれも荒川の河川敷に移動して運用していました。残念なことに今は閉局してしまったようです。

I found an image file of the QSL card of W3USS in my back-up hard disc yesterday incidentally.
I worked this station in the ARRL DX contest CW in 1990 or 1991 from a portable station at a riverside location. This contact was one of the most memorable for me not only as the U. S. Capitol is an important building in the U. S. but also as I have personal memories associated with this building and the District of Columbia. The station seems to have been closed already to my regret.

2012年12月28日 (金)

“The Last Words” 「最後の言葉」と長田和美海軍大佐

“The Last Words” is the title of a book written by Kiyoshi Shigematsu and Ko Watanabe and published by Kodansha, Tokyo, Japan, in 2004. It is on the diaries written by four Japanese army and navy men who were killed in action during the Pacific War. Those diaries were found by the Allied forces and translated to English for intelligence. Agents of the NHK, the public television and radio station in Japan, came to know the existence of those diaries in the National Archive of the U.S. and the Australian War Museum, and made a TV program based on them. The book reports the process of producing the program.

Staff of the NHK succeeded in locating close relatives of the KIA and took their last messages to the relatives.

I think the book is written well and conveys harsh realities of the war to readers.

I came to know that there was an apparent departure from fact. Kazumi Nagata, the first man to appear in the book, who was killed in Saipan in July 1944, is introduced as a lieutenant j. g. of the navy in the book but he was a commander in reality when he was writing his diary andwas  promoted to a captain posthumously.

1821176_org_saipan_isl

最近、重松清・渡辺考著「最後の言葉-戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙」2004年、講談社刊を読みました。太平洋戦争で戦死した日本軍の将校、兵士の日記が、連合軍によって集められ、翻訳されて情報分析に利用された後、公文書館等に保存されているそうです。この本は、これらのうち、4人の日記を読み、妻、兄弟などの遺族に届けることを描いたものです。同じテーマで、終戦の日ころに放送されるNHKのテレビドキュメンタリー番組が制作され、本はその制作の記録の形になっています。全体としては、現地の様子や戦死者の遺族のことが念入りに調べられていて、良い本と思いました。

ある事情があって、本の序章と第一章の主人公であるサイパンで戦死した長田和美という海軍士官のことを少し調べました。日記の原文は保存されておらず、英訳では「ある海軍将校の日記」というタイトルが付されているということです。本の本文には、階級は何も書いてありません。

ところが、第一章の冒頭に昭和19年7月4日と5日、最後の二日間の日記が枠入りで紹介されていて、それに「ナガタカズミ海軍中尉の日記」という見出しが付されています。

この階級が正しいのかどうか、サイパンで何をされていた方なのかなどは、私だけでは解明できず、防衛研究所史料室のスタッフに助けていただいた結果、日記執筆当時は海軍中佐、7月8日付けで大佐になっていたことが分かりました。また、南東方面航空廠部員というポストにいたことも分かりました。

著者も、遺族を探すために相当に調べたようで、明治35年生まれ、大正9年海軍機関学校入校、同校第32期卒業生、昭和3年に静江さんと結婚、サイパンでの戦死時に42歳ということまで書いてあります。海軍機関学校32期は、海軍兵学校51期と少尉候補生になるのが一緒(いわゆる「コレス」)で、旧軍の制度をある程度知っている人なら、昭和19年に中尉にとどまっているはずがないことが分かるはずです。

また、防衛研スタッフの指摘ですが、載っている本人の写真を注意深く見ると、襟の階級章は中尉のものとは断定できず、中佐とも見え、中尉にしては、着けている勲章、記章の数が多いということです。

いかなる事情でこのようなことになったのか、ちょっと分かりません。邪推すれば、米軍資料か、英語から日本語への再翻訳担当者の誤りを、知りつつあえて直さなかったのかも知れません。

この日記のことは、インターネット上のいくつかのブログなどで取り上げられており、誤情報が拡散流布しています。大多数の方は、一度活字になったものは信じるので、怖いと思います。

Grounding System アース

I put a new copper plate under the ground at the corner of my lot to install a minimum grounding system to my radio shack this morning. It may not be sufficient to escape from a lightning, but it will provide some psychological security.

I had been busy preparing the plate, whose dimensions are 360 x 1200 x 0.6 mm, and charcoal particles to fill gaps between the plate and the earth.

Two copper wires were soldered to the plate: a 2.6 mm diameter (5.3 square mm) wire and a threaded wire of seven 1.0 mm wires (5.5 square mm). As I used portable cooking stove instead of a blowtorch to solder, the beautiful copper color of the new plate turned white and blue around the soldered line.

