2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

2017年9月23日 (土)

Portable JAFF-0216 Hiki Hills PNP 比企丘陵自然公園移動運用

Higashimatsuyama City lies about 40km northwest of my home in Tokyo. The name means East Pine Mountain in English. The western part of the city comprises low hills that form the western fringe of the Kanto Plain. Monomiyama, meaning Lookout Mountain, is 135m high above sea level and in the Hikikyuryo, Hiki Hills, Prefectural Natural Park, JAFF-0216, in Saitama.Prefecture.
Img_2515s
 
Went there to activate this JAFF reference yesterday, September 22 local time. It was the third time after September 2016 and March 2017, but I departed home much earlier with contacts with North and South American stations in mind.
A loop of 17m band size was set on top of my car. Was running about 40 watts out by IC-7100 relying power from a lead battery.
Img_2509s          Looking northeast, to NA direction.
Img_2513s
          Looking northwest.
I worked on the higher band, 17 and 20 meters, quite patiently but band condition was not favorable and I ended up logging only 2 contacts with W stations, K7ZO in Idaho and N9RV in Montana on the 20 meter band after 02 UTC. Considering the low sunspot numbers of these days, I may have to content with having contacts with NA.
I logged 8 Asiatic and 1 European Russian stations and 1 each Chinese and Korean station. That made the total number of oversea stations 13.
The 40 meter band was used after lunch for JAs and 18 QSOs were logged making the total of domestic 22 Q’s including 17 and 20m bands.
I listened to the IBP beacon frequently to know which band was better, but I do not know it was useful since the conditions appeared unstable and subject to change in short time.
I also checked the reports in the reverse beacon network too.
The excerpt of the reports from NA skimmers is shown below.
 
Sept. 21   N6TV  18084  6 dB  22:59z
                VE7CC 18084  5 dB  22:59z
                KU7T  14044  7 dB  23:07z
                N6TV  18084  3 dB  23:40z
                K2PO  14044 10 dB  23:50z
 
Sept. 22   W7HR  18084  9 dB  00:01z
                VE7CC 18084  8 dB  00:31z
                K2PO  14044 15 dB  00:47z
                KU7T  14044 10 dB  00:51z
               K2PO  14044 25 dB  01:32z
               K2PO  14044  2 dB  01:59z
               K2PO  14044  5 dB  02:14z
 
As I was tired and it was forecast that it would start raining late in the afternoon, I chose to leave the site before the best time for European hunters.
Many thanks for the callers and spotters and hope to see you again under the better band conditions.
Mot, JP1QEC, one of the leading activators of SOTA in Japan, was very kind to visit the site early in the morning, and we had a nice chat over antennas and other topics. Many thanks, Mot-san.
Img_2507s
東松山市は我が家の北西、約40キロのところにあり、関越道を利用すると1時間ほどで行くことができます。昨日、9月22日は、比企丘陵県立自然公園、JAFF-0216、の中にある物見山公園へ移動運用に行きました。
0740Jころからオンエアし、1500J 過ぎにQRTしました。練馬出口で渋滞があって帰りは2時間かかりました。
 
昨日は3回目の場所でもあり、我ながらあきれるほど根気よく、18メガ、14メガに出て、NA/SAができないかと頑張りましたが、結局、14メガでK7ZO (ID), N9RV(MT) の2局とできただけでした。
UA9/0 が8局、UA3 が1局(午後)、BYが1局(午後)でした。
今日は、ビーコンを聞いては、W6が聞こえるとそのバンドでCQを出し、スマホでリバース・ビーコンに出るか見たりしましたけれど、コンディションが安定しないので、ビーコンが聞こえても、少しあとにはだめになっていたかと思います。
RBNでたまにNAに拾われてもSNRは交信は難しい1桁どまりのようでした。
ボーズで無かったのがせめてもの慰めでした。
秋分の日も近いのにこの状態で、今年は本当に厳しい年のようです。
 
