Links - Locals

  • ex J3CK, JP1JCK
    The original owner of the TS-850S in my shack. SK, Nov. 30, 2015. RIP.





2021年8月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年11月

2012年11月30日 (金)

Best Castles in Japan 日本100名城

Looking for information on castles in the Kanto region, I became aware that the Japan Castle Foundation, a nonprofit organization formed by scholars, researchers and enthusiasts of the castle, selected the best one hundred castles in Japan in 2006.
www//jokau.jp/japan-top-100-castles/
Following nine castles and one mansion in Kanto (Yamanashi is not included here) are in the list:
Name 名称           Prefecture 都県名    WCA Number 
Mito 水戸城           Ibaraki 茨城          JA-00118
Ashikaga Mansion 足利氏館  Tochigi 栃木    NA
Minowa 箕輪城        Gunma 群馬          JA-00110
Kanayama 金山城     Gunma 群馬          JA-00063
Hachigata 鉢形城     Saitama 埼玉        JA-00023
Kawagoe 川越城       Saitama 埼玉         JA-00073
Sakura 佐倉城         Chiba 千葉           JA-00166
Edo 江戸城             Tokyo 東京           JA-00010
Hachioji 八王子城      Tokyo 東京           JA-00025
Odawara 小田原城     Kanagawa 神奈川   JA-00147

 

The three castles that I visited and operated radio from them this year are in the list by coincidence. I am considering visiting the remaining six castles but they may not be suited for radio operation as some require climbing up hills and some are in crowded cities.
I think I have visited forty-nine castles out of those one hundred over the years, but I do not remember some well since they were seen long time ago.

 

Img_3979s     The base of the main tower of the Edo Castle  江戸城本丸天守台

 

城に関するインフォメーションをあれこれ集めているうちに、「日本100名城」というものが選ばれていることに気が付きました。一口に名城といっても、選ぶのはなかなか難しいと思いますが、選定した㈶日本城郭協会によりますと、対象を①優れた文化財・史跡、②著名な歴史の舞台、③時代・地域の代表、と規定し、各都道府県から1城以上5城以内として選んだそうです。
偶然ですが、今年になってから見に行って、無線をした3つの城は、皆このリストに載っています。

 

関東(山梨含まず)には9城があります。江戸時代は、関東地方は将軍のお膝元で、御三家の一つの水戸藩以外は大きい大名がおらず、中規模の藩も将軍家に遠慮したのか財政不如意だったのか、石垣を築かない城が多く、江戸城(と小田原城)以外にあまり城らしい近世の城がありません。一つの県に少なくとも一つという基準で入ったと思われるものがあるようです。また、山地や山すその堅固な地形に築かれた戦国時代の城が4つ選ばれています。

 

今年行ったところ以外のところの多くは、まだ見たことがないので、行ってみたいと思っていますが、かなりの登りが必要なもの、山が近いもの、都市の中心にあるものなどがあって、無線に適したところはあまりないようです。
全国のリストに当たってみたところ、子供のころから城に興味を持っていたこともあるのか、100のうち49の城に行っているようです。ただ、一部は年月が経ってしまい、良く覚えていません。

 

 

2012年11月27日 (火)

WCA high score holders in JA 城アワード成績

There is a logsearch, "E-LOG",  in the WCA, World Castles Award, home page.

http://qth.cz/wcagroup/export/log_eng.php

I was curious to see if there are castle hunters in Japan and checked some call signs yesterday. I apologize for those listed without notice but I hope they do not mind as whatever we are doing in this field is for fun.

As I thought that the hunters active in the WFF were likely interested in WCA, I checked the JA top ten in WFF first.

JA8RJE   WFF rank 1  WCA score  12

JA7AYE                 2                     7

JA1BPA                 3                   12

JH8JYV                 4                    13

JG3LGD                 5                     6

JL1ELQ                 6                     3

JR5XPG                 7                     5

JR2KDN                8                     6

JR6GIM                 9                     4

JE2PMC                8                      8

I checked active expeditioners in WFF next.

JA7IC                                         11

I also checked some active stations that I had many contacts in my DX holiday operations.