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Hammering and trumping on 10 kg charcoal was tedious work: it took me about seven hours in total. A large amount of charcoal dust had to be endured during the labor.

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写真だけでおよそお分かりかと思いますが、今日の午前中、アースを埋めました。

この数日間、銅板に銅線をハンダ付けしたり、銅板のまわりに入れる炭の粉を作ったりで相当の時間を費やしました。おが炭の備長炭を2箱(10kg)砕くのは、かなりたいへんでした。適当な場所があれば、車で潰したり、大きな槌で叩いたりするのが能率的でしょうけれど、ないので、仕方なく手と足でがんばりました。市販品の充填や液体注入の方法もあるようですが、アマチュア的にやりました。銅板の大きさ、銅線の太さ、埋めた深さなど、十分とはいえませんが、とりあえず心理的な安心感が得られればよしとします。

2012年12月20日 (木)

ロシアの灯台

ロシアの灯台アワードのことを書いていて、ロシア灯台独特の問題のことを思い出しました。

2~3年前に、岩波新書の「極北シベリア」という本(福田正己著、1996)を読んで知ったのですが、ロシアでも北極海に面した海岸の灯台などでは、ソ連時代に原子力電池を電源として建設されたものが多くあるそうです。

原子力といっても、核分裂を利用する原子力発電ではなく、放射性物質の崩壊熱を熱電対を利用して電気に変えるものです。英語では、RTG, radioisotope thermoelectric generator というそうです。

たしかに、シベリアの広大な荒野の中に灯台のためだけに電線を引くのはコストが割高だし、北極圏では太陽電池も使えないので、無人灯台に電気を供給する方法として、ひとつのアイデアであったのでしょう。

ところが、ソ連の崩壊後、治安が悪化し、金属泥棒が横行するようになり、灯台まで行って侵入し、灯台の構造に関する知識がないまま、電源装置などを破壊して金属を持ち去る者が現れ、放射性物質の遮蔽が壊されたり、そのものが撒き散らされたりして、周辺が汚染されたところが出たそうです。

この本の著者は、ツンドラの氷の調査などのためにシベリアに行ったようですが、場所によっては、ガイガーカウンターを持って、用心しながら行かなければいけないところがあったそうです。

その後、ネットを見ていたら、どうもこの電池は、北極海ばかりでなく、サハリンの南端のアニワ岬(中知床埼、Aniva, Mys Aniva)灯台(サハリンから南に突き出している二つの岬のうちの東側)でも使われているという英語記事があって、日本にも近いところでも汚染の危険があるのかと、心配になりました。ただ、Lighthouse Direcotry によるとこの灯台の原子力電池は、明らかに最近撤去されたとあります。

(この灯台は日本領時代に建設されたもので、険しい地形から、建設は相当に困難だったと思われ、Lighthouse Direcotry は、日本技術の目覚しい成果だとしています。)

そんなことで、ロシアの灯台に良く状況を調べずに近づくのは止めたほうが良さそうですし、UA9、UA0の灯台からの無線運用もあまり期待できないと思います。

私たちの身近でも、このところ、いろいろ建設時には十分に予測できなかった事故が起きていますが、新技術の採用はいろいろ長期的なリスクも考えて、慎重にしなければいけない一例でしょう。私も今年の8月に中央高速笹子トンネルを通りましたが、わが子の一人は、事故の前日の夜、上り線を通って東京に帰っていました。

2012年12月15日 (土)

ロシア・ロビンソン・クラブ Russian Robinson Club

ネットをいろいろ見ていたら、ロシアの灯台のアワードがあるらしいことが分かりました。
発行者やルールを探してみたら、「ロシア・ロビンソン・クラブ(ロシアン・ロビンソン・クラブ)」が発行者でしたので、同クラブのHPなどちょっと見てみました。
http://robinsons.ru/

名前の示すように、島へ移動して無線をすることが原点のようで、IOTAチェイサーの方々にはおなじみのクラブかと思います。

「ロシア・ロビンソン・アワード」というロシアの島のアワードのほか、上記の灯台アワードのRLHA、WFFアワードのロシア版のRFF、ロシア・フローラ・ファウナ・アワードなど、11種ほどのアワードを出しています。

メンバー・リストを見ると、900番までは、ほぼ順に並んでいて、その後は飛んでいるところがあります。欠番も考えると1,000人弱いるようです。ロシアも含め、EUやNAでは、外国との交信のやさしさや言葉の障壁が低いことで、ハムの中の国内志向派とDX志向派の別がわが国ほどははっきりしていないと思われるので、メンバーも増えやすいのではないでしょうか。
なお、JA局もJA1AML、JS6QFOの2コールがありました。