1240Jころから13Jころまで、7メガに出てJA 18局、 HL 1局と交信できました。
こちらは幸いに3エリア以遠、北は8エリアと開けていたようで、割にログが早く進みました。
ハイバンドでのJAも含めて、トータルは35Qでした。
途中、小雨が少し降ったものの、QRTまでなんとか持ち、風が無くてループが回る心配もなく、気象条件は良いほうでした。
 
JP1QEC, Motさん、早朝のアイボールとフェイスブックへの写真入りコメント、どうもありがとうございました。
JA1VVH, JA1VRYほか各局、QSOとスポットどうもありがとうございました。
 

2017年9月20日 (水)

飛鳥山続編 Asukayama, Kita-ku, Tokyo

その後日が経ってしまいましたが、9月10日に行った飛鳥山周辺には古代、中世ばかりでなく、近世、近代の歴史に関わるものがいろいろありますので、写真若干を紹介しておきます。
岩槻街道は、将軍が日光東照宮参詣のために通った日光御成道で五街道に次ぐ脇街道だったそうです。その一里塚と二本の榎が残っています。諸街道の整備は江戸時代の初期、17世紀のことで、ここのように榎が対の形で残っているのは珍しいそうです。(写真の右、歩道の脇にもう1本の榎がありますが、写っていません。)
 
Img_2407s
先日の記事でも触れたように6代将軍徳川吉宗が飛鳥山に桜を植えました。まだ在職中の元文2年(1737年)に作られたその記念碑があります。石碑はたくさんありますが、280年も前のこのように立派なもものは少ないと思います。
Img_2424s
 
桜の公園の東京側の隣接地には、明治34年(1901年)から昭和6年(1931年)まで渋沢栄一が住んだ渋沢家飛鳥山邸跡です。本宅は大戦の空襲で焼失しましたが、図書室である青淵文庫と離れの社交・応接室である晩香盧が残っています。
Img_2416s
渋沢栄一は明治初期から民間にあって約500社にのぼる会社、銀行などの設立、経営指導に携わったそうですが、初期のものの一つが洋紙の製造会社で、これが王子製紙株式会社になりました。最初の洋紙工場は、今の王子駅の前にあったそうです。住宅地としての環境だけでなく、そのことも飛鳥山に住んだ理由だったのかも知れません。

2017年9月17日 (日)

ローカルクラブの公開移動運用

参加しているローカルのアマチュア無線クラブでは、毎年11月に地元の区の子供向けお祭り行事に参加して、公開移動運用をしてきました。
今年は、区の都合で時期が早くなり、昨日、9月16日(土)になりました。
お天気が心配で、設営も最小限度にしました。お昼ごろから雨粒が大きくなってきたので、午後1時ごろに終わりました。Img_2501s_3
恒例の子供ラジオ製作教室も開きました。写真ではかなり人だかりがしていますが、見にくるだけの子供も多かったようです。
コールしてくださった各局どうもありがとうございました。
当局は、7メガCWで2回、30分ほど運用し、20局ほどログしました。JCC 100114, PK-125を送って、クラスターへのスポットがあればたくさん交信ができるかもと期待しましたが、アンテナが低くて信号が弱かったためか、そうは問屋が卸しませんでした。
区の都合で、お祭り行事はしばらくお休みとなるようです。昨日も参加者は5~7名と少なかったのですが、再開のころには人がいるでしょうか。
 

2017年9月12日 (火)

古代の豊嶋郡郡衙と中世平塚城(2) The Site of Ancient Toshima County Government

日曜日の散策レポートの続きです。
実際には、地下鉄南北線の西ケ原駅から、まず古代の豊嶋郡郡衙跡といわれる滝野川公園に行きました。
Img_2377s
          表の大通りからあまり遠くないところに、御殿前遺跡の碑があります。
                     The sign of the Gotenmae Remains. There was the government of Toshima County, Musashi Province during the ancient era.
 