JA8BNP                                       9

For information, I also checked some EU calls active in WFF.

IK1GPG                                      912

I5FLN                                        689

Himeji_castle_9065836_org_s

  Himeji Castle in April 2008. (No direct relation to this comment.)

ヨーロッパでかなり盛んらしい城とのQSOについて、世界共通ルールを作った城アワードであるWCAには「E-LOG」というログサーチがあり、QSOとスコアを確認できます。好奇心から、WFFでJAのトップテンに載っている局、WFFのアクティブ移動局、当局のDX移動を何度もコールしてくださった局など、どのくらい交信されているか昨日見てみました。せっかくメモしたので載せてみます。無断掲載はご迷惑かも知れませんが、楽しみ、遊びでしていることでしょうからお許しいただけると思いました。

なお、欧州にはかなりの常置場所から出ている局(QTHが城から1,000m以内)があるようで、呼ばれているだけでも交信していることがあります。当局もこの手の交信で、今のところ2城が出てきます。

                     

2012年11月26日 (月)

国立歴史民俗博物館 National Museum of Japanese History

22日の午前に佐倉の国立歴史民俗博物館をはじめて見ました。

Img_4641s

まず、企画展示の「行列にみる近世-武士と異国と祭礼と-」を見ました。これが大くくりの2室(中はまたいくつかの部屋に分かれています)にわたっていました。

入り口の近くに戻り、先史時代、古代の第1室から現代の第6室まで、第4室(民俗)が工事で閉鎖中なので、大くくりで5つの展示を見ましたが、とても時間が足りず、急ぎ足でどんどんまわらざるを得ませんでした。1回でじっくり見るのは無理かと思います。興味を持っている時代に絞って見る必要があるかなと思いました。

中世のところに鎌倉の模型がありました。谷戸にある街をとりまく丘の尾根筋がすべて禿山のように樹木がないので、不審に思い、説明を読んだら、防御のために尾根筋は切岸といって人工的な崖にしていたとありました。ハイキングで何気なく歩いていましたが、当時はそうなっていたのだと、認識をあらためました。今度行く機会があったら、痕跡を探してみようと思います。

近世の展示には当時の都市の模様が紹介されていて、江戸の日本橋のあたりの模型がありました。先日歩いた日本橋川沿いの昔の姿です。

Img_4650s

手前が日本橋で、右が京橋方面、左が神田方面、奥の橋が江戸橋です。水上交通が盛んだったことが分かります。

近代のところでは、陸軍歩兵連隊兵営跡ということから、陸軍関係やレイテ戦関係の展示にウェイトがかかっているようです。

38式歩兵銃の重さを実際に持ち上げてみて実感できるようなしかけがありました。

Img_4649s

野営のための食糧、衣服などでも相当の荷物なのに、武器弾薬を携行しての行軍はたいへんだったと思います。

見学の女子高校生らしい団体がまわっていましたが、あまり大きいので、疲れて休憩所で話をしている生徒も多いようでした。

I saw the National Museum of Japanese History at Sakura City, Chiba for the first time last Thursday. It is a large and comprehensive museum with eight big exhibition rooms with many exhibits, scale models, panels etc.

The second photo shows the model of the Nihonbashi Bridge at downtown of Edo (Tokyo nowadays) two or three hundred years ago.

The third photo is a type 38 infantry rifle used by the soldiers of the Imperial Japanese Army for a long time.

2012年11月25日 (日)

佐倉兵営跡 Former Sakura Garrison

佐倉城址は、明治の初めに陸軍が創設されてからは、連隊の兵営となりました。国立歴史民俗博物館の敷地も含めて、城跡のほとんどが兵営となり、兵舎などは主に歴博のほうにあったようです。