ロシア語のHPをグーグル翻訳で見ると、UA9OBA が会長になっています。
英語版HPでは、WFF の管理者である RW3GW が会長になっていました。ただ、こちらは、10年くらい前以降、更新された形跡がないので、そのころのことのようです。

<RLHA>
(ロシア語原文)
http://robinsons.ru/index/0-51
(グーグル英訳)
http://translate.google.com/translate?hl=en&sl=ru&u=http://robinsons.ru

(ちなみに、灯台からのQRVは、ARLHSと同じく、灯台から1,000m以内が認められています。)

<RFF>
(ロシア語原文)
http://robinsons.ru/index/0-52
(グーグル英訳)
http://translate.google.com/translate?hl=en&sl=ru&u=http://robinsons.ru

ついでですが、クラブ名を片仮名にするときにどうすべきか、ちょっと悩むケースです。英語の読み方は、「ラシアン」のほうが近いと思います。「ロシア」という日本語化した国名と、英語の「ン」をつなげてしまうのは、やや乱暴です。一方、既に「ロシアン・ルーレット」、「ロシアン・ブルー」(猫の一種)など、「ロシアン」という言い方自体、すでに日本語になっているという意見もあるでしょう。

I have come to know that the Russian Robinson Club issues the Russian Lighthouse Award and Russian Flora-Fauna Award in addition to several island and polar zone awards. It seems to have nearly one thousand members and there are two JA call signs in the member list. I set links to the lighthouse and flora-fauna awards for interested Japanese readers.

2012年12月14日 (金)

NYK Maritime Museum 日本郵船歴史博物館

My main itinerary in Yokohama on Wednesday last week was the NYK Maritime Museum owned by the Nihon Yusen Co. Ltd. There was a special exhibition on the exchanges of diplomats and repatriates between Japan and the United States during World War II and it was to close on Sunday, December 9. I read a book on the theme recently and a newspaper ad of the exhibition attracted my attention.
(I found a good site that explains the events.
http://www.combinedfleet.com/Kokansen.htm )

There was not much new information in the museum as the book was very comprehensive, but manuscripts by repatriates were impressive. The fates of those large former liner ships used for the exchanges were sad: All Japanese ships were sunk after they performed their missions to sail to Lourenço Marques in Portuguese East Africa (now Maputo, Mozambique).
The permanent exhibits that explain the history of the NYK Company, the forerunner of the powerful Mitsubishi group, were also interesting.

Img_4755s

先週の水曜日に横浜へ行った主な目的は、日本郵船歴史博物館で開かれていた企画展「日米交換船とその時代」を見ることでした。しばらく前に、鶴見俊輔、加藤典洋、黒川創著「日米交換船」(新潮社、2006年)を読んでいたため、展示の新聞広告が目にとまり、切り抜いて置いているうちに、12月9日の終了日が近くなったので、出かけました。

交換船に乗っていた帰国者が小さい字で紙を節約しながら書いたと思われる日記などが、当時を偲ばせて印象的でした。また、日本側の交換船となった外国航路用の大型客船が、その後、戦争で多数の犠牲者とともにすべて沈没してしまうという悲しい運命をたどったことを再認識しました。

太平洋戦争の開始後、敵国人になった日本人とアメリカ人の相互交換は、当時のポルトガル領(中立国)ロレンソ・マルケス(現在は、モザンビークの首都マプート)で行われました。日本の歴史の史実の中にアフリカの地が出てくる数少ないケースの一つでしょう。

なお、常設展示は、日本郵船の歴史に関する展示ですが、これもなかなか興味深いものでした。建物も日本郵船横浜支店として1936年に建てられたものだそうで、風格があります。

2012年12月10日 (月)

Landing Sites of Commodore Perry ぺリーの上陸地

Commodore Matthew C. Perry, U.S.N., landed at Yokohama and signed the Treaty of Amity and Friendship, or the Convention of Kanagawa, one hundred and fifty-eight years ago. The photo of the stone globe below is the monument to commemorate the site. It is at the Kaiko Square, meaning the opening of the port square.

Img_4790s

Commodore Perry came to Japan in the previous year and landed at Kurihama, near Yokosuka, both close to the southern tip of Miura Peninsula to present a letter from the president of the United States asking the opening of Japan to foreign countries. There is a big monument to commemorate this landing.

Perry_landing_monument_s               The tall stone monument is at the center. Nov. 2011.