Img_2376s
          複合的な遺跡だそうですが、平安時代の建物の跡は郡衙と推定されているとのことです。
公園は普通のもので、テニスコートや体育館もありますが、郡衙の遺物は何もありません。
飛鳥山公園の北区の飛鳥山博物館へ行けば、出土品などがあるようですが、隊長のコースには入らず、今回は行きませんでした。
 
Img_2385sa
公園の隣地、東南の都心寄りに平塚神社があります。ここが中世の平塚城のあったところとされています。豊嶋氏の本拠地でした。  Hiratuska Shrine, Kita-ku, Tokyo. There was the Hiratsuka Castle here in the medieval age.
 
Img_2402s
 
本殿の奥は入れないようになっていますが、甲冑塚とも鎧塚ともいわれる塚があるそうです。平らなので平塚という地名の元になったといわれています。
源義家にちなんだ伝説がありますが、私見では、古墳だったのではないかと思います。崖のすぐ上なので、侵食が進んで平らになってしまったのではないでしょうか。
Img_2394s
                    The backyard of the Hiratsuka Shrine, near the Takinogawa Park.
 
昔、世田谷区の等々力に住んでいたことがあります。等々力も、多摩川に臨む台地の縁で近くには等々力渓谷がありますが、台地の縁、渓谷にも近いところに野毛大塚古墳という古墳があります。
Img_2468s
          北西へ行ったところにある飛鳥山公園を過ぎると、石神井川の渓谷、音無渓谷があり、現在は親水公園になっています。写真は親水公園から王子神社(王子権現)に上がる参道です。  Steps to Oji Shrine from the Otonashi Gorge.
昔の街道はこの右手の渓谷から低地に出たあたりで川を渡り、神社の東側を上っていたのですが、昭和5年に渓谷の上を真直ぐに渡る新しい音無橋とバイパスができました。このため、写真の左側、神社の北西を街道が通っています。
Img_2474s
          音無橋の上から都心方面を望む。正面が飛鳥山公園。下に音無親水公園があります。 Asukayama Park from the Otonashi Bridge.
熊野本宮大社は、元は熊野川と音無川が合流するところの中州にあり、参拝をするためには音無川を歩いて渡って身を清めなければいかなかったそうです。このことから、王子権現に対して石神井川を音無川と見立てて、王子権現の辺りの川が音無川という名前となったようです。
ところで、「乗瀦駅」の読み方については、「あまぬま」説に分があるように思いました。なぜなら、「あまぬま」は、字はいろいろで、天沼、尼沼、甘沼などありますが、これらは原則として当て字と考えるべきで、字にかかわらず、地名として「あまぬま」はかなりあるものです。
一方、「のりぬま」という地名はネットで見る限りでは例が見当たらないようです。糊のようにねばねばした沼とか、海苔が生えている沼とかいう説もちょっと無理があると思います。
同時代の文書に、「乗」を「あま」、「あまり」と読ませる例があるとのことですから、それなら地名として自然な方に読むべきでしょう。
 

2017年9月11日 (月)

古代の豊嶋郡郡衙と中世平塚城 The Site of Ancient Toshima County Government

昨日、9月10日(日)は、我が家の隊長と飛鳥山、王子近辺へ行きました。古代の乗瀦駅と下総国府の間にあったという豊嶋駅の場所は諸説あるようですが、豊嶋郡衙の近くにあったという説が有力です。豊嶋郡衙は、北区西ヶ原の滝野川公園の中の、御殿前遺跡で発見されたことになっています。
そんな話を家でしたら、隊長が、その辺りは前にウォーキングで行ったことがあるから案内するというので、一緒に行くことになりました。
ただ、遺跡には何も遺物がなく、看板だけです。むしろ、初めて実地にこの辺りに行って、地理の認識を深めたことが有益でした。
昼食に入った京浜東北線王子駅近くの「北とぴあ」というビルの17階の展望室から見た風景から紹介してみたいと思います。
Img_2453s_2
          左が飛鳥山公園、右の木立が王子神社(王子権現)です。
          間の道路の右を注意深く見ていただくと、切れ目がありますが、ここが石神井川の旧河道です。現在は、音無親水公園になっています。本流は、飛鳥山の下をトンネルで抜ける分水路を流れています。
上野から続く武蔵野台地の東北の縁が、ここで石神井川によって分断されているのです。
渓谷になっていますが、高低差が大きく、昔は滝のような急流であったため(または、狭い渓谷の両側の崖に滝がいくつもあったため)、川は「滝野川」とも呼ばれ、それがこの辺の地名にもなりました。
 