午後に駐車をして無線をした場所のすぐ近くに兵営跡の記念碑がありましたが、もとは歴博の敷地にあり、歴博の建設にともない移設されたそうです。

Img_4704s

碑の裏側には、歴代連隊長の名が刻まれていました。5代の金谷範三、7代の林銑十郎などの名が目にとまりました。

歴博にもかなり詳しい解説がありましたが、明治40年ごろ以降は、第一師団の歩兵第57連隊が置かれていたようです。

歴博の説明パネルに、「佐倉連隊は千葉県1県を管轄区域としていたため郷土部隊として強く認識された。」 とありました。第一師団の管区は、昭和期には、東京、神奈川、埼玉、千葉、山梨だったそうです。下の写真のパネルは、「1925(大正14)年当時の第一師団管区と連隊徴兵管轄区域」を示したものです。

Img_4646s

第一師団は、2.26事件の後、満州の孫呉に移駐しましたが、昭和19年に連合軍のフィリピン、レイテ島上陸を受けて、決戦部隊として同島に投入され、全滅に近い苦しい戦いを強いられました。 リモン峠での57連隊の奮戦ぶりは、大岡昇平の「レイテ戦記」に詳しく述べられています。

After the Meiji Restoration, the site of the former Sakura Castle became a garrison of an infantry regiment. The 57th Infantry Regiment occupied the garrison for about 40 years after around 1905. The major part of this regiment was deployed to Leyte Island, Philippines, in 1944, and it was almost decimated along with other regiments of the First Division. Soldiers of this regiment were recruited from Chiba Prefecture.

2012年11月24日 (土)

佐倉城(2) Sakura Castle(2)

佐倉城は、印旛沼の南の台地を巧みに利用して築かれた、江戸時代の11万石の譜代大名の居城でした。そのため、かなりの規模があり、いくつかの曲輪も明瞭に残されています。ただ、石垣を築かなかったので、防御線はかなりの数の空堀を含む堀と土塁だけでした。建物も残されていないので、写真になりにくい城址でした。

城址公園としては良く整備されていて、門や櫓の跡には親切な看板が立っており、かなりの看板には幕末か明治初めに撮られた建物の写真が出ています。主な櫓の跡は、石や植樹で輪郭を示してありました。

Img_4681s

上の写真は、天守閣の跡です。本丸の西の隅にあって、向こう側は急な斜面で、下に堀があり、さらにその外側には川があります。

江戸中期の延享3年(1746年)から堀田氏が城主でした。歴代城主の中ではなんといっても幕末の安政2年(1855年)から安政5年(1858年)まで幕府の老中首座を務めた堀田正睦が有名です。米国領事のタウンゼント・ハリスとの間で日米修好通商条約の交渉をまとめました。ただ、条約についての国論が分かれたのを収拾しようと条約調印の勅許を求めるため上洛したところ、勅許を得られず、安政5年6月、老中を罷免されました。

城址公園には、堀田正睦とハリスの一対の銅像が立っていました。

Img_4666s

その後しばらくは、井伊直弼が大老として勅許なしの開国、横浜開港を進めました。

堀田の前の老中首座、阿部正弘も含めて、幕末の政治指導者は、あまり高い評価を与えられていませんが、明治以降、勝者としての尊皇攘夷派、薩長土肥の西南雄藩から見た歴史が通説となり、開国や西洋科学の導入など、良い事績もあまり評価されて来なかったことに注意する必要があるようです。数年前、土居良三の一連の著書でその辺りの認識を改めました。

The Sakura Castle was owned by the feudal lord by the name of Hotta during the latter half of the Edo era. The castle did not have stone walls unlike many other Edo era castles.

One of the successive lords was Masayoshi Hotta, who was the primary roju  or the prime minister for shogun (tycoon) from 1855 till 1858. His government reached agreement with Townsend Harris, Consul General of the United States to Japan on the provisions of the Treaty of Amity and Commerce. There are statutes of Hotta (right) and Harris (left) in the park at the site of the former castle to commemorate their historic deeds.

The photo above shows the base of tenshukaku or the main tower at the western corner of the castle.

2012年11月23日 (金)

Sakura Castle, WCA JA-00166 佐倉城移動

I went to Sakura City, Chiba yesterday to visit the National Museum of Japanese History and to operate radio from the castle at the center of the town.

The spacious lot I parked my car in the afternoon is in front of a dry moat of the castle. By a vertical antenna set on the roof of my car, I logged sixteen stations in Europe, Oceania and Japan.