Readers may notice that Kurihama and Yokohama both end with “hama”, meaning a beach. I have come to realize that this is the key word. A landing site must have some space to build a temporary reception building and the Shogun’s government chose sites with sandy beaches in those days. Those beaches must have been convenient for landing by boats from the U. S. N. fleet. There remains no sandy beach in Yokohama now due to the development of the first port opened to the international community except Nagasaki.

今から158年前の1854年にアメリカのペリー提督が来て、日米和親条約を結んだ場所が、今は開港広場となり、地球儀をかたどった記念碑があります。横浜は、その後、開港され、浜は埋め立てられて都市が建設されたので、当時の面影は残っていませんが、海からはそれほど離れていません。

その前年、最初に来航して大統領の親書(国書)を幕府に渡した久里浜には、大きな記念碑が立っています。下の写真の中央に小さく見えています。昨年の11月に撮った写真です。写真では縦の線のように見えますが、碑には、「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」と白字で彫ってあります。

久里浜も横浜も、名前のとおり、「浜」があり、ペリーの応接や条約調印を行う建物を急遽仮設するのに必要な広さを備えていたと思われます。また、ボートでの上陸にも浜が広いほうが便利だったでしょう。なるべく東京湾に入って江戸に近いところに上陸したかったペリーとなんとかそれを食い止めたかった幕府の間で、どうして横浜に落ち着いたのか知りませんが、東海道の神奈川宿とは、入り江の対岸で、3~4キロ離れている横浜は、幕府が受け入れられるぎりぎりのところだったと思われます。

2012年12月 9日 (日)

Legacy of R. H. Brunton ブラントンの遺産

Nihon O Dori, or “Japan Boulevard” at the center of Yokohama is a spacious street with a row of gingko trees. It is said to be the first European style street in Japan and was designed by Richard H. Brunton. As I introduced him in the comment on the Suga Shima Lighthouse (May 3), he designed many early and important lighthouses in Japan with his knowledge brought from Scotland. He also designed the first modern sewer system in Japan and the bricks used for it were found underground one block away from the Nihon Boulevard in Yokohama.Img_4772rs

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スコットランドから来たお雇外国人のブラントンのことは、"General Information" の記事や5月3日の菅島灯台の記事の中で紹介しましたが、横浜で、彼が設計した「日本大通り」とレンガ造りの下水道の遺構を見ることができました。

当時、日本にいた数少ない外国人の一人として、万能技師ぶりを発揮していたようです。下水道の遺構は、 横浜開港広場にあり、昭和57(1982)年、広場の造成工事の際に発見されたそうです。(地下1m以上の深さにあり、透明カバーがかぶせてあるため、うまく写真が撮れませんでした。)

2012年12月 7日 (金)

Lights in Yokohama Harbor 横浜港の灯台

I went to Yokohama last Wednesday and saw a couple of breakwater lights.

The historic White Lighthouse is at the end of the pier along which the historic Hikawamaru is berthed. It used to be the Yokohama East Inner Breakwater Lighthouse but was relocated to the present location more than fifty years ago.

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                    横浜港旧白灯台(旧横浜東水堤灯台)

The Yokohama North Inner Breakwater Lighthouse could be photographed from the bridge of the Hikawamaru. This old red light still stand at the entrance of the Yokohama Harbor although its white partner went out of commission. It was built in 1896 and one of the old lighthouses in the country. (ARLHS JPN-1417)

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                      横浜北水堤灯台

By the way, the Lighthouse Directory is a good comprehensive guide of lighthouses in the world.

水曜日に横浜に行きました。港内の白灯台(保存灯台)と赤灯台(横浜北水堤灯台、現役)を見てきました。  赤灯台は、遠くなので小さい写真しかありませんが、横浜海上保安部のホームページに紹介されています。 「横浜北水堤灯台」

身近なところにありますが、設置後、110年以上経っている歴史的な灯台です。「水堤」というほかでは見ない呼び方が使われていることも、古さを示しているのではないでしょうか。

なお、上の英語の部分に、アメリカのノースカロライナで作られている「ライトハウス・ディレクトリー」というサイトへのリンクがありますが、世界中の灯台をほぼ網羅している便利なデータ集で、日本の灯台についても、写真へのリンクが付いていたりして参考になります。ARLHSにも World List of Lights (WLOL) がありますが、灯台の光達距離などのデータは載っていません。

2012年12月 4日 (火)

「なるほど日本知図帳」

先日、新聞屋さんが、購読者サービスとして「なるほど日本図帳」というものを置いていってくれました。日本経済新聞社が2012年1月に発行している非売品です(制作 昭文社)。

「なるほど日本図帳」 (Amazon.com)

(上のリンクに画像のある版よりは新しいので、表紙の図柄が少しだけ違い、バルーンの代わりに複葉プロペラ機が飛んでいます)