Img_2454s
          飛鳥山公園から上野方面を見たところです。中央の高層ビルの左にも緑が見えていますが、その辺りが豊嶋郡衙跡の滝野川公園と平塚城址の平塚神社の緑地です。間に印刷局と病院があります。王寺駅が見えています。新幹線の高架の左に草が生えた石神井川の河道が見えます。
飛鳥山公園の向う、遠方には東京都心のビル群が見えています。
 
Img_2458s
          北西方向を見たところ。手前から伸びている高架道路が首都高速中央環状線です。写真の右端あたりで隅田川を渡っています。その辺りが石神井川の隅田川合流点です。隅田川が蛇行して、王子の近くで台地に近付いていることが分かります。
 
Img_2459s
          東を見たところ。隅田川が石神井川の合流点から東に流れています。下総国府の国府台は、写真の右端の方向かと思います。
 
Img_2439s
          反対側、西南方向の望遠撮影です。中央に中野サンプラザが見えています。杉並区天沼は右端辺りの方角でしょうか。こちらは武蔵野台地で、ずっと基本的には平坦です。
また、石神井川沿いの低地を西へ進むと、板橋、練馬を経て石神井池へとつながっています。
 
このように、飛鳥山、王子の辺りは交通の要衝であり、水利の便にも恵まれ、軍事的にも重要地点でした。そのようなことから、古代には郡衙が置かれ、中世には豊嶋氏の本拠地として栄えたことが肯けます。
中世には、豊嶋郡あたりが、名目上紀州熊野の熊野権現領とされたそうで、そのことから、豊嶋氏が権現の王子である若一王子を勧請し、王子権現となったとのことで、「滝野川」は河川の名前から、「王子」は宗教施設の名前から、それそれ地名となりました。
東京都23区制の前の35区制では、主に台地側の滝野川区と主に低地側の王子区の二つの区が置かれていました。合併で、北区という、名前からはすぐに場所を推測しにくい名前に変わりました。
 
Asukayama Park near Oji station in Kita-ku, Tokyo, is at the point where the Shakujii River flows out from the Musahino Terrace to the Sumida River low land. The place is important from transportation and military stand point. Therefore, there was the government of the ancient (8 - 12 centuries) Toshima county, and the Hiratsuka Castle, where medieval lord of Toshima clan had their home.

2017年9月 9日 (土)

謎の乗瀦駅(2) Where Was the Ancient Amanuma/Norinuma Station?(2)