 

Img_4699sb

 

Img_4663s   Dry moat of the castle in front of the parking lot. The castle has no stone walls.

After 0600 UTC, I received calls from FK and VK on 15 meter band. At 0635 I was called by a JA1 station that I know. He appeared to have reported my call sign to a cluster and I started to receive calls from Europe and Asia. It lasted for about twenty minutes.
No contact was made except with an OK station that I called and with another familiar JA1 station, after 0700Z. I went QRT a little before 08Z as the sun had set and it became colder.
This was my third attempt of WCA activation and the best in terms of the number of contacts with oversea stations, though the number is still far short of the figure necessary for an activator's award, 50 for each activation.
There are several other castles within the similar distance from where I live, but it seems difficult to find locations where larger antennas can be used.

昨日は、久しぶりに車でちょっと遠くまで出かけました。行き先は佐倉、国立歴史民族博物館(「歴博」)、佐倉城址、旧陸軍第57連隊兵営跡を見ることと、WCA 城アワードのアクティベーションのトライと、一石四鳥ねらいの目的地でしたが、まず、無線のことから書くことにします。

今回は、先週の江戸城のときに始めるのが遅すぎたことを教訓に、昼過ぎには歴博の駐車場から佐倉城址公園の駐車場(自由広場ともいうらしい)に向かったのですが、すぐ近くなので、カーナビもきちんと設定せずに出たら、迷ってしまったのが、最初の失敗でした。

車への機材の積み込み具合が、都合でいつもとだいぶん違っていたのが主な原因で、設営にやや手間取り、それでも午後2時JSTごろにはオンエアをはじめました。

ところが、さっぱり交信ができません。国内局を呼んでも届かなかったのですが、深く考えずにそのまま続けて3時前にトイレ休憩で一休みし、車に戻ってルーフの上を見たら、愕然。なんと、アンテナ線がATUに繋がれていません。アナライザーでアンテナの共振周波数を見たあと、繋ぐのを忘れてそのままオペレートしていたのです。不思議にも(高性能のため?)ATUは、どのバンドもいちおうチューンできていました。ただ、10メガで送信すると、すぐにSWRが飛び上がっていたのですが、アンテナの長さ不足のためと思い、見直しをしませんでした。

直したあと、3時ごろからのCQに、まずFKのモービル局から、次にVKからコールがあり、ちょっと気分を治すことができました。しばらく後に、面識のある東京の某局からコールがありました。この局にはよく助けられているので、しばらくCQを続けていると、案の定、EUからコールがあり、20分ほど交信が続きました。

その後は、1度おなじみの局からコールがあったのと、良く入っているEU局を呼んで交信しただけで、5時ちょっと前にQRTしました。

バーチカルでは、スポット頼みで、自力だけでの交信は難しいようですが、ループまで上げる度胸はありませんでした。車を止めたところは、街中の公園では見たこともないような広々とした場所ですけれど、端に公園の管理事務所らしい建物があって、大きなものを出すと何かいわれそうでした。後から考えると、ちょっと相談して、隅のほうでさせていただく方法もあったかも知れません。

 

帰り道は、連休前のためか、湾岸線や首都高速都心環状線が渋滞し、帰宅は8時をだいぶん過ぎた時間になってしまいました。

2012年11月17日 (土)

Activation of Edo Castle, WCA JA-00010 江戸城移動

It was a pleasant fall day yesterday and the sunspot number seemed to be high. I decided to try the activation of WCA JA-00010, Edo Castle after lunch. It took about forty minutes to get to my QTH. I went on the air on the 12 meter band at first at 0700 UTC. I could receive a report from a 4X station but there was no answer to my CQ. After QSY to 10 meters, I could contact five stations: 3 URs, 1 European UA and 1 JA(1) probably helped by US7IVW’s spotting to a cluster.
After about a little less than an hour an attendant of the toll parking lot where I parked my car came over and told me that the radio operation is not allowed in the lot. As there had been no callers after those six QSOs, I started dismantling without hesitation.
Considering that there was the big building of the Science and Technology Museum to the northwest at the QTH and the antenna I used was only a fishing rod vertical, I think the turnout was not so bad. If I had started one hour earlier, I might have been able to log more contacts.
The only JA station I had a contact yesterday was JE1GWO. The operator appears very active and has repeated calling my portable activities for the last two years. I would like to thank him and hope to see him again soon.

