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2012年9月30日 (日)

四谷門、赤坂門跡 Yotsuya and Akasaka Gates, Edo Castle

先週の水曜日にまた千代田区内に出かけたので、ついでに、旧江戸城の四谷門(四谷見附)と赤坂門(赤坂見附)跡を見てきました。

四谷門は、甲州街道に設けられた、西方面の大切な守りで、先日の牛込門と並んで、江戸五口の一つだったとのことです。北西側の石垣だけが残っていますが、枡形の一部なのかどうか、もう判然としません。

Img_4565s

  Remains of the Yotsuya Gate, one of the five major gates of the Edo Castle.

赤坂門の跡の方が良く残っているといえます。四谷側の濠の高い石垣から玉川通の方へ突き出た低い石垣は、枡形の外に開く高麗門の、城外から見て左側の柱を支えていたものです。そのことは、石垣にある切り欠きからも分かります。案内看板も図入りの親切なものでした。

Img_4575s

弁慶橋から赤坂門跡を望む。門の跡は、首都高速の案内看板の後ろあたり。 

The Akasaka Gate was behind the traffic sign. Viewed from west or from outside of the castle.

Img_4580rs

高麗門を支えた石垣を枡形の内側から見たところ。

A stone wall that sustained the Akasaka Gate. Seen from the inside of the castle.

赤坂門は、大山道に通じる門で、青山方面はまた高くなっていますが、ここから東、虎ノ門、新橋方面は、低地が広くなっています。低地にあった濠や池は、埋め立てられて道路になってしまったので、城の内外の区別がつかなくなってしまいました。

このように意識していくつかの城門跡を見てみて、改めて徳川幕府の絶大な武力や権力を思い知らされました。

なお、今までに見てきた、石垣が残っている門の跡は、アマチュア無線のWCA、世界城アワードの「オブジェクト」となりうると思われます。門跡から1キロ以内で、オペレーションができそうなところをあれこれ考えていますが、今のところ名案は浮かびません。

The remains of gates I have visited can be "objects" for the WCA, World Castles Awards, though I have not found any site suitable for radio operation.

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コメント

「五千分一東京図測量原図」という明治19年から20年にかけて出版された35面の地図の複製があることを思い出し、江戸城の城門の跡がどうなっているか、見てみました。参謀本部陸軍部測量局が作成したものです。
牛込門、四谷門、赤坂門、虎ノ門など、外濠の門も大部分は枡形が描かれており、明治初期までは枡形の石垣が残っていたことが分かります。ただし、神田川の飯田橋から東の小石川橋、水道橋、万世橋(江戸時代は無く、近くに筋違橋(すじかいばし)があった)、浅草橋のたもとには石垣らしいものは無く、明治早々に撤去されたものと思われます。もっとも、浅草橋門は、慶応年間の写真が本に載っているので、間違いありませんが、他の場所はもと枡形石垣があったのかどうか、調べていません。

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