県別の地図帳ですが、ユニークなところは、もろもろの「100選」の中から、19を選び、それぞれごとのアイコンを決めて、地図に表示してあることです。もちろん、名城、灯台(50選)も入っています。逆に選にもれた同種のものは、表示がないので、ある意味で、かなり思い切った編集です。

説明では、数多い100選の中から、特に知名度・人気の高いものを紹介するとあります。

知名度では、なんといっても「日本百名山」でしょう。そんなのもあるのだと感じたものに、「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」、「日本のかおり風景100選」などがありました。

ほかには、名水、渚、滝、都市公園、道、峠などがあり、100ではありませんが、伝統的建造物保存地区も含まれています。

山、名水、滝は、アマチュア無線関係で「じゃぱん ひなたぼっこの会」が「ふるさとの名勝を集めてみま賞」に使っています。

たまたま、城と灯台の100/50選を話題にしましたので、ついでに紹介しました。

2012年12月 3日 (月)

Best Lighthouses in Japan 灯台50選

Having introduced the best castles in Japan, I feel obliged to comment on the best lighthouses too since I am the only Japanese member of the Amateur Radio Lighthouse Society.
The Japan Coast Guard, the agency in charge of all sorts of aids to navigation, and Tokokai, the Light Society, a nonprofit organization, jointly selected the best fifty lighthouses in Japan by popular voting in 1998.

http://www.tokokai.org/archive/index02.html

Unlike castles, I have seen only nine or ten including two that have been sighted from ships.
As there are only three lighthouses in the Kanto region in the list, I would like to add lighthouses in the southern Tohoku and Chubu regions here.

Name 名称       Municipality and Prefecture 都道府県・市町村     ARLHS Number

Southern Tohoku 南東北
Kinkasan 金華山     Ishinomaki, Miyagi 宮城県石巻市               JPN-259
Shioya Saki 塩屋埼  Iwaki, Fukushima 福島県いわき市              JPN-574

Kanto 関東
Inubo Saki 犬吠埼   Choshi, Chiba 千葉県銚子市                     JPN-171
Nojima Saki 野島埼   Minamibobo, Chiba 千葉県南房総市        JPN-437
Kannon Saki 観音埼  Yokosuka, Kanagawa 神奈川県横須賀市    JPN-227

Chubu (Japan Sea) 中部(日本海)
Hime Saki 姫埼        Sado, Niigata 新潟県佐渡市                     JPN-116
Rokko Saki 禄剛埼   Suzu, Ishikawa 石川県珠洲市                   JPN-510
Ono 大野              Kanazawa, Ishikawa 石川県金沢市              JPN-461

Chubu(Pacific Ocean) 中部(太平洋)
Iro Saki 石廊埼     Minamiizu, Shizuoka 静岡県南伊豆町           JPN-176
Mikomoto Shima 神子元島   Shimoda, Shizuoka 静岡県下田市   JPN-353
Omaezaki 御前埼    Omaezaki, Shizuoka 静岡県御前崎市          JPN-487
Irago Misaki 伊良湖岬  Tahara, Aichi 愛知県田原市                 JPN-174
Kami Shima 神島       Toba, Mie 三重県鳥羽市                      JPN-215
Suga Shima 菅島       Toba, Mie 三重県鳥羽市                      JPN-596
Anori Saki 安乗埼      Shima, Mie 三重県志摩市                    JPN-021
Daio Saki 大王埼       Shima, Mie 三重県志摩市                    JPN-053

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                    Inubo Saki Lighthouse in the light of the setting sun.

                     夕日の光を浴びる犬吠埼灯台

Nojima_saki_lh_16885323_org                     Nojima Saki Lighthouse  野島埼灯台 

百名城を紹介しましたが、灯台の近くからも無線をしているので、(JAでは今のところただ一人のARLHSアクティブ・メンバーです)灯台についても紹介しなければならないと思いました。灯台は、平成10年に海上保安庁と(社)燈光会が「あなたが選ぶ『日本の灯台50選』」として、全国からの投票を募集して選んだリストがあります。関東地方には3つしかありませんので、南東北と中部も含めて紹介してみます。
灯台のほうは、興味を持ち始めたのが、V6、ミクロネシア連邦チューク諸島(トラック諸島)へ行ったときに、たまたまその時期がILLWと重なっていて、灯台から出ていたZL6LHからコールされたことからなので、まだ7年くらいしか経っておらず、また、岬や島など簡単には行けないところが多いこともあり、船の上から見た灯台を入れても、50のうち9つくらいしか見ていません。

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