Img_4637s

Img_4631s 

昨日は、天気がとても良く、サンスポットナンバーも多いようなので、急に思い立って移動運用に行きました。行き先は、江戸城北の丸で、WCAアワードのアクティベーションの2回目です。短時間の運用にとどまり、6局しか交信できませんでしたが、近くて気楽に行けたし、いちおうEUからコールがあり、修理したリグのテストなどもできて、まずまずでした。それにしても、東京という高密度大都市での適当な運用地探しは難しいです。

2012年11月15日 (木)

"The Longest Day" 「史上最大の作戦」

I read "The Longest Day: June 6, 1944" by Cornelius Ryan the other day. The book was in my bookshelf but I did not remember reading it. I must have bought it long time ago. There were traces of reading only in the first several pages.

http://www.amazon.com/June-1944-The-Longest-Day/dp/B000GTHQCA

Two facts were interesting to me.

The allied forces used gliders to land airborne troops. Parachutes were effective but there were difficulties to assemble paratroopers on the ground. Landing by gliders was dangerous but had the advantage of sending units of troops. This tactic was not used in the Pacific theater as far as I know.

Two commanding officers of the American airborne divisions in the Normandy operation became  military and political leaders in the post war U. S. A.: The C.O. of the 82nd Airborne Division, Major Gen. Matthew B. Ridgway and the C.O. of the 101st Airborne Division, Maxwell D. Taylor.

先日、本を整理していたら「史上最大の作戦」の原著が出てきました。大昔に買って、最初の数ページを読んだだけで放置していたのだと思います。読み始めてみたら、なかなか面白く、最後まで読みました。もう覚えていないのですが、テレビ放映で映画を見たのではないかと思われ、なんとなく知っているような場面がいくつかありました。

今まで知らなかったことが二つありました。一つは、このノルマンジー上陸作戦では、連合軍の空挺部隊がパラシュートのほかにグライダーでも降下していたことです。太平洋戦線では、爆撃機による強行着陸作戦はありましたが、グライダーでの敵地への着陸は聞いたことがありません。大陸だから可能だったのかも知れません。パラシュートでは、兵員が分散してしまって、集合するのに時間がかかるのに対し、グライダーであれば、グループで行動できます。

もう一つは、戦後のアメリカの軍事、外交で指導的な立場に立ち、朝鮮戦争、ベトナム戦争などで大きな役割を果たしたマシュー・リッジウェイ、マックスウェル・テイラーの二人がともに当時のアメリカの空挺師団の師団長であったことです。それぞれ、有能な将校だから責任の重い部隊の指揮官になったのでしょうが、成功した大作戦での彼らの活躍は、カリスマを与えることになり、その後の更なる昇進に役立ったようです。

2012年11月13日 (火)

クラブ局公開移動運用 Demonstration by Local Radio Club

日曜日に、近所の公園の野球グランドで地元のアマチュア無線クラブ恒例の公開移動運用があり、参加してきました。

当方は、WFF移動などに使っている21メガ用のループを提供しました。

2012112017ars       (写真提供: JR1DVR)

写真では、下の方が分かりませんが、のぼり用のスタンドに25φの木の丸棒を差し込みました。丸棒は、上下の2箇所に布テープを巻いて38φのデベポールの内径にあわせてあり、これに1.8mのデベポールをかぶせる形で立てました。そのポールに、ループのメインのポールになる玉網の竿を差し込んで立てています。玉網竿の1段目の上部から3方向にステーをとりました。

個人局の移動では、多くの場合、車の屋根の上に立てていますが、スペースがあるので、自立型にしました。ただ、いつもは車の屋根に置いているATUを置く台がないので、バランをつないで、21メガ専用としました。

2012112028as       (写真提供: JR1DVR)