昨日、9月8日(金)は、一昨日の杉並区天沼、本天沼訪問が中途半端だったのと、天気も良かったので、自転車で主に天沼の町内をまわってみました。
家の近くのイメージから、明治初期の旧村の名残があるかと思いましたが、中央線の駅に近いところのためか、もともと小さな村で農家が点在するところだったためか、ここが中心というところは分かりませんでした。鎮守の熊野神社、八幡神社、消防署出張所、小学校などをまわってきました。
撮ってきた写真を並べてみます。
Dsc_0683s
          日大二高通り(右)の入り口。左が南の中央線阿佐ヶ谷駅へ通じる松山通、手前は少しクランク状ですが、北の西武新宿線鷺宮駅に通じる道で、すぐ近くで中杉通に合流します。
日大二高通りは、ここの500mくらい東で早稲田通りから30度くらいの浅い角度で二股状に分岐し、ほぼ真西へ向かって、青梅街道に合流します。この通りを境に、南が天沼、北が本天沼になり、台地の尾根筋になります。天沼地区の南は桃園川の低地、本天沼地区の北は妙正寺川の低地です。
Img_2339s
          日大二高通り沿いにある公共施設、荻窪消防署天沼出張所。
Img_2364s
          同じく二高通り沿いにある天沼小学校。
Img_2342s
          日大二高の西を南に少し入った辺りにある天沼熊野神社。
Img_2349s
          熊野神社から曲がりくねった細い道を西へ行ったところの天沼八幡神社。
背後にある南へ向かう道は商店街になっていて、進むと青梅街道に出ます。
Img_2356s
          青梅街道への出口。左は中央線に架かる陸橋。すぐ右に荻窪駅への入り口。
Img_2362s
          八幡神社の少し西にある天沼弁天池公園の池。元はもっと大きな池で水が湧いていたようで、桃園川の源流だったようです。
八幡神社の前の辺りには、桃園川が暗渠となってその上が遊歩道になっています。
小さな川なので、谷も浅く、あまり高低差を感じませんが、昔の写真だと、八幡神社の前は田圃で、その低地帯が熊野神社の前に続き、東隣の阿佐ヶ谷村に続いていました。阿佐ヶ谷は、浅ヶ谷で、地形の特徴を表していたようです。
妙正寺池の辺りは、大正時代の地図では井草川が池の北へ湾曲して続いており、現在も遊歩道になっています。古代の「乗瀦」は、このような浅い谷の小さい沼よりも、妙正寺池付近の方がふさわしいような気がしますが、どうでしょうか。
天沼、本天沼地区は、日大二高通りから少しはずれると、道が細く、曲がりくねっていて、区画整理がきちんとされている下井草などとはずいぶん違います。
警視庁荻窪警察署のホームページには、所轄管内でも天沼は旧杉並町で、当時の町長が街づくりに意欲的に取り組んだ旧井荻村・井荻町と違い、区画整理がないまま市街化が進んでしまったとありました。
 
自動車で動いたりするには不便でしょうけれど、散歩や自転車での探訪には、風情があって良い面もあります。
Img_2341s
          中央線の駅にも近いので、住宅が建て込んでいますが、中には昔からの地付きの家ではないかという屋敷もありました。
 

2017年9月 7日 (木)

謎の乗瀦駅 Where Was the Ancient Amanuma/Norinuma Station?

家の近くに区立の歴史民俗資料館があります。ちょっと不謹慎ですが、無料なので、散歩の途中で館内に入り、2階へ階段を上がって一回りして、散歩にバリエーションを付けることが多いです。2・3日前は、どういう加減か、展示を少し丁寧に見たくなり、古代の展示パネルを見ると、武蔵国府(現府中市)から下総国府(現市川市国府台)へ通じる官道が区内を通っていたとあり、地図があって二つの国府を結んだ線上に、乗瀦駅、豊島駅という二つの駅が丸印で示してありました。乗瀦駅は、区の西側のあまり遠くないところに描いてあります。このような字を見るのは初めてでしたが、ふりがなもありません。
好奇心をそそられ、帰宅してからさっそくネットで探したり、漢和辞典に当たったりしてみました。
「瀦」は、「さんずい」と「者」の間の「いのこへん」を「けものへん」にした字もあり、画数が19だったり15だったりしますが、水溜まりの意味で、「ぬま」と読むそうです。
「乗」は普通「のり」ですが、使われたのが昔の文書なので、余剰の「剰」の右側の「りっとう」を略した用例があるとして、「あまる」、「あま」と読む説があるそうです。
そうなると、「あまぬま」となり、杉並区にある天沼にあったのではないかという説が有力のようです。
一方、「のりぬま」だとすると、「ねりま」と近いので、練馬にあったという説もあります。
天沼というところは、ときどき目にしたりはしますが、電車の駅などがないので、どの辺りかすぐには分かりませんでした。地図を見ると、最寄りの西武新宿線で4つ目の下井草駅から南へ行くと、本天沼というところになるようです。
天沼は、中央線の荻窪駅の北側辺りで、西武新宿線からはちょっと遠いようです。
今日は小雨が降ったり止んだりでしたが、昼に駅のそばまで昼食を食べに行ったついでに、本天沼の辺りまで行ってみました。
「本天沼郵便局」を探して行くと、妙正寺川の左岸、下井草のはずれあたりにありました。
Dsc_0672_s
                    本天沼郵便局。妙正寺川に架かる寺前橋が右端に見える。
          Hon-Amanuma Post Office, Suginami-ku, Tokyo.
川を少し遡ると妙正寺池があります。
ネット情報では、天沼の沼は弁天池ということになっています。ただ、古代の地名の場合、近世の村のように境界が決まっていたかどうか分かりませんから、1キロほど北の妙正寺池のことだったかも知れないと思います。
Dsc_0676_s
          Myoshojiike Pond, Suginami-ku, Tokyo.
 
古代の官道は、基本的に直線であったということから、豊島駅は谷中の辺りに比定されているようです。それにしても、東京の中でこれだけ工事などがあるのに、官道の遺跡らしいものは発見されていないのでしょうか。
また、23区西部の武蔵野台地は、いくつかの池や沼から川が流れ出て、小さい谷を作っており、直線の道を作ると、アップダウンを繰り返すことになって、通行しにくいように思います。川沿いに進むか、台地の上を進むかが自然ですが、そういう例は無いのでしょうか。
 
天沼熊野神社のホームページの「古道散策」のところに天沼の今昔が載っています。
 
There was an ancient highway connecting the capitals of Musashi and Shimousa Provinces during the 8th century. There were two stations to supply and provide horses along the road, namely Amanuma or Norinuma and Toshima. The pronounciation and the site of Amanuma/Norinuma station is not known for sure, but some say that it was in Amanuma neighborhood of Suginami-ku, Tokyo.
 

2017年9月 4日 (月)

Ham Fair, 2017 ハム・フェア

Went to the Ham Fair, 2017 held at the Tokyo Big Site, yesterday afternoon.
Img_2334s
It was nice to see and talk with the current and probable participants of the JAFF program.
Their callsigns were as follows:
JL1NIE, JP3DGT, JP6NWR, JA6UFF, JE8ASA, JR0UIU/JH1QMX, JH1BXH/JJ0KRD,
(JG6IPE)
 
One of the first booths I visited was "Yama to Musen - Mountains and Radio/SOTA JA". JH0CJH, the SOTA JA coordinator was there and had a chat with him and a few others.
As it appeared to be a good opportunity for making the WWFF/JAFF programs known better among Japanese hams, I brought some sheets of the pamphlet and handed them out at the booths of various radio clubs as follows and explained the program to the attending hams at those booths:
Association of Cubical Quad Users, JL1CHV
Japan Ladies Radio Society, JA3SMT?
Key-men’s Club of Japan, JR3XEX*, JH3IQL, JM1HUX
  *No. 7 in the JAFF hunters ranking with more than 50 points.
Far East DX-Ploiters, JA1WPX, JL1XMN
Yokohama (Something/Somewhere) Radio Club, JH1XUP*
  *Former chairman of the JARL
Digital Mode DX Group, JH1DIS
World Radio-sport Team Championship 2018, DJ3WE
Tokyo University Radio Club - JA1ZLO/JA1YWX, JO4EFC
 
It is difficult assess the effect of such small public relation effort, but some of them are in the leading positions in JA radio amateur society, the information will hopefully simmer down to more people.
I happened to sit next to the group of visitors from southern Taiwan in the car of the rapid transit on my way home, and exchanged name cards with BV7CW, BV7FO, and BV7RC.
 
昨日、9月3日(日)は、晴海のビッグサイトで開かれていたハムフェア、2017に行きました。今年は、発足後ちょうど1年になるJAFFアワード・プログラム参加者とのアイボール・ミーティングとプログラムのPRを頭に置いていました。SNS、電話などで連絡をとりながら、来場中のJAFF参加者と会ってしばらく話をしました。
また、山と無線/SOTA JAのブースでは、SOTA JA幹事のJH0CJH局ほかと再会してしばらくお話しました。
その後、あちこちのクラブのブースを回って、当番の方に名刺を出して挨拶し、チラシとカードをお渡しして少し説明をさせてもらいました。時間も限られていて、あまり大きな効果は期待できないと思いますが、それぞれ、特定の分野ではリーダー的な方々なので、今後じわじわと浸透して行くことが期待されます。すでにJAFFハンター金賞のレベルのスコアに達している方や、様々なプログラムでアクティブに移動運用をされていて、やり方が分かれば参加しても良いという方とも合お会いできました。訪問したブースや在席されていた方々は上の英文をご覧ください。
帰りの電車の中で、公式ガイドブックをゆっくり見たら、見逃していたブースもいくつかありましたが、限られた時間の中では仕方がありません。
お会いできた皆さま、どうもありがとうござしました。

2017年8月27日 (日)

「女王ヴィクトリア」 "Victoria"

昨日まで3日ほど続いた酷い暑さは、一段落のようですが、それでもまだ暑いです。明日以降はどうなるのでしょうか。
特定テレビ局の提灯持ちをするわけではありませんが、「ダウントン・アビー」の後に放送された「女王ヴィクトリア」という番組も、惰性で録画はしました。しばらく放っていましたが、先週、第一話を見たら、なかなか面白いのです。主役の女優、ジェナ・コールマンが魅力的で、時代劇として、実際はどうだったのかとかの興味も湧き、少しはまってしまいました。1日に1話を見て、第4話まで見終わり、今日放送予定の第5話からまた録画で見ようと思っています。
今までのところでは、女王が即位した1837年(天保8年)に首相だったメルバーン卿が準主役です。オーストラリアのメルボルンと似ているので、もしかしたらと思って調べたら、やはり、元の英語の綴りは同じで、メルボルンに入植が始まり、町ができた当時の本国の首相の名をとって町の名にしたそうです。州名の「ヴィクトリア」も州設置当時の女王の名をとったものでした。
Kif_1676s
メルボルン市内のヴィクトリア・バラックス(兵営、国防省が置かれたこともある。)
Victoria Barracks, Melbourne, Victoria, Australia. (photo by NOBI in 2006.)
 
ヴィクトリア女王の在位は、1901年(明治34年)まで、63年7か月に及び、大英帝国が世界に覇を唱えた絶頂期といえるので、世界のあちこちに女王を記念する名前や記念物があるわけです。
日本から見ると、明治維新の30年前から明治30年代前半までの在位ですから、幕末維新期や明治初期の英国との交流も、女王治世の英国とのものでした。
明治2年には、女王の次男、エジンバラ公アルフレッド王子が、海軍の軍艦ガラテア号の艦長として来日しました。明治天皇が初めて面会した外国王族です。
 
史実のほうは、ウィキペディアで、女王、メルバーン卿、父のケント公エドワード、伯父にあたるジョージ4世、ウィリアム4世、祖父のジョージ3世などなど、芋づる式に見て行くと、きりがありません。ずいぶん時間を使ってしまいました。
女王となるまでのいきさつも、かなり「事実は小説よりも危なり」を思わせるものです。
ジョージ3世には7人も男子がいたのに、放蕩息子が多く、きちんと結婚して嫡出子を持つ王子が少なかったそうです。長男~3男の嫡出子が早死にして、このままでは王統が続かなくなってしまうとなった1810年代の終わりごろになって、4男から下が自分の子孫が国王になれるチャンスがあると分かり、競うように結婚したそうです。
ヴィクトリアの父のケント公は、もう40代の終盤で、そのためもあってか、ドイツの小公国の2人の子持ちの未亡人の王女と結婚して、ヴィクトリアが生まれました。
ところが、この父はヴィクトリアの誕生後まもなく死んでしまいます。ドイツから来た母は、他の王族、多くは放蕩息子たちを信頼できず、ヴィクトリアを住いのケンジントン宮殿に閉じ込めるような形で育てたようです。そのような母へのヴィクトリアの反撥、反抗がドラマの一つのテーマになっています。
即位後は、首相のメルバーン卿を信頼し、父代わりから、ほとんど恋人のように思ったようですが、母方の従兄弟のサックス・コーブルク・ゴータ公子アルバートと会って波長が合い、求婚します。
ウィキペディアによると、ヴィクトリアはかなり感情的で、意思堅固(頑固)な人であったようで、人の好き嫌いもはっきりしていたようです。そのような人物だったので、ドラマになり得たのかも知れません。
即位当時は、内閣・議会との関係で、他の諸国よりも王権が制限されていたとはいえ、今日のような象徴的な王政が確立していたわけではなく、治世の前半には、王と内閣・議会との緊張関係もあって、それもドラマになり得る要因だったようです。
女王が即位した1837年はどんな年だったかと見ると、日本では2月に大塩平八郎の乱、4月に将軍徳川家斉が隠居、6月(西暦7月)にアメリカ船モリソン号の浦賀来航などがあります。世界では、9月にアメリカのモールスが有線電信機を発明したとされています。
 
Viewed the first four episodes of the British TV drama “Victoria” last week. Found it more interesting than I had expected. It is perhaps due to the extraordinary circumstances of her birth and growth. The fact that the United Kingdom of her era itself had strong influences over the world also attracted my attention to the true history behind the story.

2017年8月24日 (木)

記念品ゲット A Small Suvenir from the Cafe

月曜日は、お堂の公園の近くの「舞む」という店で、稲庭うどん定食を食べました。大昔に秋田にいたので、そのときに稲庭うどんを知り、東京でもこれを出す店を探して、内幸町あたりに一つ見付け、ときどき行っていましたが、近年はあまり食べる機会がなく、夏の特別メニューで、これがあったので、注文しました。
この店のことは、去年の4月に記事を書いています。
店の人は、その後の情報で、やはり踊りをするそうです。
帰りに、神戸の店のお菓子をお土産にいただいてしまいました。開店23周年なのだそうです。
Maimu_23_years_s
23年前ですと、まだこの店の近くに住んでいましたが、この場所は、最寄り駅の北で、住んでいたところは駅の東だったので、気が付きませんでした。
Dsc_0631_s
 
店は北へ下る坂の途中、川に近いところですが、この坂を反対方向へ上り、その途中から左に入って行くと、高台の上にアマチュア無線のC局のアンテナ・エレベーター付きタワーと大きなビームアンテナがあります。信号はときどき聞きますが、交信をしたかどうか、記憶がありません。19日(土)夜のローカル・ラグチューで、参加局がこの局と6mで交信したといったのを思い出し、少し寄り道してアンテナを眺めてから帰りました。同じ区内では数少ない1キロワット免許の局で、FCCライセンスもお持ちのようです。
前に短期間写真を出したかも知れません。メインのアンテナは、バーサ・ビームのようです。ちょっとネットでサーチしたら、工人舎のサイトにユーザーとして掲載され、使用レポートもありました。
 
I was lucky to receive a small box of cakes at the cafe "Maimu (Mime)" commemorating its 23rd anniversary after I had lunch there last Monday.
There is a ham radio station just up the solpe from this cafe. It had a high tower and three antennas, 4 element "versa beam" (20m band size) by Kojinsha, 2 element VP yagi for 40m band and a V shape dipole, were mouted on it.
 
 

«夏のお堂の公園 The Temple Garden of Philosophy in Summer