ローバンド用アンテナは、はじめは、JA1FAQ局自作のエンドローディング・キャパシティーハット付バーチカルとオートチューナーでしたが、例年に比べて、残念ながらあまり飛ばない感じでした。アースを野球場のフェンスにとったのですが、バーチカルとフェンスが近かったので、電波があまりフェンスの外へ出ていかなかったのではないかと思います。

その後、ラジアル使用のバーチカルを試そうとしましたが、即席のアンテナをみんなでがやがやと張っているうちに(写真の右側)、給電点高さが50センチで左右がアンバランスのV型アンテナのようなものになってしまい、こちらも飛びはさっぱりでした。

例年は、当方がフジポールを持参し、これにインバーテッドVなどのアンテナをセットすることが多いのですが、今年は個人的な事情で、これを持って行けませんでした。

この数年の恒例で、子供を対象にトランジスターラジオ製作教室が開かれました。(写真の左側のテーブル) 今回は、割り当ての場所が入り口から遠かったためか、希望者が少なめでした。

今年は、巣鴨方面にお知り合いの多いJA1EYL局の尽力で、雑誌”CQ”からレポーターとしてJA1CCN局とJI1JRE局(YL)が取材に来られました。こちらは、この機会に便乗して、クラブのことよりも、WFFアワードや灯台アワードのことをPRさせてもらいましたが、何か書いていただけるでしょうか。

I took part in the demonstration of amateur radio operations at a nearby baseball ground last Sunday. It was organized by the local radio club, JH1ZIS. The first photo is a loop antenna for the fifteen meter band. The second photo shows a girl or a boy trying to assemble a transistor radio by the help of club members, and other members setting a wire antenna.

2012年11月12日 (月)

江戸城日比谷見附跡 Hibiya Gate, Edo Castle

日比谷公園の東北の隅に旧江戸城の日比谷見附跡があり、南側の石垣が残っています。先日から紹介してきた外濠の見附ではなく、外濠と内濠の間にあった日比谷濠に設けられた見附ですが、見てきたついでに紹介します。

写真は、公園内から東、日比谷交差点、有楽町方面を見たところです。皇居は、左側になるので、現在の地理感覚ではちょっと分かりにくいのですが、この門は内濠に囲まれた江戸城の中心部に直接入るものではなく、東へ向かっていったん大手町一帯の曲輪に入る門でした。このあたり、日比谷・霞ヶ関界隈から中心部(現皇居前広場方面)へ入る門は、少し西にある桜田門(外桜田門)でした。Img_4614sThe photo above is the southern side of the former Hibiya Gate of the Edo Castle.

The gate led entrants to the eastern quarter of the castle although the central qaurter is only a few hundered meters to the left (north). There are Yurakucho and Ginza, Tokyo's large entertainment towns, straigt forward to the east.

2012年11月10日 (土)

自由の鐘 Liberty Bell

東京都心の日比谷公園には、もう半世紀近く前から数え切れないほど何度も行っていますが、その中にある「自由の鐘」を1月ほど前にはじめて見付けました。アメリカのペンシルバニア州フィラデルフィアにあるアメリカ独立の時に鳴らされたという有名な鐘の複製です。

西側の道路とテニスコートに挟まれた、あまり人が行かない場所にありました。

由来は、リッジウエイ大将の名がある日本語の銘盤と、マッカーサー元帥の名がある英語のものとで、なぜか少し書いてあることが違いますが、いずれにしても、日本を占領して自由、人権などの改革を主導したアメリカからの記念の贈り物で、いまや数少ない、 目に見える占領時代の記念物です。建っている微妙な位置が、当時の日本社会の占領時代の捉え方を象徴しているように思いました。

This reproduction of the famous liberty bell was presented to the people of Japan by a group of American companies at the suggestion of General Douglas MacArthur in 1952.

(The plate in Japanese mentions Genaral Matthew B. Ridgway instead of Genaral MacArthur.)

It is in the Hibiya Park in downtown Tokyo, the oldest Western style public park in Japan. However, it is at the least visited part of the park behind tennis courts.

Img_4595s

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »